シスターの日常
チャーチベンチに腰をかける。
時刻は午後2時くらいだろう。下り坂に差し掛かった日の光が私の足元をじんわりと温める。すっかり日焼けした本のページがめくるたび乾いた音を奏でた。
負傷して帰ってくる冒険者も、暇つぶしにやって来るご老人も今はいない。
大好きな場所で1人静かに過ごす。ごく稀にあるこの時間が私は好きだった。
国の中心部から少し離れた畑だらけの土地。そこにポツリと建つ教会で私、ミモザはシスターをしている。
昔から教会という場所が好きだった。
色とりどりのステンドグラス。暖かみを感じるチャーチベンチに質素ながらもこだわりを感じる柱。
朝からここでお祈りをして、適度に労働をしつつ、訪れた人に聖書の内容を伝えて、たまに料理を振る舞う。
絵本で読んだ世界に憧れ、シスターになる事を決意した私。
しかし待ち受けていたのは絵本の世界から、かけ離れたものだった。
この国の周辺ではよく魔物が発生する。そのため冒険者や鍛冶屋、ポーションなどのアイテムショップや冒険者育成学校まで冒険に関わる職種の人がこの国大半を占める。
朝から晩まで魔物の討伐をする冒険者たち。
彼らにとってはお金儲けの一環かもしれない。それでも彼らのおかげでこの国が守られているのは確かだ。私としても生きるための犠牲は仕方ないと思う。
でも問題はその冒険者たちのパーティ編成だ。
パーティの編成は近距離2人と遠距離1人と回復役1人が理想。
しかし魔法を使える人間がごくわずかなため、彼らは剣や弓を持ち、回復役なしでパーティを組む。彼らは基本的に何があってもポーションさえあれば大丈夫というスタンスで動いている。
彼らのポーションに対する信頼は絶大だ。
速く走りたい時はポーションを飲み、回復したい時はポーションを飲み、痛みで限界が来た時もポーションで乗り越える。
そんな後先考えず、ポーション頼りで討伐を終えたボロボロの冒険者たちを私は治療しなければならない。
『隣人を愛する』という教え。魔法が使える私の才能。教会がここしか存在しない現実。
その3つが、いかなる時も治療しなければならない環境を生み出す。
朝晩問わず押しかける冒険者たち。家に帰る事を諦めた私は教会のすぐ隣に小屋を建てそこで生活している。
血だらけの冒険者の治療をし、汚れた教会を掃除する。綺麗になった頃には再び別の冒険者が押しかける。
ようやく落ち着いたと思ったら、ご老人が教会を訪れ、話し相手として使われる。
教会の外にも安息地は存在しない。街に買い物に行けば、冒険者からパーティに入らないかと勧誘される。
相手は私がシスターで魔法を使えることを知っているのだろう。しかし、私は相手が誰かも分からない。丁寧に事情を説明し、しっかりと断る。それで解放されたことは一度たりともなかった。
私を囲み、好き勝手に言葉を浴びせる。逃げる隙が出来るまで、私は耐えなければならない。
優しい笑顔を
このままでは私が終わる。
そう感じ、私は別人になる事を選んだ。
「よし! では、始めましょう」
パタンと閉じた本を傍に置き、人差し指で宙に文字を書いていく。最後に大きく丸で囲えば終わりだ。
完成した魔法陣は淡く光り、半透明の球体が魔法陣を中心に広がった。
私をすり抜け、床をすり抜け、壁や天井をすり抜け広がっていく。建物全体が球体の中に入ったところで魔法陣は塵のように消え去った。
「感知魔法、完了〜!」
シスターらしからぬアホっぽい声で独り言を言いながら壁際に置いてあった木箱に向かう。
ベールを取り、修道服を脱ぎ捨てる。そして木箱にしまっておいた燕尾服を着始めた。
私の修道服は生地が少し薄く、サイズも大きい。おかげで下にシャツとズボンを履いた状態でも汗かく事なく過ごせる。
燕尾服のボタンを止め、ウィッグの準備をしていく。最後にマスケラをつければ完成だ。
ブロンドのショートカットはセミロングのピンクウィッグに隠れ、特徴的な垂れ目もマスケラのおかげで分からない。
余裕があるならサラシで胸を潰しておきたかった。でも普段からスタイルの分かりにくい修道服を着ている。ボディラインについては、そこまで意識していなかった。
「よし! Ms.マスケラの完成! じゃあ次は練習を……Aer you redy?」
笑みを含んだ表情でいつもの台詞を口に出す。この場には誰もいないから羞恥心などあるはずがない。
先ほどまで読んでいたページを開き、頭に入れた手品を練習していく。
週に1回あるお休みの日。その貴重なお休みに私はMs.マスケラとして街でパフォーマンスを行う。
時間は不定期、場所も未定。その日に「ここだ!」と感じた瞬間に唐突に始める。
内容は一般的なジャグリングや手品に魔法要素を加えるだけ。魔法自体、街で見れるものではないからか、周囲の反応は良かった。
最初はただのストレス発散だった。でも決まりや役目に縛られず、普段の私とは違う私になれる。そんな楽しさが私を虜にする。
そう。本当にそれだけで良かった。
突如教会の中が赤く染まる。誰かが感知魔法の範囲内に踏み込んだ証拠だ。
せっかくつけたマスケラとウィッグを剥ぎ取り、木箱に投げ入れる。木箱に蓋をし、修道着を着たところで教会の扉が開いた。
「シスター! こんにちはー!」
元気な声と共に短髪の少年が扉からひょっこりと顔を出す。
彼はリュカ。この教会の近くに住んでいる男の子で畑で、よく採れた野菜をお裾分けしてくれる。
栗色の髪と大きくて丸い目。教会の中で幾度となく反射した光が彼のライトブラウンの瞳を最大限まで輝かせる。その輝きは露店で売っている宝石と比べるまでもない。
8歳になったばかりのリュカくんだが、まだ素直で可愛らしい。
この教会を訪れる人の中で唯一私を癒してくれる存在で、限界を迎えかけた時に来てくれると思わず抱きしめたくなる。
これは余談だが、私は去年リュカくんから「結婚して」とプロポーズを受けている。
26歳が7歳に手を出すわけにはいかない。それを理解していてもプロポーズされて悪い気はしない。その日は1日中ニコニコしていた。
こんな可愛い子もいずれ、大きくなって、反抗期が来て、ここにも来なくなって……それを想像するだけで悲しくなれる。ならば今のうちにスキンシップを取るのもありじゃないか。
疲労で働かなくなった頭は犯罪へと走り出しかねない。そんな煩悩を理性で縛り上げ、私は今日も彼と接する。
「リュカくん、こんにちは。今日はどうされました?」
にやけるのを必死に抑えて、優しい笑顔を向ける。
今日はどんな話を聞けるのか。そう楽しみにする私に対してリュカくんは下を向き、もじもじし始めた。
どうしたんだろ?
ゆっくりと彼の元に近づく。そして膝をつき両手を彼の肩に置いた。
「大丈夫ですよ。私はどんなことでも聞きます」
「……あのね……前、シスターに結婚してって言ったけど……もう1人好きな人が出来ちゃって」
申し訳なさそうに言葉を紡ぐ少年。彼の柔らかな髪を私は優しく撫でる。
……そっか。好きな人か。
当然と言えば当然だ。私とリュカくんの年齢差は19歳。リュカくんはともかく、私はリュカくんを異性として認識するのは難しい。
それにリュカくんの周りに同世代の女の子がいないわけがない。私がリュカくんの立場なら、3倍以上年上の女の人より、同い年の子と仲良くする。
これから恋をしていけば教会に遊びに来ることも減るんだろうか。そう考えると少し寂しく感じる私もいる。
「構いませんよ。リュカくんが好きだと思ったならそれで良いです。その人のことをたくさんの人を好きになってください。ところで、好きな人というのは、どなたですか?」
「えっとね。Ms.マスケラって人」
ふーん。Ms.マスケラね……
興味本位の質問。最初は本当に分からなかった。
聞き覚えのある名前。それが誰だったか記憶を辿るうちに、髪の撫でる手がぎこちなくなっていく。
本能的に上がる力と理性で下げる力が拮抗する。泥試合になりそうな口角を押さえ込むため唇を内側に巻き込んだ。
唯一残された空気の通り道。その鼻の穴は大きく丸く膨らんでいるのだろう。
ニヤつくのを我慢するために作った顔はお世辞にも可愛いとは言えない。
鼻息の荒い変顔に髪の毛をボサボサにされたリュカくん。
前歯の抜けた歯でニカッと笑うその表情が心臓の鼓動を大きくさせた。
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