第64話 心で感じて脳で動く

 人々は、誰かの脳で考えられた街に暮らし、誰かの脳で考えられた生活用品に囲まれ、誰かの脳で考えられた衣服を身につけ、誰かの脳で考えられた流行に目を奪われて、誰かの脳で考えられたインターネット内の情報を信じています。

 そこに自然の要素はひとつもありません。

 街路樹がある、公園に木がある、花壇があるということを自然と勘違いしがちですが、それは人工的に用意された生物であり、自然ではありません。動物園の檻の中の動物を、野生と言わないのと同じです。

 今や身の回りは、誰かの脳内イメージで埋め尽くされています。

 誰かが想定した都市の景観、建築物の姿、生活スタイル、個人の言動など、すべてが誰かの脳内のイメージとしてあったものを、物質化したものです。

 それは快適さと便利さを求め続けた結果であり、そこに気づいていない人たちは、今でもまださらなる快適さ、さらなる便利を求めています。

 本人が気づいているのかどうかは分かりませんが、ほどほどの快適さや、不便を求める人が現れ始めています。飽きただけか、本質に気づいたのかわかりませんが、それは良い傾向ではないのかなと、ぼくは思っています。


 たしかに過剰な快適さや便利というのは魅力的ですし、楽をさせてもらえます。ぼくもさんざんお世話になっています。日々の生活の忙しさから考えれば、快適で便利なのはありがたいことです。ただ、快適さや便利さというのは、機械に用意してもらっているものですから、体験という意味ではとても薄くなってしまいます。体験が薄いということは、人生が薄味になるということでもあります。

 人生が薄いとはどういうことかというと、これまでの人生を振り返ったときに思い出がない、あるいは少ないということです。

 これまでも書かせていただいていますが、幸せは、「今・ここ」でも感じますが、振り返ったときに感じるものでもあります。どちらかというと振り返ったときに感じる幸せのほうが味わい度合いは高いと思われます。年老いて、体の動きが弱く、鈍くなってきても頭はしっかりしているということがあります。このとき、自分の過去を振り返ってみて、「あの頃は幸せだったなぁ」というとき、最も人生の幸せを味わっているのではないかと思います。

 現代のように、人生で味わうべき多くの体験を機械に委ねてしまうと、あんなことをした、こんなことをした、ということが単発的になり、そのつながりが見えなくなってしまうことで、薄味になってしまいます。

 機械に委ねることは、肉体的には楽をさせてもらえますが、心が動く場面が減ってしまいます。炊飯器のボタンを押して待つという場面に感動はありませんが、土鍋で米を炊くことで、その手間やかかる時間というのは人間的な体験のひとつですし、思い出になります。これがカマドになれば、さらに手間ひまはかかりますが、体験はさらに増えます。水加減、火の加減、待ち時間など、体験することがどんどん増えていきます。

 こんな場面に遭遇したとき人は、生きていると実感するのではないでしょうか。


 生き物というのは本来、本能ともいうべき「感覚」で物事を選択しています。

 危険やイヤな予感という感覚は、現代においても感じる人は多いと思います。「刑事の勘」とか「女の勘」というのは今でも言葉が残っていますし、おそらく実際に存在するものだと思います。

 感覚的な判断というのは、前例踏襲でも比較対照でもないので、機械に依存する現代を生きる人々には、不安要素にしかならないのかもしれません。しかし感覚こそ、すべての生き物が持っている原始的な能力であり、これほど正しい選択ができるものはありません。

 現代の人は、脳を中心に生きています。そのため、エゴの縄張り内で生きているとも言えます。エゴは前例踏襲や比較をすることで「今・ここ」を判断します。

 しかし「今・ここ」というのは、人生の最先端であり、これまでに体験したことのないことしか起こりません。過去に似たようなことがあったとしても、その日、そのとき、その場所で起こることはすべて生まれて初めての出来事です。前例踏襲で出来ることは、似たような別の出来事と比較することだけです。上手くいくこともあれば間違っていることもあります。一〇〇パーセント正しいというわけにはいきません。

 感覚は第六感や直感と呼ばれますが、単純にその根拠がないということで研究対象になったり調査されることは少ないまま、今に至っていますが、危険を察知したり、イヤな予感が当たることは誰でも一度くらいはあることです。ここで脳の判断をはさまなければ、おそらくその感覚はほぼ正しいはずです。

 脳でたどり着く答えは論理的であり、筋道がしっかり立っています。そのおかげで理解しやすく、腑に落ちやすいものです。しかしここには落とし穴があり、先ほども書きましたが、「今・ここ」で体験する出来事、そのすべては、生まれて初めてであるということです。生まれて初めての体験をするということは、論理も筋道もありません。これまでお化け屋敷には入ったことがある人でも、生まれて初めて入るお化け屋敷のことを想像することはできません。似ている部分の可能性はあるにせよ、前例踏襲しても論理など通じません。お化け屋敷もどんどん進化しています。

 それに対して感覚というのは、生物の本能です。当たり前ですが、生き物の本能として、平穏に安全に生きていたいはずです。これが人になってくると、幸せや楽しさを求めたりし始めますが、根本は同じです。より良い人生を求めています。理論や論理的な思考、思考の筋道などは何もありませんが、生き物として、より良い生存を求めて感覚的に正しい選択をします。生き物のもっとも根っこにある、生存本能です。


 現代の快適さや利便性をすべて手放す必要はないと思います。というか手放せない状況になってきています。手放すことができないのはしょうがないとしても、何もかもを快適さ利便性で覆ってしまうのはどうでしょうか。

 不便を求めるということではないんですが、生活の何もかもを機械に委ねてしまうのは、人生そのものを機械に委ねてしまうのと同じことのように感じます。

 どこかへ遊びに行った記憶、どこかへ旅に出た記憶など、イベントみたいなことだけが人生の思い出というのは、寂しい気がします。たしかに、イベントごとはインパクトがあり、そのときの爆発力は大きいものですが、過ぎてしまえば他のイベントごととさほど変わりがありません。イベントごとを重ねれば重ねるほど、思い出は薄まっていきます。その思い出がどのイベントのものだったか混ざってしまってはっきりしなくなることもあるでしょう。

 そう考えると、極端ではありますが、人生で一回だけの海外旅行のほうがよほど詳細な記憶が残りますし、幸福度も高いように思います。

 日常の中にある何気なく繰り返していること、たとえば学校であれば登下校や、会社であれば出退勤の光景などのほうが、日時などは混ざるかもしれませんが記憶に残ります。学校帰りに友達と寄っていたファストフードのお店や、仕事帰りに同僚とよく寄った居酒屋のほうが、思い出としては強く残ります。十年ほど経ってからそのお店の前を通ったとき、「このお店、いつも来てた」という記憶が色鮮やかによみがえるのではないでしょうか。

 こういうことは快適さや利便性とは無関係です。自分が体験したことであり、人によっては、仲間と共有しているということでさらに強い思い出になります。たとえ嫌な思い出であったとしても、それはそれで「今・ここ」に存在するあなたを構成する部品のひとつになっていることは間違いありません。

 これは、脳が求めるものと、あなた自身が求めるものは違う場合があるということです。脳が求めるものは、効率化と省エネと刺激です。しかし人の本質が求めるものは幸せであったり喜びだったりします。

 現代の快適さと利便性の追求は、脳が求めていることの具現化に過ぎません。それも行き過ぎれば、人間はただ生きているだけの存在になってしまいます。

 語弊があるかもしれませんが、人というのは多少の障害があったほうが人生は豊かになります。海外製トレジャーハントアクションゲームや、ゾンビなどに追われながら脱出を試みるサバイバルゲームに何の苦労も謎もなくクリアできてしまったとしたら、果たしてそのゲームは面白いのでしょうか。

 もちろん地獄のような日々は遠慮したいですが、ジャムの瓶のフタが開けにくいとか、照明器具のスイッチを入れたら蛍光灯が切れたとか、そういう不便さがあることで、心が満たされるんです。自分でジャムのフタを開ける工夫をしたことや、フタが開いたということ。自分で蛍光灯を外したこと、新しい蛍光灯を取り付けたこと、それがちゃんと点灯したことなど、乗り越えて得られる心の成功報酬があります。

 親になっている人は分かると思いますが、子供の成長を思い出すとき、いちばん手間のかかっていた時期のことをまず思い出さないでしょうか。

 何もかもを頭で選択して決断するのは、これまでの習慣がありますから簡単にできるはずです。しかしその結果が現代の社会の在りようです。

 まず自分の心の選択を信じてみてください。それを完成予想図として、頭で設計図に描き起こして行動に移します。それが人生を豊かに生きていく方法です。

 誰かが用意してくれたものばかりでは心は満たされません。誰かが設計図を描き起こして具現化した物しかないのであればそれを使い、すこしでも自分で生み出せることがあるなら、その体験は自分で生み出したほうが満足度は高いはずです。

 頭の中を止めて、心の声を聴いてください。心の声が聞こえるほうに向かってください。行くついた先には、間違いなく真実の幸せや豊かさが待っています。

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