第3話「相手の人生」


「いいか? 学校でも俺のふりをしてろよ! くれぐれもみんなにバレないようにな!」

「う、うん……頑張ってみる」 


 翌日、自分達の教室に向かいながら、俺達は廊下で気を付けることを確認する。学校でも、入れ替わった事実はクラスメイトには明かさない。お互いのふりをして生活することにした。


「ねぇ安藤君、昨日私の体で変なことしてないよね?」

「え……あ、も、もちろん! するわけねぇだろ!」


 澤口が恐る恐る尋ねてきた。もちろん澤口が気にするようなことは、俺は何もしていない。風呂でまじまじと裸を見たり、タンスを漁って下着を眺めたり、トイレで局部を確認したり、寝る前に胸を揉んだりなんか、俺は全然していない。


「そういうお前はどうなんだ?」

「ううん、してないよ!」


 だろうな。考えてみれば、聞くまでもない。仲の良い友達に囲まれ、頼まれたことは断らず引き受け、困っている人を見捨てることは決してしない。そんな優しさの擬人化みたいな澤口が、約束を破るはずがない。




「……///」


 なんか、一瞬澤口の頬が赤く染まっているように見えたのは、気のせいか?




「じゃあ、行くぞ」


 教室にたどり着き、俺は恐る恐るドアを開いた。ガラッと鳴る音が、まるで戦闘開始を告げるゴングのように感じられた。


「あっ、萌音~、やっほ~♪」

「おはよう、萌音」


 真っ先に目に飛び込んで来たのは、澤口と特に仲の良いクラスメイトの女子二人。昨日澤口から貰ったメモには、確か『千鳥凪沙ちどり なぎさ』と『杉咲智絵美すぎさき ちえみ』と書かれていた。

 先に明るく挨拶をしてきた快活な性格の千鳥と、比較的落ち着いた性格の杉咲。クラスメイトとの会話履歴を一切積み上げていない俺にとって、もはや初対面と同等だ。どんな奴かはさっぱりである。


「おはよ~、ナギちゃん、チエちゃん♪」

「ちょちょちょっ! 澤口!」


 二人の姿を見るや否や、教室に入った澤口は満々の笑みで挨拶を返した。何やってんだ! 今の澤口は俺の体になってんだぞ! クラスメイトとの交流が一切無い俺が、唐突に明るく挨拶してきたら不自然だろ!


「澤口! 俺らしく振る舞えっての!」

「あっ、ご、ごめん……ついいつもの調子で……」


 小声で俺に指摘された澤口は、ばつが悪そうに学校鞄を両腕で抱え、二人から目を反らしながら俺の机へと向かう。先程の俺の声で放たれた浮わついた挨拶が気になるらしく、二人は俺の姿をした澤口をジーッと見つめる。


 よし、俺はきちんと澤口らしく……


「おっ、おはよ~、ナギちゃん、チエちゃん♪」

「う、うん……」

「お、おはよう……」


 澤口が俺の声でだけど、模範解答を示してくれたからな。普段のあいつの様子も思い出しながら、俺は澤口になりきって明るく挨拶してみた。普段使わない表情筋が刺激されて痛い。二人は唖然とした様子だが、決して今の俺の挨拶に違和感を抱いているわけではない。


「萌音、安藤のやつどうしたの?」

「なんかいつもと様子違くない?」

「どっ、どうしたんだろうね~? あはは……」


 やはり、先程の澤口の素が出てしまった失態を不審に思っていた。俺がクラスメイトに対して唐突に陽気に接すると、こういう反応をされてしまうらしい。恥をかいたのは澤口の方だが、なぜ自分まで惨めな思いが込み上げてくるのだろう。


「まぁいいや。そんなことより、萌音~! 今日の英語の宿題のプリント写させて~! 私忘れちゃった~!」

「なっ!?///」


 すると、千鳥が俺に勢いよく抱き付いてきた。頬と頬がベッタリと触れてしまうほどの距離だ。しかも胸が当たってるし。この感触、千鳥の奴もなかなかのものをお持ちで……


 って、何考えてんだよ俺は!!!///


「ねぇ~、一生のお願い~!」

「ちょっ、ちっ、近い……///」

「え、あっ、ごめん。痛かった?」


 千鳥が動揺している俺に気付き、申し訳なさそうに離れる。眺めている分には特に何とも思わなかったが、いざ抱かれるとドキドキするな。女特有のいい匂いもするし、胸が当たり合う感触が柔らかくて恥ずかしくなる。これが女のスキンシップってやつか……。


「そんなに驚いてどうしたの? いつものことじゃん」

「いつも暑苦しいから、流石の萌音も嫌になってきたんでしょ」

「何よそれ~、チエりんひど~い!」


 チエりん!? 何だその呼び方。ゆるキャラみたいだな。友達同士では当たり前なのか? 萌音達女子生徒は、いつもこんな距離感なのか? よく分からん……。


「さっ、早く席に着きましょ」

「センコー来るもんね」

「そ、そうだね~」


 返事一つするにも、澤口の真似をしなければならない。実に面倒くさくて嫌になる。いちいち女の声で放たれるため、違和感が毎回喉に詰まって歯痒くなる。


「うぅぅ……」


 澤口が離れた席から、潤んだ瞳でこちらを見てくる。友達の中でも特に仲の良い二人を取られ、しかも自分は変人扱いされたことにより、恐ろしい疎外感を抱いているらしい。自分が自分として見られないって、確かに辛いもんな。


 でも、そんな目で俺を見ないでくれ……俺だって好きでこの二人とつるんでるわけじゃねぇんだ……。






「濃尾平野の西南部の辺りでは、木曽三川、つまり木曽川、長良川、揖斐川の三つの川が集中している。この地域では昔から、しばしば洪水の被害を被ってきた……」


 社会科の教師が朝から催眠術をかけてくる。普段の俺なら理解を放棄し、机に伏せて早くも現実逃避を始める頃合いだ。

 しかし、俺は今澤口の体を被っている。俺の愚行一つで、彼女の学業を容易く狂わせてしまう。彼女の優等生のイメージを壊さないためにも、真面目に授業に耳を傾けなければならない。実に面倒くさい。


「ハァ……」

「萌音……萌音!」

「ん?」


 隣の席の杉咲が、横から小声で呼びかけてきた。何だ? 真面目に授業を受けてるぞ。俺、また何かやらかしちゃいました?


「足! 見えるって!」

「あっ……///」


 俺は咄嗟に両足を閉じ、片手でスカートを押さえる。俺としたことが、自然と両足を開いてガニ股になっていた。その体勢では、スカートで隠れた下着が露となってしまう。前に目を向けると、こちらを覗いてきた男子生徒数名が、慌てて背を向けた。


「くっ……///」


 ヤベェ……男にまで見られていたとは。頬に熱が集まっていくのを感じる。パンツを見られるって、こんなに恥ずかしいものなのか……。






 キーンコーンカーンコーン

 昼食の時間までが、まるで拷問のようだった。いやらしい視線と重たい胸の重量に耐え、いつまでも慣れない女子制服の感覚に戸惑い、垂れてくる長髪の鬱陶しさと格闘し、挙げ句の果てには理解に苦しむ授業を長々と聞かされた。


 ……最後のは入れ替わりは関係ないか。


「クソッ、このスカートってやつ、未だに慣れねぇんだが。どうにかならねぇのか……」

「仕方ないよ……安藤君は今、女の子なんだから……」

「言わないでくれ……」


 事実を言葉にされると、余計に羞恥心が積もっていくからやめてほしい。澤口の方こそ、きちんと男らしく接してくれてるんだろうな?

 ちなみに、今は澤口と共に空き教室へと向かっている。昼食を共にしながら、お互い困っていることはないか、今後の立ち回りなどを確認する。放課後には自動的に元に戻るが、それまでの数時間ですら耐えられるかどうか精神的に危うい。


「あ、安藤君、トイレ行ってもいい?」

「あぁ」


 トイレへと向かっていく澤口を見送った後、俺は自分の体へ再び目を向ける。良い思いもしたが、やはり苦労することの方が圧倒的に多い。

 だが、同時に学んだこともある。今日一日で俺が疲弊してしまうほどの苦労を、澤口は毎日抱えて生きているのだ。生まれてから今日まで、17年間ずっと。侮っていたわけではないが、こうして相手の人生を背負ってみることで、どれだけ違う世界を生きているかが分かる。


「……」


 そして、俺は不思議とこうも思ってしまった。澤口のことを、もっと知りたいと。






「キャァァァァァァァァ!!!!!!」




「な、何だ!?」


 突然、トイレの方から女子生徒の悲鳴が聞こえた。トイレということは、澤口の身にも何かあったかもしれない。俺は急いで悲鳴を追いかけた。






「……あっ」


 俺がトイレの入り口にたどり着いた時、澤口がのドアから慌てて飛び出してきた。忘れてはいないかもしれないが、重要なことなので何度も明記しておく。俺と澤口は今、体が入れ替わっている。


「おい、澤口……」

「えへへ……間違えちゃった」

「間違えちゃった……じゃねぇよ!!!」


 この屈辱的な出来事を、俺は一生忘れはしないだろう。俺の顔を被った澤口の屈託ない笑顔を見て、そう思った。


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