第67話 分別しない世界に生きる

 これまでにも何度も繰り返し書かせていただいてますが、エゴのお話です。

 生まれて初めてリンゴを認識するというとき、エゴは何かと比べてそれではないからこれである、という認識をします。リンゴの場合、ミカンではないからリンゴであるとか、ナシではないからリンゴである、と、ミカンやナシと比べることで、リンゴの特徴を浮き立たせて認識します。

 逆に言えば、比べる対象がない場合、認識できないのです。そういう場合どうするかと言えば、見なかったことにしたり、錯覚だと自分に思い込ませたり、幻覚を見たと自分に言い聞かせたりします。何かと比べることができないのですから、認識しようがないのです。幽霊を体験しても受け入れられない人の多くは、こういう考えをすることで、自分の理解を超えたもの、「自分だけのモノサシ」に収まらないものを排除しています。そうしないと自分が壊れる、という気にでもなるのだと思います。

 しかし日常生活の中で、認識できないモノやコトというのも、なかなかお目にかかることはないと思います。生まれて数年ぐらいの方であれば、そういうこともまだまだあると思いますが、このお話を読むことのできる年代の方なら、それなりに体験を積み重ねられているでしょうから、容易く比べる対象物の記憶を引っ張り出せるのではないかと思います。

 とは言え、これまでのお話でも書かせていただいていますが、このエゴの働きが、「この世界」の本質から目をそらせてしまいます。

 比べる対象があるということは、ここに二つの相反するもの、あるいは相似形が用意されているということです。

 先ほどの例で言うと、リンゴを認識するために、比較する対象としてミカンやナシを記憶の中から引っ張り出しています。リンゴなど実害のないものはそのままでいいと思いますが、この世には実害が生まれる場合があります。

 たとえば、SNSでの「いいね」やフォロワーの数、各種成績のランキング、誰がモテるとか、誰がカッコいいなど、これらはすべて比較した結果です。自分と比べてモテる人とか、自分と比べてカッコいい人という、比較があって成り立っています。

 このとき、自分より上回っている人に対して、どんな感情を抱くでしょうか。

 どうでもいい人は、まったく気にならないことですが、SNSのフォロワー数などで競っている人もいらっしゃるのではないかと思います。自分がライバル視している人より下回ったとき、幸せでしょうか。

 こんなことで、と思われるかもしれませんが、余計なストレスを感じるということは、幸せではないということです。肩書や給与の金額などは、誰かをライバル視していると、露骨にストレスを感じるのではないでしょうか。

 もちろんそれをモチベーションにすることができる人もいらっしゃいます。そうは言っても、一度は悔しい思いをしているわけですから、それをポジティブな思考である、ということにはできません。

 新しいモノやコトを認識するためのエゴの機能が、こうして負の感情を生み出してしまいます。生まれた負の感情は「類は友を呼ぶの法則」により、さらなる負の感情になるモノやコトを引き寄せてきます。それでまた負の感情が生み出され、生まれた負の・・・と、いわゆる負のスパイラルに陥ることになります。

 どれだけメンタルが強くても、すこしずつ強力になっていく負のスパイラルに耐えらえる人は、なかなか存在しないのではないでしょうか。


 どんなことでもそうですが、エゴの中にある、システマティックに思考する機能というのは、リンゴとミカンを比べてリンゴを認識するだけではなく、人が生きる上でのあらゆる場面で利用されます。

 リンゴを認識するための思考のシステムと、SNSのフォロワー数で競う思考のシステムは同じものを利用しています。幼いころ、見るものすべてが新鮮なころに構築された思考のシステムが、大人になってからは自分の足を引っ張るようになってしまっています。それに気づくことなく、誰もが同じ思考のシステムのまま生きていくので、現代社会という、エゴのかたまりみたい空間が出来上がってしまいました。

 エゴは、脳が活動しているかぎり機能し続けます。完全な悟りを得るのは肉体が滅んでからというのはこのためです。エゴがあるかぎり、何かと何かを比べることでしかモノやコトを認識することができないので、禅の本質のひとつである「無分別」にたどり着くことができないのです。

 「無分別」、簡単に言えば、分け隔てがないということです。無我の世界に遊んでいる間は無分別状態です。自分と外界が混然一体となったごちゃまぜ状態なので、分けようがありません。しかし自我が戻ってきたとき、自分と外界が、とても自然に分別されてしまいます。完全な悟りはまず無理な気がします。

 脳の機能としてエゴがあり、そのエゴが人の思考パターンや思考のシステム、行動パターンや行動のシステムを管理しています。そのせいでとても自然に分別もしますし、「自分だけのモノサシ」も振りかざします。

 その代わりというわけではないですが、脳のおかげで自律神経がきちんと機能していますから、心臓は働き続けてくれますし、適当にまばたきもしてくれます。エゴの感謝すべき点も多々、あるにはあるんですけどね。

 どうしたって生きている以上、脳はそれなりに働いているわけですから、エゴがなくなることはありません。当然、エゴに関わるシステムやパターン的な動きも止まることはありません。ということは、周囲の誰かや何かと比べて、自分の卑下したり、悔しくなったり、落ち込んだりということが続いてしまうということになります。

 人はほったらかしにしておけば幸せなんですが、エゴが大活躍しているかぎり、ほったらかしという状態にはなりません。エゴが動けば比較します。比較すれば苦しみが始まります。エゴの比較する働きは、ほったらかしではなく、つねに働いているので自分でも気づいていないだけなんです。

 エゴを主軸に据えて思考するという状態が、比較するというシステムである以上、本当の意味で放っておいてあるということにはなりません。

 ほったらかしというのは、エゴの機能も含めてのお話です。語弊があるかも知れませんが、何も考えないこと、それがほったらかしということになります。比較してしまったとしても、その結果に一喜一憂しないとか、どんぐりの背比べだと理解して気にしない、というのがエゴをほったらかしにする正しい対処だと考えています。瞑想で得られる最初の体験がこのあたりかも知れません。


 分別をすれば幸せから離れていきます。何かしらを比較して、一時的に勝者のような気分を味わえたとしても、それを維持するために、何かを頑張らなければならなくなったり、我慢しなければならなくなったりすれば、幸せではなくなります。何事も「しなければならない」という状況は、自分の本意ではないことですから、幸せから遠ざかることになります。

 さらに言えば、諸行は無常であり、盛者は必衰です。いつまでも勝者の立場にいられるはずもありません。そうなったときに幸せでいられるでしょうか。こういったことの小さいバージョンは、日常の中で頻繁に起こっていることですから、大きな出来事であればその喪失感や挫折感も大きなものとなります。

 そのために、分別して比較するという思考のシステムを、意図的に手放すことをお勧めしています。

 スピリチュアルの世界でいうワンネスや、禅の世界でいう悟りという体験などは、「すべてはひとつである」ことを伝えてくれます。ぼくの小さな悟りの体験でもそれは感じました。

 「この世界」には善人も悪人もなければ、勝者も敗者もありません。男も女もありませんし、大人も子供もありません。それがあるのはこの世だけです。物質でしか物事を考えられない、目に見えるものでしか判断しない、どんなことも数字に置き換えたがるこの世に生きる人たちだけが、分別をして比較をしています。

 そんなことをしながら、心からの幸せをさがしています。でも、さがしている幸せは物か数字に置き換えられるものばかりです。それでは本当の幸せに気づくことはできません。

 「創造主」、あるいは「大いなるすべて」というのは文字どおりすべてです。誰も彼も、あれもこれも、何もかも創造主の息がかかっているものばかりです。逆に、それ以外は存在しません。この宇宙も星も別次元もあの世もこの世も、すべてが「大いなるすべて」です。それは「魂」も「愛」も「心」も同じです。

 何かを分別してあれとこれを分けてしまうということは、「この世界」の真理から外れてしまうということです。

 この世に法律がある以上、そのルールを破れば罰則が与えられます。マナーやエチケットを守らなければ、周囲から白い目で見られます。しかしそれは、あくまでもこの世、物質主義の現代社会でのお話です。

 本質だけを見れば「すべてはひとつある」ということしかなく、分別することはできません。分別することがなければ、「愛」や「魂」、「創造主」として存在しているのと同じです。「類は友を呼ぶの法則」が当たり前のようにポジティブな体験を引き寄せてくれます。これが「生きる」の本質です。

 生きているかぎりエゴをなくすことはできません。だからといって、エゴの支配下にいる必要はありません。ネガティブな出来事があると、急にエゴが力を発揮する場面があります。そういうときは仕方がないとしても、それ以外の時間はエゴの支配から逃れて、意図的に無分別に生きることができれば、ネガティブな出来事の時も、ダメージを減らすことができます。

 人が生きていて分別しても良いのは「心地よいかどうか」、それだけなんです。

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