ローブの男性



 彼が呟く。次の瞬間おじさんたちが一気に空中へと浮かび上がった。

 仰向けの状態で喚き、手足をバタつかせる。その様子は駄々をこねる子供に近いのかもしれない。

 上空に広がる光景。突然の出来事というのもあるのだろう。おじさんが浮かぶ。ただ、それだけの光景に言葉が出なくなる。



 誰かが気付き、それにつられるように街ゆく人々が見上げる。いつの間にか出来た人集り。


 充分な観客が集まったからか。辛うじて人と判断できる高さで、おじさんたちは動き出した。

 大きく円を描いたり、徐々に円を狭めていったり。高さや速度に緩急をつけ観客を飽きさせない。

 ただ円を描いていた挙動がぴたりと止まった。それにざわめく観客達。

 パフォーマンスは終わりかと立ち去ろうと数名が動いた瞬間、堰を切ったように動き出した。


 円運動をやめ、それぞれが勢いよく上昇したり、滑空したり。まるで私の得意なジャグリングに奥行きを持たせたような。よく見知った初めての光景に喉の奥がキュッとなる。


 まるでたわむれていた妖精が、見上げる人々を楽しませようとしているみたいだ。どこか子供心を感じる演出に自然と目の奥が輝く。

 上空から騒ぐ声は聞こえない。代わりに自然と拍手が湧き上がった。



 「何あれ⁈ どうなってるの⁈」



 「魔法だよ、魔法!」



 「いいぞー! もっとやれー!」



 みんな口々に褒める。多分、誰が飛んでいるか分からないのだろう。

 おじさんたちを宙吊りにする。限りなく罰に近い光景ですら、見せ方次第でいくらでも表現できる。



 正直このおじさんたちは好きじゃない。

 ぶつかっても謝ることもなく、強引にパーティに入れようとしてくる。おまけに私の趣味を『こんなこと』呼ばわりしてきた。

 でも、彼に会わせてくれたことだけには感謝したい。



 そっと宙を指でなぞり、治療の魔法陣を展開する。

 空中で気絶した彼らに治療が必要かは分からない。それでも、少しの感謝と好奇心を込めて魔法を発動した。


 せわしなく動く体の周りに、緑色のオーラが纏う。日中の明るさ程度では、魔法の光は負けない。

 日々治療を行う私には見慣れた光景だ。しかし、街の人たちは違う。


 空飛ぶ人たち。その軌道に光の残像が残る。太陽のだけを遮る雲が、この瞬間だけは味方だった。

 これもパフォーマンスと勘違いしたのだろう。更なる歓喜の声が上がる。



 一応、治療はした。半分は光をまとわせたらと思った好奇心だけど。多分、これ以上私がいる意味はない。この後に私のパフォーマンスをしても霞むのは目に見えている。なら今のうちに撤退して、適当な場所で……



 散らばった荷物を片付けようと視線を下げる。そんな私に妙に視線が向けられているのを感じた。


 何気なく辺りを見渡す。すると周りにいた人たちが、目を輝かせながら私を見ていた。前を見て、横を見て、後ろを見る。

 私を囲むように広がる人々。そこで彼らの思考を理解した。

 


 「違いま――」



 否定しかけた声が周囲の歓声にかき消された。



 ……どうしよう。私がパフォーマンスしたことになってる。ちょっと治療魔法使っただけなのに。とにかく、すぐにあの男の人を連れてきて誤解を解かないと。



 青年がいた場所に目を向ける。だが観客の中に彼の姿は見えない。人混みに流されたんだろうか。すがる思いで周囲の観客を順番に見ていく。

 ローブを深く被った姿はない。いるのは普通の子供からお年寄りまで。

 1人で買い物。デート。家族で外出。理由は様々だろう。


 でも、その全員が楽しそうな顔をしていた。



 治療魔法なら教会で幾度となく使った。

 ポーション頼りで無茶をする冒険者。根拠のない自信で討伐に行き、惨敗した冒険者。治療のついでに「パーティに入らないか」と誘う冒険者。

 治しても、また怪我人として帰ってくる。お礼の言葉はほとんどない。それどころか「いつまで待たせるんだ」と怒られることもある。


 治療すれば怒られ、パーティ加入を断れば怒られる。


 そんな都合を押し付け、弱者を虐げる世界。目の前に広がる世界とは大きな違いだ。



 彼を探さなければならない。この魔法は彼の力ですと明言しなければならない。それが今すべきことだ。充分に理解はしている。


 しかし幸せそうな表情が使命を鈍らせた。彼の魔法と発想に私が少し力を加えただけ。ただそれだけで、これ程までに人を笑顔にできるなんて。



 彼に会って話をしたい。功績を横取りしたことを謝りたい。それと助けてくれたことや、温かい気持ちにしてくれたお礼も。


 そして、いつか私のパフォーマンスを見てもらいたい。

 もっと努力して、もっと工夫して。伸びしろはあるはず。様々な要素を吸収して、それを自分の形で表現する。


 名前も、顔すらも知らない。実力的にも随分と先の話だろう。それでもまだ見ぬ未来に心が躍る。



 その時だった。


 人混みの輪から彼が姿を現す。

 少し下をいた姿勢。フードを指で摘んでいるのも相まって彼の顔はほとんど見えない。僅かに見える口元だけでは感情を読むことは出来なかった。


 探していた相手が現れる。願っていた光景のはずなのに、どうすればいいか分からない。


 歓声は小さくなり、周りを囲う人々も風景の一部と化する。感じるのは彼の姿と、せわしない私の鼓動だけ。それを意識すればするほど体が熱くなる。


 立ち尽くす私。

 そんな私を突如、浮遊感が襲った。



 別れを惜しむように触れていたつま先が地面を離れる。体を支えるものは何もない。自由で不安定な体はゆっくりと回り出した。

 私を見上げる視線。正面にあったそれも頭上からになり、最後は背中に刺さる。


 現実では初めての体験のはずなのに、不思議と安心感があった。

 落ち着いた気持ちで空を見上げる。空を飛び回る彼らに私はもう一度治癒魔法を発動した。


 建物に囲まれた青色の世界を緑色の光が飛び交う。

 緩やかな重力が体に働く。もうあまり時間はない。徐々に遠ざかっていく私だけの景色を忘れないよう眼に焼き付けた。



 静かに地に落ちていく体。しかし、背中に触れたのは優しい体温だった。


 背中と膝裏に回された腕。落ちていく私に選択肢はない。収まるように差し出された腕に、なす術なく体重を預ける。



 前を見ると、彼の顔があった。


 体勢的に仕方がないのだろう。半ば不可抗覗き込んだ、ローブの中。暗いフードの奥でライトブラウンの瞳が見えた。

 

 驚きで固まる体と胸の辺りで折り畳まれる腕。少しずつ状況を理解した心臓が、強く激しく動き続ける。


 いつか絵本で見たお姫様抱っこ。物語のプリンセスたちは王子様に体を預けていた。

 さすがに不確定の状態で、彼の首に抱きつくまでは出来ない。それでも、警戒心で縮こまった体はすぐにほぐれる。



 「行くよ、



 「は、はい……え?」



 お姫様抱っこで脳が麻痺していたようだ。発言の違和感に気付いた時には、もう遅い。



 地面を蹴った体は空高くへと舞う。


 小さくなっていく通行人と吹き抜ける強い風。建物の屋根をゆうに超える高さまで飛び上がった体は一瞬だけ空中に停止した。


 上に向かう力を失った物体は落下する。ジャグリングで幾度となく見た光景が蘇った。


 末端の血液が凍る。全身の毛が逆立つ。


 この後、落下するのは承知の事実だ。しかし私の目は縋るように、落下前の光景を映し続ける。

 こういう時だけスローモーションに見えるのはズルいと思う。


 逃れられない未来であることは分かっていた。それでも神に祈らずにはいられない。

 


 「キャァァア!」



 お淑やかのカケラもない悲鳴を上げた私の体は、彼と共に屋根の上に着地する。

 腕にまで伝わる硬い感触。彼の足にも相当な負荷がかかったはず。



 下ろしてください。



 その言葉を伝える前に彼は再び走り出した。







 




 見慣れた教会に到着する。


 セミロングのピンクウィッグに黒のマスケラ。少々窮屈な燕尾服を纏ったパンツスタイル。

 Ms.マスケラの格好でこの場所に帰ってくるのはもう慣れた。


 裏口から教会に入り、手際よく修道服に着替える。都合の悪いものは木箱の中に隠しておけば、一瞬でいつものシスターに変身だ。でも、今日は……



 「着いたよ」



 ローブの男性が丁寧に地面に降ろす。屋根を跳ね回っていたせいか、地面の感触に妙な感動を覚えた。


 

 「あ、ありがとうございます」



 「あと、これ。小道具も拾っておいたから。多分全部揃ってると思う」



 どこから取り出したのか、私が愛用しているバスケットを手渡す。中には地面に置かれていたはずの小道具が綺麗に収納されていた。



 拾い集めるタイミングは、あまりなかったはず。一体いつの間に。



 「じゃあ、俺はこれで。あんまり絡まれないでね」



 「ま、待ってください!」



 立ち去ろうとした彼の腕を引き留める。ローブ越しに感じる腕が、今更になって異性であることを意識させてきた。



 「……」



 「えっと……どうかした?」



 「あ、あのパフォーマンス! 一般人に魔法を使用するのは禁止されています。でもパフォーマンスという形にすれば、合法的に魔法で仕返しを行える。そういう意図があったのでしょう?」



 「うん。さすがシスター」



 頭が真っ白になり咄嗟に推理を披露する。半分以上が根拠のない妄想だったけど、私の推理は正解だったみたいだ。


 でも、私は推理をしたかったわけじゃない。



 ところどころで彼の口から出る『シスター』という言葉。Ms.マスケラがシスターであることはガボンくらいしか知らない事実のはず。



 じゃあ、彼の正体は一体……?



 「お、お礼がしたいので、お名前を教えてください!」



 「お礼?」



 「はい! 私に出来ることなら何でもします!」



 「へぇ、『何でも』ね」



 辛うじて見える口元がニヤリと笑った。


 反射的に一歩下がる。

 似ても似つかない先ほどのおじさんたちの粘ついた笑みが脳裏をよぎった。よく知りもしない相手に「何でも」なんて言い過ぎたかも知れない。

 正体を知りたいがあまり無謀なことを口走った自分に遅れて後悔が押し寄せる。



 「迷うな……鬼ごっこしたいし、お菓子無限に作って欲しいし、虫取りとかもしたいし、畑仕事を一緒にやって欲しいし」



 そう言いながらローブの男性が指折り数え始める。少しだけ高くなった声と幼稚なお願いの数々。

 あまりの内容に身構えた私の力が抜けていく。


 何だ? この子供っぽいお願いは。でも何だろう? どこかで聞いたことある気が――



 「あと、一緒に『Are you redy?』って言うのやりたい」



 教会での光景が蘇り、同時に脳内に散らばったパズルのピースが埋まっていく。

 そして出来上がった事実と、起こりうる最悪の未来に驚きを隠せなかった。

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