第47話 人生は同時に無限に

 「この世」と呼ばれているのは、今あなたが生きて体験している世界であり、あくまでもあなたの主観の世界のことです。

 以前にも書きましたが、この世はいわゆるあの世の一部です。シャボン玉の芸で、大きな玉の中に小さな玉が入っているのを見たことはないでしょうか。あの外側の玉があの世で、小さな球がこの世だとイメージしてください。そしてその、あの世を取り囲んでいるのが、生きている人間の脳ではとても想像が追いつかないレベルでの深淵な世界が広がっているようです。

 普通に生きていると、どうしてもこの世がすべてになってしまいますが、それは主観による勘違いかも知れません。

 霊的な存在を否定している方には通じないお話になってしまいますが、仮に霊的な存在があるとした場合、ということにして、読んでいただけるとありがたいです。

 ぼくたちはこの世に生まれてきた瞬間ですら記憶していない人が大半です。もしかしたら三歳ぐらいまでの記憶がない人も多いかもしれません。三歳からの記憶しかなくても、その人にも一歳や二歳の時代があって、三歳になっているわけですから、記憶がないからと言って、急に三歳で生まれてくることはありませんよね。

 生まれてくる前の記憶がないからと言って、それ以前がなかったかと言うと、ないとは言い切れないわけです。母体の中や産道、あるいはそれ以前の記憶を持っている子供たちの報告もあります。すべてが本当かどうかは分かりませんが、年端も行かない子供たちが、母体の中や産道を通り抜けるときの話を、医学的に間違っていない状態で話すことができるのかどうかという疑問が残ります。

 霊的な存在があるとして考えると、やはり過去世のことは避けてとおれません。

 土台となる部分から簡単に復習させていただきます。

 「この世界」は大きな「魂」です。大きな魂から触手のようなものが伸びてその先が個人の魂、ひとりの人間の魂です。魂はひとりにひとつではなく、大きな魂を共有しています。触手のようなものを通じて供給されるエネルギーで人は肉体を動かしているようなイメージです。肉体が耐用年数を迎えてエネルギーの供給がストップすると同時に、触手は大きな魂へと戻っていき、個人の魂は無くなってしまいます。これが人が死ぬという状態です。大雑把ですが、そんなイメージをしてみてください。

 大きな魂の触手は無限に作られます。地球上ではいま大雑把に約八十億の触手があるということになります。人が亡くなれば触手は引っ込み、生まれるときにまた触手が伸びてきます。

 人が亡くなったあとに引っ込んでいく触手は、その人の人生の意識や記憶を維持したまま大きな魂へと帰ります。このときの意識や記憶というのは、感情や気分の記憶が主です。ネガティブな意識や記憶のほとんどは、いわゆる走馬灯を見ると言われるタイミングで、反省会をして浄化されています。普通に生きていれば、そこまで執着することもありませんしね。なので、大きな魂にたどり着くのはポジティブな記憶ばかりになります。

 ここで浄化されないほど執着がある場合は、いわゆる成仏できずにこの世という次元で、その執着を手にしようと場所や人にこびりついたり、死の瞬間を繰り返すことになります。

 大きな魂に帰ることができた意識や記憶は、その魂の中でシャッフルされて、さまざまな意識や記憶と混ざり合います。そして新しいキャラクター、新しい個人として触手が伸びてきて、新しい体験をするために、出来立ての新しい肉体に繋がります。これが人の誕生です。

 さて、ほとんどの場合、大きな魂の中でたくさんの人の意識や記憶がシャッフルされるわけですが、その中でもメインとなる意識や記憶は、覚えている人はしっかり覚えていることもあり、これがいわゆる「前世の記憶」と呼ばれるものになります。表に出てこないたくさんの意識や記憶がありますが、それらは今生でのサポート役のような位置づけになります。

 魂が輪廻転生を繰り返してまったく同じ人物が存在しないのは、こういう仕組みだからです。

 前世という言葉を聞くと、どこかの誰かの魂がそっくりそのまま今生に戻ってくるようなイメージがありますが、そんなことは稀で、基本的にはシャッフルされた魂がこの世に戻ってくるので、メインとなる過去の人格が色濃く残ったとしても、同じ人格になることはありません。なぜそんなシステムなのかは、また別の機会に。


 余談が長くなりました。ここから本題に入ります。

 とにかく、このように「この世」が主役なのではなく、じつは「あの世」のほうが主役だったというお話をしたかったんです。

 この世が先にあるのではなく、あの世が先にあるのに、生きている人々にその記憶がないから、主観だけで「この世」が主役のように考えてしまっているだけ、ということがお伝えしたかったということです。

 この世があの世の中に存在するように、ぼくたちが生きているこの世は、たくさんの次元と肩を並べて存在しています。

 語弊があるかもしれませんが、これを「可能性の次元」と呼ぶことにします。

 時間というものは存在しないので、世に言う「たられば」というものは存在しませんが、「今・ここ」というポイントにおいて、イメージ的には横並びの状態で「可能性の次元」が存在します。

 「可能性の次元」とは、「今・ここ」に存在する、人生の切り替えポイントです。鉄道の線路にあるような、あれです。

 たとえば、あなたの目の前にテレビモニターが百台あるとします。すべて同時刻の映像が流れています。それはあなたが生まれて「今・ここ」に至るまでの人生の様々な可能性が、映像として流れています。中心にメインとなる大きなモニターがあり、そこにはこの世での今のあなたが映し出されています。あなたは「今・ここ」において、メインモニターの人生を生きているということです。しかしそれに満足できないあなたは、隣のモニターに目をやると、そちらではいずれ夢をかなえるであろう人生を生きている自分の映像を見つけます。そちらのほうがいいと考えたあなたは、メインモニターを隣の映像に切り替えます。この瞬間あなたは人生を切り替えた、ということなんです。

 今、あなたが見ているメインモニターの映像は、いつかのあなたが選択してメインに映し出したものです。それが気に入らなければ、他のもっとあなたの望む未来に向かっている人生を映すサブモニター、「可能性の次元」の映像を、メインモニターに切り替えればいいだけなんです。

 今回は例え話ですので、百台のモニターにしましたが、実際は無限です。あなたの人生における可能性は無限にあるんです。とは言え、無限の可能性の端から端までを想像することはできないと思います。おそらく百台でもすべてを把握することは難しいでしょう。しかし、それぐらいの可能性を、あなたが秘めているということです。

 「今・ここ」での人生に満足しているのであれば、それはとても素晴らしいことです。でもそうではない人もいると思います。そういう人たちの中には、「人生はこんなものだ」とか「私なんて・・・」と思考を停止してしまっている人も多くいるのではないでしょうか。

 あなたの人生をあなたがあきらめてしまっていては、無限にある可能性をすべて捨ててしまうようなものです。いつもと同じような、流れ作業的な人生は、無意識の意図だけに頼るものですから、当然、山あり谷ありの人生になりますし、その山や谷の振れ幅も大きくなります。それはそれで大変な人生になるのではないでしょうか。

 可能性というのは、自分の思考の方向性や行動次第で、どうにでもなります。

 もちろん、いろんなピースが当てはまって人生が成り立つわけですが、思っていたところまで届かなかったとしても、それまでの体験から得るものが、かならずたくさんありますし、そのころにはまったく違う望みを見つけているかもしれません。

 今回のあなたの人生には、その新しい望みのほうが相性的に合っているかもしれませんよね。もしそうだとしたら、「今・ここ」で何もしないで、流れ作業的な人生に身をまかせてしまっていると、その切り替えのタイミングがやってきても、まったく気づかないとか、気づいても手が届かないということになりかねません。そのときにまた「人生はこんなものだ」と言って、流してしまうのはもったいないです。

 どうせすでにいま生きているんですから、生きているからこそできる楽しみや幸せを味わっておいても損はないと思います。夢のネズミの国に入場してるのに、ただ正面のお城を見るだけで死ぬまで過ごすのって、どう思われますか。せっかくここまで来たのに、っていう気にはなりませんか。


 切り替え方は簡単です。「引き寄せの法則」を利用します。

 あなたがこれからどうなりたいかを明確にイメージします。物理的な部分はほどほどでも構いません。それよりも、そうなったときのあなたの気分をありありとイメージすることが重要です。

 目に見えない世界のお話ですので、気分や感情がとても重要になってきます。物質的なことや物理のルールは、気分が手に入るときには、ちゃんとクリアしています。

 たとえば、「こんな家に住んでいる自分」という希望があるとしたとき、あなたがその家に住んでどんな気分なのか、どんなことをして、どれだけ幸せか、どれだけ楽しいか、そういう部分をしっかりとイメージしてください。住んでみなければ分からない部分もあると思いますが、もしあるならモデルルームに行って体験してみたり、自分で間取りを描いてみたりするのもいいかもしれません。とにかく、ポジティブな思考で、その家に住んでいる自分の気分を想像してください。

 その思考が意図となり、気分と協調した瞬間、それはあなたが、自分の望んでいる映像をメインモニターに切り替えた瞬間になります。

 あとはあせらずに待つことです。

 期待をしてしまうと執着心が生まれます。「まだ来ないなぁ」、「いつ願いが叶うんだろう」とネガティブな思考に苛まれることになります。ポジティブな思考であり続けることが必須です。

 考えかたとしては、ネット通販などで、欲しい商品の購入ボタンを押しますよね。そのあとは人それぞれでしょうが、住所や電話番号を記入したりなどの手続きがあって、最後に確定ボタンを押すと思います。この確定ボタンを押した状態が「引き寄せの法則」の出来上がりなんです。

 普通に考えれば、あとは荷物が家に届くのを待つだけですよね。その感覚でワクワクして待っていれば「兆し」が現れます。そこで損得や、出来る・出来ないといった思考に頼らず、いつも楽しいほう、幸せが感じられるほうを選択して行動すれば、その望みに手が届きます。

 いろいろな条件などで、完全に思ったとおりにならないこともありますが、あなたにとってより良い選択であることがほとんどですから、「絶対これ」という針の穴を通すような望みではなく、余裕のある目的地を設定したほうが上手くいきます。

 あなたは、今この瞬間も可能性のかたまりです。あきらめて見ようともしない、というのではなく、ちらっとでも横のサブモニターを見てみてください。忘れていた希望や夢、やりたいと思っていたことが思い出されるかもしれません。

 あなたの人生のバリエーションは、いつも同時に、無限大です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る