第34話 スイッチと思考は使いよう
スピリチュアルがおまじないと思われてしまう理由の一つに、儀式めいた部分があるのではないかと思います。
アファメーションや思考の形が一般的ですが、中には何かしらの道具が必要だったり、本当に儀式的なことをしたりするようなものもあるようです。
でもそれはあくまでもカタチであって、実際に必要かというと、ぼくはいらないことだと思っています。
アファメーションや思考の形は、自分の潜在的に信じているものを変化させていくために必要な部分もあります。
ぼくがこうして書かせていただいているお話は、あくまでもこのお話を読んでくださる人が、自分でご自身の生きかたをより良い方向へ変えるためのシステムについて伝えることが目的であり、その結果として幸せや喜びがついてくるというものです。シンプルに言い換えれば、「悟って楽しい人生」ということなので、ある意味、ものすごくお気軽に禅寺で修行を行うようなものです。
人が信じていることというのは、一朝一夕に変えられるものではありません。上っ面だけ信じていることであれば、今すぐにでも変化させられますが、長年「これが正しい」と信じてきたことは、そう簡単には変わりません。
今も正しいと思っている以上、変化させようとするのは表面的な意識だけで、根っこの部分は自ら頑なに変えようとしませんし、変わりません。何かで死にかけたりとか、臨死体験みたいな普通の人生では起こらないような体験をすると、これまでの価値観が変わり、やっと変化するぐらいです。
禅寺、とくにぼくは臨済宗のファンですが、公案という禅問答があります。詳しくはまた別の機会に書きますが、師匠から意味不明な問題が提示されます。
「両手を叩くと音がする。では片手ではどんな音がするか」とか、「門無き門より入れ」などという、無理難題ばかりです。
これは頭で考えて出てくる答えではなく、とにかくひたすら考え続けます。ずっとずっと考えた挙句、頭がオーバーヒートして思考停止します。そのときに答えが見えることがあります。その答えも言葉で表せるものではないので、態度で示したり、本当に分かった人だけが答えられる言葉で返答します。それを師匠が認めたら、とりあえず一人前、そんな修行があります。
ぼくはひとりで勝手に公案を考え、答えにたどり着きましたが、まだエゴが残っているので全然、その奥深さにはたどり着いていません。ただ、公案を考え始めてから自分なりの「分かった」が見つかるまでに十年以上かかりました。そしてさらに、今も同じ問いについて考えつづけています。
その上で、なるべく簡潔にできないかと考えて、なるべく簡単な方法を見つけて、今、こんな文章を書いています。
話を戻します。
禅寺で修行するというのは、現在自分が持っている価値観や常識をぶち壊す作業です。価値観や常識をぶち壊すために、今までとは違う姿、剃髪をして法衣に着替えているのでしょうし、禅寺という狭いコミュニティーで生きていくのだと思います。おそらく曹洞宗での座禅三昧なども理由は同じだと思います。
それぐらいしなければ、自分が信じていることというのは変わらないのでしょう。
だからこそ、人はカタチを使ってすこしでも簡単に、人生をより良いものに変えようとしています。もちろんそれで上手くハマればそれでいいですし、今が幸せならそのカタチを守ればいいと思います。
ただその反面、そのカタチを利用した犯罪が多いことも事実です。
いわゆるツボや印鑑の販売、入信などの勧誘をして仲間を増やすことなどがそれですが、ぼくは死ぬほど嫌いです。
こういうことをする人たちのせいで、真実とフェイクがごちゃまぜになってしまって、真実や本物さえ疑われるようになってしまったからです。
絶対的に真実であるとか本物であると、ぼくが言うつもりはありません。最初から書いていますが、ここで書いていることは、あくまでもぼくの体験や、人や本から学んだことを元に、自分なりに練り上げた「今のところの答え」です。これが完全な正解だとは思っていません。もっとうまくやる方法があるかもしれませんし、もっと単純な方法があるかもしれません。なので、「このやり方をしてください」という気はさらさらないです。
使えるところがあれば使ってもらって、読んでくださった方の人生がいい方向に進めばいいな、というぐらいですので、お間違えのないようにお願いします。
最初にも書かせていただきましたが、カタチとは、道具であったり、儀式のことを指しています。
ぼくが書いているお話の中で何度も出てきていますが、ぼくたちはみな、自分の人生を創造する創造主です。自分の人生は、自分の意図によって現実化し、引き寄せられて体験しています。意図のないものは無意識の意図という、自分が心から信じていることや、決めつけていることを元に現実化しています。
そう考えると、結局のところ自分の人生に起こることは、自分の意図次第であり、意図だけで出来ているということが分かると思います。
「類は友を呼ぶの法則」や「引き寄せの法則」など、放っておいても機能してる法則があります。そのことに気づき、自分の考えかたや信じていることを、つまり思考を、自分が望んでいる、より良い方向に調整さえすれば、人生はより良い方向に変化していくということになります。
そこにカタチは必要ありません。なんと言っても、自分の人生は、創造主たる自分が創造するんですから。
先ほども書きましたが禅寺で修行するぐらいしないと、自分の考えかたや信じていることはなかなか変わりません。固定観念というのはなかなか壊れません。座禅体験程度で変わることはほぼありません。座禅の意味を知り、自分が座禅そのものにならないと、至るべきところに至らないのです。
それぐらい根本的な思考を変えるということは難しいので、カタチが必要とまでは言いませんが、あったほうがいいのかもしれないとは思います。
ぼくはこのカタチのことを「スイッチ」と呼んでいます。
そもそも、人生が上手くいかない、楽しむことができない人というのは、ネガティブ思考が脳内で蔓延していて、不安や心配など恐れの感情が真っ先に出てきてしまうせいです。
それは「今・ここ」を生きていないという証拠ですし、「受け入れて許す」気もないという証拠ですから、「感謝する」こともないでしょう。人生が好転することはまずありません。
そういう人たちは、自身が創造主であるという認識がないのでしょう。自分が自分の人生を創造しているとは、到底思えないのでしょう。それはよく分かります。ぼくも昔はそうでしたから。
そこで「スイッチ」があるとすこし便利になるかもしれません。
たとえば、祈るという行為です。それも何か対象物があって祈るのは効果が高いようです。その対象物が自分の願いをかなえてくれると、本当に信じていたら、その願いは叶うでしょう。
これを解体すると、「願えば叶う」と思考の底から信じていれば、「引き寄せの法則」によって、「願ったんだから叶うに決まっている」という意図が生まれ、それが現実化します。その結果、願いが叶います。
結局「引き寄せの法則」です。とは言え、自分を信じることができない人は、対象物を信じることで、自分の身代わりにしているだけです。自分を信じる代わりに何か別のものを信じる、この思考回路が、現代では悪い人たちに利用されてしまう部分なのではないかと考えています。
さて次に、儀式という行為を挙げてみましょう。
あくまでも架空のお話を作りますから、そのように理解してください。
毎朝七時にのぼったばかりの太陽に向かって、何かしらの呪文を唱える、それを繰り返すことで人生は好転する、というものがあったとします。
それも先ほど同じで、そうすることで人生が好転すると信じきることが出来れば、人生は好転します。「引き寄せの法則」で説明がつくことです。毎朝七時という決まった時間、太陽という決まった象徴、呪文という決まった祈りの言葉、これが揃うこで、自分自身よりももっと信じるものが出来た、ということです。
そもそも、人生というのは目に見えるものではありません。心の平穏も、幸せも、愛も、目には見えません。ついでに言えば、創造主も魂もそうです。
つまり人間は、目には見えないもので成り立っている、という可能性があるとは考えられないでしょうか。
肉眼では見えないものは、物理のルールの外側です。物質世界のお話ではなくなっています。それなのに人生や心など目に見えないものを、物理のルールを使ってどうにかなるのでしょうか。
そこにあるのは「分かりやすさ」だけです。分かりやすいから信じることが容易いのです。一度でも心霊体験をされたことがある方なら分かってもらえると思うのですが、信じられないことって、起こりますし、存在します。見えるはずのないものが見えたり、あるものが消えたりということ、気づいても気づかなくても起こります。
「分かりやすさ」というのは商品のポップみたいなものです。人の気持ちや思考をキャッチするために見栄えを良くしたものであって、商品の本質ではないと、ぼくは思っています。
思考のどこかで、自分が体験していないことは存在しない、と考えながら、見たこともない何かに祈りを捧げる、その矛盾をどう処理するんでしょうか。
もちろん「スイッチ」としての機能は存在します。利用することが悪いことではありません。そのほうが上手くいくならそれに越したことはありませんが、あまり重心をかけてしまうと、足元をすくわれる可能性が出てきてしまいます。
霊感商法などは、たいていその手を使ってきますから、本当ならまず自分自身が創造主であることを信じて、自分の人生は自分が創り出しているのだ、という認識を持つべきです。
そのために必要な道具や呪文など何もありません。
これまで信じてきたものが「今・ここ」に存在する自分にふさわしいかどうかを比較して考えてみてください。ふさわしければキープ、ふさわしくなければもっとふさわしい考えかたに変更する、それだけで人生は変わります。
その上で、どうしても自分を信じきれない場合だけ、「スイッチ」を利用するとちょうど良いのではないかと思います。
ちなみにぼくが「スイッチ」を使うとき、「宇宙」とか「天使」とかを利用させてもらっていますが、エネルギーの流れが変わった、というのが分かるときがありますから、「スイッチ」もバカにできません。
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