第40話 鵜呑みは鵜の仕事です

 世の中を見渡すと、このエッセイのようなお話が書かれた本がごまんとあります。

本屋さんに行くと、その中でも細分化されて、もうわけが分からないことになっています。それでも購入されているから書店にあれだけの種類が並んでいるのでしょう。

 ぼくも以前はかなりのこの手の本を読んでいました。新しいことを知るというよりも、自分が実験して体験したことや、自分の身に起きたことを自分なりに解釈して出した答えや、それまでに得た知識をこねくり回してたどり着いた答えについて、他の人はどういう結論を出しているのかを知りたかったためです。答え合わせですね。

 このお話で書いていることは、基本的に自分の体験や実験の結果、それと思考実験みたいなことをして得られた結果だけを書くようにしています。

 とは言うものの、この手のジャンルの人が体験することや、たどり着いた答えというのは、誰もがあるひとつの目的地に向かっているので、市販されている本の内容に似ている部分も多々あると思います。「あの本と同じことを書いてるじゃん」ということもあるでしょう。ぼくもその本を読んでいるかもしれません。でも原則として、他人の本の受け売りはしていませんし、する必要もありません。同じ結果、同じ表現であったとしても、このエッセイで書いていることは、ぼく自身の肉体を通していますので、あくまでもぼく個人の体験であり、ぼくから出た答えしかありません。


 という話を踏まえていただいて、本題です。

 ものすごく簡単に言うと「人の話は聞くな」ということです。これは単純に「聞くな」ということではなく、鵜呑みにしてはいけない、という意味です。

 どんなことでもそうですが、人の言うことは、かならずその人というフィルターを通った言葉ですから、どこまで事実に近いのかは判断できません。

 真実は人の数だけあります。その人が真実だと思ったものが真実になってしまうからです。真実はその人がそう信じてしまえば、その人の口から出る言葉は、自分の信じた真実を元に語ります。さらに人にはエゴがあり、自分に不利なことはなるべく表に出ないように語ります。それを第三者が信じるのは危険なことになりかねません。

 しかし事実はひとつです。起こった事象、あるいは現象がすべてです。状況証拠、物的証拠、多数の証言など客観的に何が起こったのか確認できること、それが事実です。ここに人の考えや感情が入ることはありません。

 人の話、あるいは記憶というのは、時間が経てば経つほど、変化していきます。話し手の都合のいいように改竄されますし、あやふやなところは新しい考えで補完します。そうやって事実とは異なる真実が出来上がります。

 それはスピリチュアル系や宗教系でも同じです。

 何か本を一冊取り上げて、そのすべてが間違っているとかいうことではありませんし、何かひとつの宗派を取り上げて、都合のいいことばかり言ってる、ということでもありません。

 そういうたぐいの本や講演などで、目にしたこと、耳にしたことを、しっかり自分の頭で考えて、吟味して、自分に必要なものだけを手にする、という姿勢が必要だということです。

 ぼくは仏教徒ではありませんが、自分の人生を創造するのに、臨済宗の公案を利用しています。ぼくにとってのヒーローは臨済宗の一休宗純禅師です。でも臨済宗の中に入る気はありません。ぼくにとって必要なものというと失礼かもしれませんが、それだけで足りていると判断したからです。そもそも集団行動が嫌いですし、命令されるのも嫌いですし、座禅のようにじっとしているのも嫌いです。

 つまり、ぼくを構築している要素の一つとして、大きなウェイトを占めているのが臨済宗の公案である、というだけのことです。

 同じように、西洋の宗教の経典や、日本のほかの宗教の教義なども本などで読みました。その中で、こうありたいと考える自分を、構築するために必要なものだけを取り込んで、それ以外は見向きもしていません。

 スピリチュアル系でも同じです。ある人の本に書かれている、この部分は自分の生きかたの指針にできるけど、あとはいらないとか、そういうものばかりです。

 いいとこ取りということになりますが、それでいいのだと思います。

 最初に出会った何かをまるっと信じてしまうと、そのほかに目が行かなくなりますし、団体とかになると、見ちゃダメってこともあるでしょうし、あるいは本人がよそを見ることに抵抗を感じるかもしれません。

 まるっと信じるのであれば、それしかないというところまで、自分なり調べたり学んだりした上で信じるようにしないと、人生を誰かに委ねて、楽には生きることができても、それは自分の人生ではない、ということが起こります。それは後悔します。

 スピリチュアルでも宗教でも、ある種の洗脳的なことを自分でしてしまいます。それが信仰するということだからです。けっして間違いではありません。間違いではありませんが、「ほかにもあるよ」と言いたいだけなんです。他を知ることで、それが本当に自分に合っているのか、自分にとって正しいのか、ということを知ることができます。こういうときこそ、エゴの比較する能力を使うべきです。

 たいていの場合、精神的、物理的に追い込まれていると、見境がなくなります。視野が狭くなり、目の前にあるものだけが正しいと信じてしまう傾向があります。これは、良くないことを考えている何者かにとっては、思うツボということになります。

 だからこそ、まだ何事もないうちに、「生きる」とは何かを学んでほしいと思い、こんなお話を書いています。

 しかし、このお話も鵜呑みにしてはいけません。あくまでもぼくという作者のフィルターを通っています。すべての人の人生を知っているわけでもないですし、分かりようもありません。ぼくの体験、リアルな実験、思考実験の結果、どうやらこういう思考だと上手くいくぞ、とか、こういう行動をすると人生が順調に進むぞ、ということを書いているだけです。あくまでも被験者はぼくです。あなたではありません。

 なので、なるべくたくさんの例をお話にしています。この中から、あなたの生きかたや、生きる指針に合いそうなもので、使えるものだけをチョイスしていただければいいのです。

 ぼくはぼく、あなたはあなたです。

 究極的には「すべてはひとつである」という真理があって、そういう意味ではぼくもあなたも同じものではありますが、それは真理であって、この世的・物質的には別物として存在しているのですから、「ぼくはぼく、あなたはあなた」というのがちょうどいいように思います。


 さも自分は正しいことを言っている、という人もたまにいますが、もちろんその人を否定するつもりはありませんが、それがまだ道半ばであるかも知れない、ということに気づいていないように思います。それが物理的なことでも、霊的なことでも、まだ「その先」があることに気づかず、自分の知っていることがゴールであると考えているように思います。

 人間の脳ではとても想像できないスケール感の真理というものが、あるにはあるようですが、人間に想像できないのですから、分かるはずもありません。つまり、人間が分かる範囲というのは、思っているほど深いものではないということです。それほど深くもなければ、おそらくそれはゴールではありません。

 過去の、名僧と呼ばれる悟りを得た人の中には、「その先」を体験した人もいるかもしれません。でもそれは人間の想像を超えているため、言葉にすることができないので、第三者に説明のしようがありません。

 そういう感覚で生きていると、人間の言葉という道具では、表現できない物事の多さを感じてしまいます。最終的には、体験に勝るものなし、ということでしょう。

 人の言葉を鵜呑みにするかどうかは、あなた次第です。あなたがその人を、その言葉を信頼することができるなら、それは正しい選択かも知れません。

 ただ、「言葉巧みに~」という言葉もあるように、言葉というのは真実にも、事実にも、嘘にも化けますから、やはりうかつに信頼することは、危険が伴うような気がします。「オレオレ詐欺」などはその典型です。

 何事も、信じきってしまうのはお勧めしません。ほどほどという距離感が、いざというときに身を引いたりできるので、安心・安全ではないでしょうか。


 以前にも書かせていただいていたような気がしますが、ぼくが書いているこのお話も、けっして正解ではありません。どれほどの文字数の言葉で紡いだとしても、それが正解にたどり着くことはありません。野球で言えば、ぎりぎりストライクに入らないボール球です。どれだけ近づいてもストライクにはならないのです。

 なぜなら、体験こそが正解だからです。そして体験は人それぞれのものですから、万人向けの正解など存在しないんです。だからぼくのお話は、ぼくにはストライクですが、ぼく以外の人には、ストライクではなくなるということです。

 まずは体験を重ねてください。もちろん生きていること自体が体験ですが、それをどれだけ意識していますか。体験を意識してみてください。そこに喜びや幸せを見出してください。喜びや幸せがなさそうなら、何か学べることを見出してください。

 そういう生きかたを続けていると、「生きる」が分かってくると思います。それはここに書かれているようなことではなく、あなただけの「生きる」です。

 それが、あなたの正解です。あなたの真理です。

 言葉に惑わされず、日常生活の中にある体験から、ご自身で学んでください。それ以外に真理を得る方法はありません。それは幸せのパンドラの箱です。開いてしまえば、あとは放っておいても、すべてが順調になっていきます。人生をもっと楽しんでほしいと、心から願っています。

 という言葉も、鵜呑みにしてはいけません。鵜の仕事を取ってはいけないのです。

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