一抹の不安



 「……そっ、そんなこと言っても誤魔化されませんよ! 話を逸らさないでください!」



 濡れ衣を着せられそうになり、思わず大声で反論する。


 危険物扱いされているポーション。使用すれば犯罪者になる物をシスターの私が興味本位で飲むわけがない。どうせ、勝手に私物を触ったことを誤魔化すための出まかせだろう。


 私は間違っていない。それなのに握りしめた拳が汗で少し濡れていた。



 「でも、これ見ろよ」



 そう言って座ったままポーションを見せつける。



 「蓋も歪んでるし。一度は開けてるだろ? 使ってなくても落として開いたとか。心当たりないか?」



 「そんなわけ……」



 ない、とは言い切れない。


 かつて茶色と紫のマーブルクッキーを作ってしまった過去がある。あの原因はキッチンに放置されていたポーションの数々だ。今回のポーションと同じ位置の。

 もし、今日のクッキーにポーションが入ってしまっていたら……


 起こりうる最悪の未来に血の気が引く。



 「ガボンさん。ちなみにポーションの中身って確か……」



 「100年生きた蜘蛛から精製した薬だ。噂ではどんな願いも叶えられるらしい。で、ミモザが飲んだのか?」



 「、飲んでいないです」



 「私は?」



 「もしかしたらですけど、とある子供が間違って口にした可能性が……ちなみに副作用とかってありますか?」



 「知らん」



 恐る恐る尋ねた私の質問を切り捨てるように答えた。気遣いなんてない。

 その言動に今は怒りより、不安が勝つ。



 そんな、無責任な。


 こういう系のポーションは効果と引き換えに想像も出来ない副作用をともなう。

 リュカくんの体にもしも何かあったら。



 汗が滲み出る。息が苦しい。地面の感触が分からなくなる。


 何かしないといけない。でも、その「何か」が分からない。

 動けない世界で時間だけが過ぎる。無力感が嫌だった。



 「情報が少ないから何とも言えない。ただ使われたのが半分であって、全部その子供が接種したわけじゃないだろ?」



 そうだ。クッキーは私も2、3枚食べた。しかも全部食べ切る前にガボンが来たから、まだ少し残っている。


 リュカくんが口にしたポーションは少なく見積もっても3分の1くらい。なら、副作用も魔法で治療出来るレベルかも知れない。


 そう、今なら。


 

 気付けば走り出していた。


 家の扉は開けっぱなし。ガボンが出した廊下の荷物はそのまま。教会のクッキーも放置されているはず。明日は休みの日だから、パフォーマンスの練習もしておかないといけない。


 やらなければならないことは山の様にある。でも、全部どうでも良かった。



 ガボンを通り抜け、畦道へと出る。


 つま先にダル絡みする修道服の裾。無理して履いたズボンが悲鳴をあげる気がした。底が薄くなった革靴が、畦道の凹凸を執拗に伝えてくれる。


 この服装は全力疾走することを想定されていない。どれかに気を配れば、つい転んでしまいそうな状況。

 それに加え、年齢による体の衰えが、さらに私の足を引っ張る。



 畑に囲まれた道の向こうに見える爪ほどの大きさの家。その大きさが一向に変化しない現実が私をイラつかせた。


 八つ当たりする様に地面を蹴り、前に進む。

裾は砂埃で汚れ、革靴にも傷が出来ているんだろう。

 足掻けば足掻くほど汚くなっていく。それを分かって走るのは罪の意識からなんだろうか。



 込み上げる負の感情が疲労を引き寄せる。

 顎が上がっていく。口の水分がなくなったからか、呼吸するたび肺が痛い。足も上がらず、歩幅も狭くなる。


 それでも、足を止めるわけにはいかない。姿勢を正し、1秒でも早く彼の家を目指した。












 結論から言うとリュカくんは無事だった。



 息を切らし、汗だくになりながら彼の家まで辿り着いた私。

 リュカくんには会えなかったけど、彼のお母様に会うことは出来た。

 お母様の話によると、どうやら昼寝をしていたらしい。


 確かにあれだけのクッキーを食べたんだ。砂糖の取り過ぎで眠くなるのは仕方のないことだろう。

 体調に異変がなかったか尋ねても、不思議そうに首を傾げ「普通だったけど?」と答えるだけ。


 私の考え過ぎか。


 そう答えを出した私は「何かあれば言ってください」と言葉を残して、彼の家を出る。



 ここまでが昨日の話だ。



 「本当に良かったー!」



 枕に顔を強く押し付けバタつかせる。このセリフもこの行動も何回目だろうか。もう覚えていない。

 

 闇の世界で蔓延る違法アイテムの数々。シスターの私ですら、その気になれば手に入れられる。そんな歪んだ世界。

 一歩踏み込めば後戻り出来ない世界に、8歳の純粋な男の子を巻き込むわけにはいかない。


 シスターの仕事をしつつ、ガボンの依頼を受けつつ、リュカくんを闇に巻き込まないように気をつける。

 随分とやることが増えた。ガボンの存在がなければ、もっと楽になるのに。他にも仕事はあるし、やりたいことだって……



 「って、準備しないと!」



 慌ててベッドを降りる。そしてすぐさま玄関へ向かった。進むたび蹴り飛ばすゴミたち。それを気にしている暇はない。

 外に出た私は周囲を確認し、裏口からこっそり教会に入った。


 誰もいない教会の中。降り注ぐ光はいつもと変わらない。


 この場所を見ると、横暴な冒険者や暇つぶしに来るご老人が頭をよぎる。その多くはいい思い出とは言えない。

 舐めるような目で見られたり、理不尽に罵声を浴びせられたり、偏った知識を披露して私の無知を馬鹿にしてきたり。


 蓄積される怒りとシスターという立場の板挟み。見るだけで不満を掘り返す光景は、同時に私の怒りの感情をぼやかせる。


 矛盾しているのは分かっている。しかし込み上げる怒りと同じくらい、私は教会ここが好きで、シスターである私が好きなんだ。


 

 教会の壁側にそっと置かれた木箱。ゆっくりと近づきの蓋を開けると、見慣れた衣装が入っていた。

 黒い仮面にピンクのウィッグ。その下には燕尾服が綺麗に畳まれている。


 あの家の住人が服を畳むなんて。室内を知っている人ならそう思うだろう。


 魔法を使い街行く人々を楽しませる。それは富や名誉のためじゃない。



 私の魔法でみんなを笑顔にさせたい。

 

 

 だから私はMs.マスケラになる。だから私はシスターとして生きる。


 ありふれた景色が原点を思い出させる。はやる気持ちは、もうなかった。


 木箱の中身を優しく取り出してから、寝巻きを脱ぐ。白いシャツを羽織り、1番下までボタンを止める。一つ一つ丁寧に。それからズボンを履き、燕尾服を着る。最後にピンクのウィッグとマスケラをつければ完璧だ。


 顔の位置に大きく魔法陣を描く。指でなぞった文字が光り、中央に私が映し出される。


 前髪の位置、シャツのシワ、ズボンの汚れ。

 位置を変え、角度を変え念入りにチェックを行う。そして最後の最後に鏡の向こうの私と目を合わせた。



 「大丈夫。怖くない。大丈夫だから」



 声を出しているのは私だ。それでも、こうすることで自然と自信が湧いてくる。

 誰も私に興味を持ってくれなかった時から続けてきたルーティン。積み重ねてきた過去が私の背中を押してくれる気がした。



 「それじゃ、行ってきます」



 小道具が入ったバスケットを片手に、硬い扉を開けた。











 『今日はこの辺りですね』



 冒険者や買い物客で賑わう街の一角。

 武器やポーションに限らず、食べ物や日用品も売っている。すぐそこに銅像もあるため、待ち合わせをする人も多い。


 幅広い客層と、待ち合わせという暇な時間を過ごす人たち。オーディエンスとしては充分だ。

 初めは人の目が怖かった私も、今となれば人がいない方が不安になる。



 良さそうな場所を見つけ、少し弾んだ声で呟く。バスケットを置き、目立つ格好のまま小道具の準備を始めていく。



 しかし誰も私に気付くことはない。


 今の魔法で姿を隠している。誰かに触れない限りは私の姿も、声も、匂いまでも無になる。



 パフォーマーは神出鬼没でなくてはならない。



 私が勝手に決めたルールも、私くらいの実力があれば余裕で守れる。


 

 『さてと、どうしましょうか? 一回派手な魔法を打ち上げて、皆さんの目を惹きつつ――きゃっ!』



 熱心に考え過ぎていた。近くを通る冒険者パーティが私の体にぶつかる。

 気を抜いていた私の体はいとも簡単に吹き飛ばされ、準備した小道具たちを薙ぎ倒していく。



 「何だ? 何だ?」



 「おい、危ねぇだろうが! ん? この姉ちゃんどこかで見たような」



 「あれだよ! 街で魔法ぶっ放す奴!」



 「ってことは魔法使いじゃん! ちょうど良かった俺らのパーティ、魔法使いがいなくてよ! 姉ちゃん、俺らのパーティ入らないか?」



 倒れた私を囲み4人の冒険者が見下ろす。どうやら透明になる魔法は解けたみたいだ。

 ボサボサ頭のおじさんに、無精髭のおじさん。反対に頭部がツルツルのおじさんに、前歯が消えたおじさん。


 唾を飛ばし、頭上から言葉を浴びせる彼ら。



 また、これだ。



 何度も経験した光景だ。魔法が使えると分かった途端、執拗に迫る。

 パーティの生存率を上げるための編成。世間一般的に彼らの行動は何ら不思議ではない。


 それでも個人の意見を蔑ろにする風潮は何度体験しても気持ち悪い。



 魔法の才能なんてなければいいのに。



 人々を笑顔にしたい。嘘偽りのない決心でさえ、日々のストレスのせいで簡単に揺らぐ。

 治療魔法が遅いと怒られ、勧誘を断ると暴言を浴びせられる。シスターの私に愚痴を吐き出す場所はなく、心に蓋をしてじっと耐えるだけ。そんな生活をどのくらい過ごしてきたんだろう。


 どこに行っても私は悪者だ。それを認めてしまう自分が嫌になる。



 「なあ、いいだろ? 姉ちゃん、こんなことするくらいなら暇だろ? 安心しろ。おっちゃんら全員紳士だから」



 怯える私の腕を引っ張る。人の意見も聞かず、粘っこい笑顔を近づける彼らが単純に気持ち悪かった。


 紳士とか紳士じゃないとかどうでもいい。


 それより、私の名前も知らないくせに『こんなこと』呼ばわりされるのが腹がたった。



 こんな奴ら、今すぐ私が――



 「すみません。その人、僕のパーティメンバーなので」



 知らない声が、おじさんたちの向こうから聞こえた。



 ガボン? いや。彼よりもっと若い男性の声。誰だろう?



 「おいおい、兄ちゃん。カッコつけたいのは分かるが、嘘はよくないな。俺らは勧誘中なんだ。女に相手して欲しけりゃ、いい店紹介してやるよ。ガハハッ!」



 今度は男性をおじさんたちが囲う。下品な笑いが耳障りだった。


 地面に座り込んだまま、おじさんたちの間から彼を見る。


 深緑のローブを纏った男性。身長は割と高い方だと思う。ただ、ローブのせいで顔が見えない。



 「立って、。あなたの仕事は皆を楽しませることでしょ?」



 喚きまくる4人の声。野次馬の声。街の騒音。そのどれよりも彼の声が鮮明に聞こえた。



 「あ……はい」



 ゆっくりと立ち上がる。服についた土の汚れを手で払い、彼を見つめる。

 ローブから辛うじて見える口元。見覚えのある彼の口元がニヤリと笑った。



 「それでは……Aer you redy


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