第73話 思い込みは都合よく

 すべての人の脳の中にエゴがあります。

 エゴは自分を包んでいる肉体を維持するため、比較し、他者を蹴散らし、うまく立ち回り、なるべく省エネで安全に動こうとします。しかもそれは物理ルールの中で行われるので、体力的にも精神的にも金銭的にも、大変な作業になります。

 存在しない常識や普通だと信じていることを、幼いころから周囲の大人たちに吹きこまれた結果、それが正しいと信じきっていて、そこからはみ出ているものは排除しようとしたり、関わり合いを持たないようにします。

 そんな信じきっているモノやコトを「自分だけのモノサシ」と言います。

 「自分だけのモノサシ」を正義と信じてしまっている人は、それが世界共通であると勘違いしてしまい、世の中で振り回しはじめます。それは「私は正しい、ゆえにお前間違い」ということになり、摩擦や分断がはじまります。

 一方的な攻撃は、反発を招くだけで、物事の解決にはなりません。「自分だけのモノサシ」は自分の人生の判断基準として持っている分には何も問題ありませんが、自分の外に向けて振り回しはじめると、小さな独裁者のようなものです。

 「自分だけのモノサシ」のことを一般的に言うと「思い込み」です。思い込みの強く固まったもののことを「自分だけのモノサシ」と言っています。

 「思い込み」は大なり小なり誰にでもあるものです。

 それは地方や地域の特色、家族の中のルール、その学校での流行りなど、育ってきた環境などや、本人の体験や思考、得てきた知識なども一因となります。

 地域や地方の特色、家族内のルールというのは、たいてい幼い時期に大人に「これが正しい」、もしくは「これが当たり前」という形で伝えられていることが多いのではないかと思います。幼少期の子供は物事の吸収率がものすごく高いので、大人の言葉を信頼してしまって、それを疑ったり、自分で考えるようなことはなかなかしないと思います。

 また、本人の体験というのが最も強く「思い込み」の要因になります。他人の言葉よりも自分が実際に体験したことというのは、より強く、より深く、さらに、自分だけのケースかも知れないという考えになることは少なく、それがすべてだと思ってしまうことがあります。

 簡単な例をあげると、ある女の子が男の子にいたずらされたとして、その女の子は、男の子は全員そういうことをする種類であると思い込む、みたいなことです。

 他にも例をあげようと思えば、いくらでもあることです。大人になってもこういうタイプの思い込みは多く、人種差別や宗教差別、地域差別などに繋がっていきます。

 この手の思い込みは、主に個人的な体験があって生まれるもので、こういう体験をもとに生まれた思い込みは、さらに強固なものになりがちです。

 こうして、すべての人がいろいろなことについて思い込みを持っていて、世の中に対して自分の基準を当てはめては、SNSなどで、どれが正しいとか、間違っているなどと声を上げています。

 それが摩擦や分断を生むこともあり、結局誰も幸せにならない結果にたどり着くことが、どれほど多いことか。そもそも自分の言葉に責任を持っていないこともありますが、まずは「私は正しい、ゆえにお前間違い」という思考がとんでもないです。


 たしかに「思い込み」は強固です。

 ちょっとやそっとで解放することはできないでしょう。

 しかしそのせいで、あなたの目の前を通っていく幸せや喜び、豊かさやチャンスを逃していたとしたらどう思いますか。それでも「思い込み」を放置しますか。

 放置をすることも本人の自由です。誰にも止める権利はありません。法律や条例に触れるようなら警察が止めてくれるでしょうし、あとは本人の自由意思です。

 しかしニュースなどで見かけますが、年齢を重ねたいい大人がご近所トラブルのような事件を起こしています。その犯人とされる人たちの顔を見てみると、多くの人が眉間にシワを寄せていて、幸せには見えない顔つきをしています。あくまでもぼくが見た範囲ですが。こういう人たちも「私は正しい、ゆえにお前間違い」という、正しいの思い込みを元にして、そういう結果にたどり着いています。

 そんなふうになりたくなければ、「思い込み」をどうにかしなければなりません。

 思い込みを消滅させることはほぼ不可能だと思います。やればできますが、社会から完全にはみ出ることになります。誰もが思い込みで生きていますから、自分だけ本質を見ていては誰とも話ができなくなります。また、そういう人ははみ出した者として冷たい視線を浴びる可能性も出てきます。

 ではどうするのか。

 ぼくは、「思い込み」という枠組みはそのままにして、内容を変えることにしました。つまり、思い込み自体は、エゴがある以上なくなりませんからしょうがないとして、思い込んでいる内容をポジティブなものに変更して、システムを使っています。

 たとえば、「人生が上手くいかないのは政治のせいだ」という思い込みがあったとします。それでは政治が変わらないかぎり、自分は納得しないでしょうし、その流れで人生が上手くいくことはなくなってしまいます。なのでこういう場合は「人生は順調に上手くいってる」これだけにして、あとは日常生活の中で、隙があれば繰り返し思い込ませます。

 「人生は順調に上手くいってる」という思考が体になじんでくるころには、すでに「類は友を呼ぶの法則」が起動していて、現実的に順調であり、どういった形であれ上手くいきます。それが自分の望んでいるものと違ったとしても、上手くいってない人生よりははるかにいいわけです。

 あなたが思い込んでるものに気づくことは難しいでしょうが、日常の中でふいに気づくこともあるはずです。そのときに放置してしまうのではなく、それがネガティブな思考かどうかを確認してください。もしネガティブな思考であれば、正反対か、そこから離れるようなポジティブな思考に上書きしてください。いつまでもネガティブなまま置いておくのは、これから先の人生に暗雲を引き寄せるだけです。

 どうしてもポジティブな思考にできないのであれば、気づいたあとに「っていう冗談」とか「それはない」など、否定的な思考に否定をぶつけてください。マイナスとマイナスを足せばプラスになります。

 とにかく、否定的な思い込みを否定のまま置いておかないことです。

 「人が嫌い」というなら「人間は素晴らしい」と無理やりにでも思い込んでください。「私は正しい」と考えるなら「みんなも正しい」と付け足してください。

 個人的な考えですけど、スピリチュアルな人生の最初期は、やせ我慢だと思っています。急に思考や行動が変わるわけではありませんから、すこしずつ変化させるしかありません。そうなると最初は無理にでも、思考を作ったり、行動を変えたりする必要が出てきます。あくまでも慣れるまでですから、今度の人生をより良いものにするためと思ってのやせ我慢です。


 過去にも書いていますがあらためて書かせていただきます。

 すべての人が正しく、すべての人が間違っています。あなたは正しい、しかし他人から見れば正しいかどうかは分かりません。間違っても、頑なに「自分が正しい」と考えてはいけません。この世で絶対正しいのは、その国の法律と条令だけです。

 正しさとは価値観です。価値観は人それぞれです。生まれや育ち、体験したことで価値観は変わります。昔はアレルギーも好き嫌いだと思われていた時代があったんです。あなたが生きてきた環境は、この世のすべてではないと知ることです。

 自分を信じることはとても大切です。しかしそれは自分自身に向けるものであり、外に向けるものではありません。外に向けたとたん、それが凶器になることもあるんです。あなたの常識は世間の非常識という言葉もあります。そのことを忘れないでください。

 あなただけの思い込みであるのなら、もっと心を広げるような、ポジティブな思い込みをしてください。

 世界は美しいんです。人々はみなやさしいんです。この世は愛であふれています。誰もが幸せに楽しく生きています。愛はいつでもぼくたちを見守ってくれています。すべては順調であり、何もかもが幸せを満喫しています。

 これぐらいは思い込んでみてください。圧倒的な幸せを体験できるはずです。

 ぼくはまだ出来ていませんが、その端っこぐらいは体験させてもらってます。ちなみにぼくは「世界は素晴らしく楽しい」、「出会う人はみなやさしく親切である」、「ぼくの人生は順調で幸せである」と思い込んでいて、人生が変わりました。文言通りの体験ではないですが、その気分は確実に体験できました。

 ぜひ、素晴らしい思い込みをして、素晴らしい体験を重ねてください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る