第2話 コーギーって可愛い

 事態が落ち着いた後、俺はお姉さんに説明を求めた。彼女の名前はカエンというらしい。


 カエンから伝えられた事柄を改めて確認する。


「つまり、その犬はケルベロスってヤツで、俺はそれに体当たりされて気絶したと。で、あなた達は、魔王の子供である俺の護衛だと」


 にわかには信じがたい。俺の膝に乗っている犬は、どう見てもコーギーである。現在は首輪によって魔力を抑えつけられており、かように愛くるしい風体になっているのだとか。


「で、ザインだっけ?」


 俺は男に声をかける。もげた足は既に再生して、元どおりになっていた。


「いえ」男は前髪をクネクネと弄びながら、「正確には、ザインハルト=バーデッシュリヒト=フランボワーズッケラ……」


「もういい」


 俺の制止を意に介せず、ザインは呪詛のように名前を唱え続ける。最初に自己紹介をしたときも同じであった。


 名乗りを途中でやめると死んでしまう呪いでもかけられているのだろう。まあいいや。今のうちに、状況を整理しておこうかな。


 どうやら俺は魔界に転生したらしい。それも、既存の悪魔に魂が憑依する形で。もともとの体の持ち主の魂はどこに行ったのかが気になるが、好奇心に倍する失望が俺を支配していた。


 なんで、悪役令嬢じゃねえんだよ!


 せっかく奇跡的な確率で転生したというのに、魔王の子供とはなんたることだ。


 これでは夢のハーレムを築けない。俺は男女関係なく美形が好きなのだ。麗しい紳士、可憐な淑女に囲まれてこその異世界転生ライフではないか。


 いや待てよ、閃いた。


 もう一回トラックに轢かれれば、もしかして悪役令嬢に転生できるかもしれないぞ。二度あることは三度ある。試してみる価値はありそうだ。


 つっても、トラックがねえわな。そういえば、このワンちゃん、ケルベロスなんだっけ。したらば、全力でタックルしてもらえば転生できるかも。


「ケルベロスちゃん。ちょっと俺にぶつかってくれないか?」


 コーギーを膝から下ろし、立ち上がる。


「全力でタックルしてくれ。後生だ。頼む」


 コーギーは戸惑った様子でカエンを見上げた。カエンは我関せずと言いたげに目を逸らす。


「さあこい」


 ぷるぷると震えていたコーギーが意を決した表情に変わり、地を踏み締める。ぐんぐんと速度を上げ、こちらに向かってきた。


 コーギーが飛翔した。みぞおち辺りに激突される。もふん、という感触。思わず抱きしめる。


 作戦は失敗だった。まったくダメージがない。モフモフした物に飛びつかれた満足感を得ただけだ。


 コーギーは愛くるしい瞳をこちらに向けている。ぼく上手にできた? とでも言いたげだ。そんな顔をされては、撫で撫でするしかないじゃないか。


「あの、よろしいですか……」


 カエンが気まずそうに声をかけてくる。


「はい、何ですか?」


 俺は犬をモフモフしながら、発言を促す。


「殿下は本当に記憶を失くされたんですよね? 私達をからかってるのではなくて」


 正直に転生したと言うと、ラノベ脳乙とかバカにされそうなので、記憶喪失という設定にしておいたのだ。魔王の子の身体を乗っ取ったと分かった今、ファインプレーだったかもしれない。


 俺がうなずくと、カエンが続ける。


「でしたら、しかるべき術師に記憶の再生を依頼いたします」


 記憶の再生? つまり、元の持ち主に体を返すということか。その場合、俺の魂はどこに行くのだろう。地球にもどるのか、はたまた別世界に転生するのか。


 最悪は魂が消失するかもしれないが、悪役令嬢に転生する確率もゼロではない。試してみる価値はありそうだ。


「私は殿下の決めたことに従うだけです。とりあえずは飲み物でも召し上がって、気を落ち着けてはいかがですか?」


 迷う俺を見て、カエンが気を利かせてくれる。言われてみれば、喉が渇いた。口の中が血だらけで気持ち悪い。ありがたく好意を受ける。


「どうぞ」


 カエンからグラスを受け取る。赤ワインのような液体で満たされていた。これはもしや。恐る恐る口をつける。


 予想はついていたが、血液だった。


 合点がいった。口の中が血まみれなのは、元の身体の持ち主がこれを飲んでいたからだ。グラスを片手にしていた時に衝突されたせいで、顔も汚れていたのだ。


「カエンさん。申し訳ないんですが、お水をいただけませんか?」

「水ですか? 珍しいですね。小川で汲んできます」


 カエンは俊敏な動きで近くの林に入っていった。


「……ザッハトルテ=マモン。親しみをこめてザインと呼んでください」


 そういやこんなヤツいたな。今まで名乗りを続けていたようだ。暇つぶしに会話でもしてみよう。


「ザイン。なんで、ワンちゃんをいじめてたんだ?」

「なぜって、殿下にぶつかったからッスよ。いつもの殿下なら速攻で切り捨ててますよ」


 どうやらこの身体の元々の持ち主は気性が荒いらしい。魔王の子なのだから当然か。


 ザインは続ける。


「さっさと殿下の記憶を戻して、ケルベロスの処遇はそれからッスね」


 まずいぞ。このままではワンちゃんが処罰されてしまう。今のうちに助けなくては。


「待つ必要はない。こいつは解放する」

「それはダメでしょ。殿下のことだから、記憶が戻ったらブチ切れますよ」

「いや、キレないから。解放してあげてよ」

「そう言って、いつも後で怒るじゃないですか。イヤですよ俺は。記憶が戻るまで待ちます」


 なんで都合の悪いとこだけ律儀なんだよ。押し問答が続く。らちがあかない。


 コーギーは尻尾を振り振りしながら、こちらを見つめている。この子には俺だけが頼りなのだ。見捨てるなど、鬼畜の所業である。


「殿下、お水をお持ちしました」


 カエンが戻ってきた。竹筒にいれた水をグラスに注いでくれる。


「ありがとうございます。というか、魔法とかで水出せないんですか?」

「出せますよ。しかし、殿下はオーガニックにこだわっていらっしゃるので」


 どこの女優だよ、男の風上にも置けん。


 しかし、この水はうまいな。殿下が天然物にこだわるのも分かる気がする。


「血だって、天然物しか飲まないんすよね。人間界から密輸してる俺の苦労も考えてほしいッスよ」


 ザインが口をはさんだ。記憶が戻る前に愚痴っておこうという算段なのだろう。わかりやすいほどのお調子者である。


 喉を潤した俺は、満を辞して切り出す。


「記憶の再生はしばらく待ってほしい。他人の魔術に安易に頼るなど、未来の魔王である俺のすることじゃない」

「仰せのままに」


 カエンが畏る。


「やったぜ! しばらくはこき使われずにすむじゃん」


 ザインは両手をあげて受け入れた。


 こうして俺はしばしのあいだ、魔王の子供として暮らすことになった。ワンちゃんを救うまでの短いあいだだ。


 ここで善行を積めば、次回の転生で悪役令嬢になれるかもという下心を抱いているのは内緒である。

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魔王の子は悪役令嬢になりたい 本田翼太郎 @1905771

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