サクサクとふわふわと



 「これより、『第1回 プロポーズ大作戦』を始めます!」



 「……イ、イエーィ!」


 

 バターの香りと温かい光に包まれた空間に、可愛らしい拳が突き上げられる。恥ずかしさと躊躇ためらいを感じつつ、少し遅れて私も拳を突き上げた。


 チャーチベンチに座り、2人の間に皿に乗せたクッキーを置く。クッキーの作り方は小さい頃に教えてもらった。この匂いも、この味も、あの頃から何一つ変わっていない。


 口元にクッキーのカスをつけ、満面の笑みではにかむリュカくん。屈託のない笑顔に胸がちくりと傷んだ。


 

 「で、シスター。作戦会議って何するの?」



 拳を上げたままのリュカくんが、小首を傾げながら質問してくる。


 そう言われても私も分からない。

 実は私も恋愛経験は多くない方だ。昔仲良かった女の子の受け売りを乱用すれば、それっぽいことは言える。でも私の目的はリュカくんに諦めてもらうこと。

 出来るだけ傷付けず、諦めてもらう方向に持っていきたい。一体どうすればいいのやら。



 「……そうですね。ちなみに何かやりたいことはありますか? どこか一緒に行きたいとか。何か一緒にしたいとか」



 「いっぱいあるよ! 鬼ごっこしたいし、お菓子無限に作って欲しいし、虫取りとかもしたいし、畑仕事を一緒にやって欲しい! あと一緒に『アーユーレディ?』ってやつ言いたい」



 「ああ。『Aer you redy?』ですね」



 「そう! マスケラさんの決め台詞!」



 決め台詞か。まあ、間違いじゃない。


 確かに大技をやる直前には毎回言っている気がする。適当に言ったやつだったけど、あんなので喜んでくれるなんて。


 「それから、それから――」と両の手のひらを自分の方に向けて指折り数えていく。

 出てくるのは子供らしい遊びばかり。デートとは程遠い内容だとしても、リュカくんの表情はイキイキしていた。


 少年の一挙一動に心が温かくなり、笑みが溢れる。癒されるとは、まさにこれだ。

 


 こんな時間が続けばいいのに。



 そんな叶わない未来をつい願ってしまう。



 「あと一緒にパフォーマンスしたい! 僕が大人になってもマスケラさんと結婚したら旅をしながらパフォーマンスするんだ。僕はあのカッコいい服で、マスケラさんには可愛い服着てもらって履いてもらう。世界で1番仲良しの夫婦になるんだ!」



 「へー……可愛い服ですか?」



 「うん! マスケラさんズボンしか履かないし。前に街でふわふわのミニスカート履いている子がいてね。マスケラさんにも似合うと思ったんだ」



 目を輝かせながら熱心に話す。


 私もその子のことは知っている。街で1、2を争う富豪の1人娘。名前はエリーちゃんだったはず。


 お父さんは商人で、他の国から武器を仕入れてきて冒険者に売り捌く仕事をしている。


 他の国と関わりがあるからこそなんだろう。エリーちゃんの服はこの国では手に入らない物ばかりだ。

 

 『ふわふわのミニスカート』ことフリルスカートもこの国では子供だとエリーちゃんしか持っていないと思う。



 フリルスカート自体は嫌いじゃない。でも問題は丈と年齢だ。

 リュカくんは今8歳。この国では18で結婚が出来るから最短であと10年はかかる。


 そして10年経てば私は37歳。


 元から少し年上に見られがちだから、見た目年齢は40を超えているかもしれない。40歳でフリルだらけのミニスカートを履く。

 そこまで足を綺麗に保てる自信がない。



 笑顔の裏で勝手に想像して、勝手に落ち込む私。そんなことなど露知らず、リュカくんは次のクッキーへと手を伸ばす。

 大きく口を開け、一気に頬張る。眩しい笑顔でサクサクと音を奏でるリュカくんは幸せそのものだった。


 見ているだけで、胸の奥のわだかまりがほどける気がした。



 「……幸せそうですね」



 「うん! だって大好きなことを大好きな人とするんだよ? 幸せに決まってるじゃん!」



 クッキーを飲み込み、前歯の抜けた歯を見せて笑う。

 少し自慢するような口調も相まって、意識とは裏腹に頬が緩みかける。



 眩しい。眩しいし、可愛い。

 惜しみなく告げられる『大好き』というワード。私の中の幸せメーターは壊れかかっていた。

 今、私が私をたもてるのは訓練で鍛え上げた強靭な理性のお陰だ。


 理性がなくなれば私は暴走する。両腕はリュカくんを抱きしめ、ツヤのある栗色の髪に幾度となく口付けをするのだろう。

 たとえ捕まるとしても、一瞬の幸せを腕の中で作り出せるのなら本望だ。



 脳内に流れる幸せの数々。それらを見まいと目を固く閉じる。理性を援護するために噛み締めた下唇の痛みが心強かった。



 「シスター? 大丈夫?」



 シワだらけになるほど目を瞑り、下唇を本気で噛み締める。お世辞にも可愛いと言えない表情をする私に心配そうな声がかけられる。


 目を開けると眉をハの字にして大きな瞳で覗き込んでいた。不意打ちの可愛いに再度、目を閉じたくなる衝動。それを後ろ手で鷲掴みにした腰の肉の痛みで打ち消す。



 「……ええ。クッキーに1つだけレモンを入れていまして。それが当たったようです」



 「何でそんなことをしたの?」



 「えっと……手が滑ってしまって」



 レモンは嘘だ。でも私の家を見れば、あながち嘘とは言い切れないだろう。

 適当に買った木で作った私のマイホーム。知識はあったから、それなりのものは出来たけど、収納がなさすぎた。

 気を抜けばすぐにゴミ屋敷まっしぐら。余計な物を少しでも買うとすぐに足の踏み場が消える。 


 置き場がなくてキッチンに武器やポーションを置くのも、もはや日常的だ。一度手を滑らせて茶色と紫のマーブルクッキーができた時は本気で反省した。


 でも反省したところで収納や部屋の大きさは変わらない。昨日手に入れたポーションもキッチンに放置したままだし。自分で自分が嫌になる。



 「大丈夫だよ! きっとシスターにもいいことあるって!」



 「本当ですか?」



 「本当だよ」



 「ふふっ、ありがとうございます」



 真っ直ぐ見つめるリュカくんの頭に手を乗せる。手のひら一杯に感じる細くて艶のある髪の毛に、力んできた頬が少しだけ柔らかくなる。


 「えへへ」と笑うリュカくん。いずれ、この子を傷つけなければならないのか。誰でもない私の手で。

 幸せの道の先にある残酷な未来を見つめ、私は優しく頭を撫で続けた。



 バタン!



 教会の扉が勢いよく開いた。

 慌てて立ち上がると、外に2人の男性がいた。


 2人ともローブを着ているせいで顔ははっきりと見えない。 しかし、肩に担がれたままピクリともしない男性を見てすぐに状況を理解する。



 「ミモザさん! 助けてください! 回復魔法じゃ間に合わなくて! 力を貸してください!」



 「……分かりました。すぐに治療を行います。リュカくんごめんなさい。続きはまた今度聞きますね」



 「……うん。分かった」



 突然の怪我人に困惑するリュカくんの背中を押し、教会の外に追い出す。そして軽いお別れを告げたのち、すぐに教会に戻り扉を閉めた。


 ガチャリと後ろ手で鍵をかけると、扉にもたれ大きくため息をついた。



 「……さて、ガボンさん。こういうのは事前に教えてくれと伝えているはずですが」



 「いいじゃん、いいじゃん。結果オーライだし」



 目の前の常識知らずを睨む。しかし気付いているのか、分かって無視しているのか。こちらを一切見ずに肩に背負った人を床に落とす。


 鈍い音に混じり金属音がした。ご丁寧にローブの下に装備をつけているのだろう。

 「床に傷がいくから落とすのをやめて欲しい。」そう何度も伝えているのに、この人はいつまで経っても分かってくれない。



 「いい加減、人形を持参するのは辞めたらどうです? 面倒でしょ?」



 「あー、まあな。でも絶対に怪しまれないだろ?」



 そう言いながらローブのフードをとる。中から現れたホリの深い色黒の男性は、首を横に振りロン毛をなびかせる。



 「で、ミモザ。例のポーションどこ? 早く欲しい」



 「……分かりましたよ」



 淡々と要件を伝える彼に呆れたため息をついた。

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