第2話「入れ替わってる」



 ずっと真っ暗闇だった視界に、ようやく光が差し込む。倉庫の照明だ。眩い光が目蓋を刺激し、俺はゆっくりと目を開ける。


「どう? どう? 自分の体、鏡で確認してみてぇ~!」


 魔女が遠足前の小学生のようなハイテンションで、車輪の付いた姿見を転がし、俺の目の前に移動させる。


「うーん……一体何が……って……ん?」


 姿見に写る自分の姿を確認しようとした時、俺は自分が発した声の違和感に体を止められる。声が異様な程高い。男のような低く詰まった声ではない。女のような透き通った高い声が、俺の口から放たれている。


「え……え?」


 咄嗟に喉に手を当てるが、そこにあるはずの喉仏の膨らみが失くなっていた。言葉にならない戸惑いの声も、やはり女性らしさを帯びた高い声にしか聞こえない。


「これが、今のあなたの体よぉ~」

「……は?」


 ようやく姿見に顔を向けることができたが、俺は鏡面に写るガニ股の澤口に驚愕した。俺が右手を動かして頬に当てると、鏡に写る澤口も同様に右手を動かし、頬に当てる。左手で自分の髪に触れると、同様に鏡に写る澤口も真似をする。


「これが……俺?」

「そう、今のあなたは……えっと……あ、そういえばまだ名前聞いてなかったわねぇ~」


 間違いない。鏡の中で動揺している澤口は、紛れもない俺自身だ。そのことに気付いた途端、肩まで伸びた桃色の長髪の感触が伝わる。俺の髪はこんなに長くない。それに、全体的に体が軽い。

 次に襲ってきた違和感は、自分が身に付けている衣装。意識を失う前、俺は白色の半袖カッターシャツと青いスラックスを履いていた。高校で指定された夏用の男子制服だ。

 

「こ、これは……」


 しかし、目線を下にやると、肩にかかる大きな青色のセーラー服の襟と、胸元に結ばれたキュートなピンク色のリボンが見える。そして、腰に巻かれた生地の薄い青色のプリーツスカート。裾から白い生足がそそり出ており、大きく股を開いていてはしたない。


「女子の……制服……」


 そう、これは先程まで澤口が着ていた女子制服だ。いつも端から他人事のように眺めていた衣装を、男である自分が身に付けている。スカートのヒダが太ももに触れる感触が何ともくすぐったい。寝ている間に女装させられたような気分だ。


「なっ……///」


 しかし、決して女装ではないことを、次に襲ってきた違和感が訴えてくる。リボンが乗っかっている胸の膨らみだ。小動物のように軽くなった体の中で、唯一ずっしりと重みを感じる二つの胸。

 胸元を包む装着物の感触も、遅れてやって来る。平らな胸の男には縁のないブラジャーという代物だ。


 視界に写る何もかもが、女の体に……澤口の体になってしまった事実を訴えてくる。信じられない。本当に俺が澤口になっちまったのか……。


「こ、これが……澤口の……///」


 プルプルと震える澤口の……俺の両手は、自然と膨らんだ胸へと吸い寄せられる。許されないことだとは分かっている。でも、少しだけ……




「ん~……」

「ぬぉっ!?」


 隣から声が聞こえた。機械を挟んで右隣の椅子に、が座っていた。正確には、澤口の人格が入った俺の体だ。俺はすぐさま両手を胸から離した。

 危ない危ない……胸を触られているところを見られたら、俺に変態のレッテルが貼られるところだった。いや、もう遅いか?


「うぅ……ん? あれ、私……あれ? この体……」

「お前……澤口か?」


 隣で声を発しているのは、確かに俺の体だ。しかし、女が喉を借りて話しているような、少々裏返った浮わついた声。両足を閉じて内股になり、まるでオカマのような仕草を見せている。中身が澤口であることは明白だった。


「うん。もしかして、安藤君?」

「あぁ……」


 澤口の前にももう一台姿見が用意されているが、彼女は鏡を覗き込むことなく、椅子から立ち上がって俺の方へとゆっくり歩み寄る。俺も椅子から立ち上がり、俺の体となった澤口へと駆け寄る。


「本当に入れ替わったんだな……」

「目の前に私がいる……変な感じ……」


 澤口は目の前の自分の姿をした俺に呆然としつつ、寂しくなった自分の胸元を撫でる。落ち着かないのも無理はない。異性の体になってしまっただけではなく、目の前に自分の体が立っていて、自分の意思とは関係なく動いたり話したりしているのだ。


「男の子の体って、こうなってるんだね」


 いちいち澤口がトイレを我慢するようにもじもじした仕草をするため、俺がオカマになってしまったように見える。それを他人の体で客観的に眺めているため、余計に見るに耐えない。俺の声で女っぽい口調もやめてほしい。


「えーっと、安藤君と澤口ちゃんだねぇ? 実験は成功ぉ。二人の体は入れ替わったよぉ~」

「入れ替わったよぉ~じゃねぇよ! 大丈夫なんだろうな!?」


 呑気に実験の成功を喜ぶ魔女に、俺は怒鳴り散らす。澤口の体でありながら、ついいつもの調子に声を荒げてしまう。普段からおしとやかな澤口だから、こんなこと言わないんだろうな。


「もちろん。24時間で自動的に元に戻るよぉ~」

「そうか。なら良か……良くねぇよ!!!」


 魔女の言うことに何一つ安心できない。時間が立てば入れ替わりが解除されるのは良いとして、裏を返せば24時間は入れ替わった状態のままということだ。その間、俺達にはそれぞれ自分の生活がある。


「まぁまぁ、言ったでしょ? 報酬は弾むってぇ」

「褒美の問題じゃねぇんだよ!!!」

「あっ、安藤君!」


 怒りの形相を魔女に近付ける俺。そんな俺を慌てて止めようとする澤口。何やってんだ、俺は。自分の体で誰かに危害を加えられる澤口の身にもなってみろよ……いや、もうなってるか。


「とにかく、解除される頃にまたここにおいでぇ。入れ替わってる間のこと、色々聞かせておくれよぉ~」


 魔女がバインダーを持って微笑する。異性の体で生活した場合のデータを収集したいんだろう。それも実験の一貫ということだ。




 全く……とんでもない騒動に巻き込まれてしまったな……。








「ハァ……なんでこんなことに……」

「ごめんね、私が巻き込んじゃったみたいで……」

「いや、いいんだ」


 二人で並んで帰り道を歩く。俺の人生で決して実現することのなかった夢のような光景だ。中身が入れ替わっているという余計なおまけさえなければ、文句なしの幸福だったのにな。

 それにしても、胸が重てぇ……女ってこんな苦労を抱えてたんだな。男は舐め回すように眺めているが、女にとってはとてつもない拷問だ。


「でも、私が協力しようなんて言わなければ……」

「いいって。お前も本当にこうなっちまうとは思わなかったんだろ」


 澤口……責任を感じているのか。瞳から涙がこぼれそうになっている。俺の姿で勘弁だが、自分が魔女の頼みを引き受けたことによって、今回の事態を招いてしまったとなれば、罪悪感にうちひしがれるのも理解できる。


 ……ここは男の俺が支えてやらないとな。今は女だけど。


「男のことで分かんないことがあったら、何でも教えてやる。こうなっちまった以上、何とか力を合わせて24時間乗り切ろう」


 俺は澤口の涙を指で拭った。こんな超常現象など、誰も信じてくれるはすがない。家族に説明しても無駄だろうから、今夜はお互いの体の方の家に帰り、お互いのふりをしながら生活していく。情報交換に忙しくなるぞ。


「安藤君……ありがとう……」


 澤口の安心した表情を見て、俺は思った。同じ運命を背負う者が、彼女でよかったと。






「……じゃあ早速なんだけど、これ、どうやったら収まるのかな?///」


 澤口は自分の股間を指差した。俺は生まれてかつてないほどの辱しめを受けた。


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