第30話 すべてはひとつである

 そうなんです。タイトル通り「すべてはひとつである」なんです。

 これまでにも「創造主」や「魂」、「愛」についてのお話を書かせていただきました。この三つに関しては、


 「創造主」=「魂」=「愛」


という公式にして、何度か説明しています。これにプラスして「心」もイコールで繋がっていることもお話しています。魂と心はまったく同じものなので、公式の中には「魂」だけ参加してもらっています。

 公式にたどり着いたのは、ぼくが何度か体験した小さな悟りの瞬間のおかげです。

 悟りについてはまた別の機会にお話をさせていただきますが、突然強烈な光を浴びるような感じで、「あ!」となっただけです。ですが、その「あ!」の瞬間に、人生や、「生きる」ことや、「この世界」のことなどが、すべてが腑に落ちました。極端な話、生きてても死んでてもどっちでもいいや的な感覚にもなりました。そのときに気がついたのが「すべてはひとつである」ということだったんです。

 これは特定の何かのジャンルの中で「すべて」と言ってるのではなく、本当に森羅万象、「この世界」におけるありとあらゆることが「ひとつである」ということが分かったんです。

 復習しておきますが、「この世界」とは「この世」のことではなく、まだ人間の知らない別の次元や宇宙も含んでいます。あの世もあれば霊界もあるでしょうし、五次元だの六次元だのもすべてを含んでいるのが「この世界」です。「この世」は今ぼくたちが肉体を動かして存在している、物理のルールに支配された物質世界だけのことです。

 話を戻します。

 「この世界」のすべてですから、あの世もこの世もなく、物質世界も非物質世界も、そもそもそういう区分に意味がないことが分かりました。だから、ぼくは小さな悟りを得た瞬間、生きてても死んでてもどっちでもいいという気分になったのだと思います。それ以降、生きているとか死んでいるとかに意味を感じなくなりました。

 もちろん肉体がうまく動いてくれているあいだは、この物質世界で楽しめることはやっておきたいと思っています。趣味で続けていることはもっとやりたいですし、おいしい食事もとりたいと思っています。ただ、生も死もどっちでも良くなると、死に対する恐怖はかなりなくなります。ムリして長生きしたいと思いませんし、健康を保つために何か我慢をして生きるという判断はしません。お酒は元々飲みませんが、タバコは味わいますし、スナック菓子も大好きです。

 言葉を変えれば、ありのまま生きていくことが真の幸せである、ということに気がついた、ということですね。

 当たり前のことですが、病気になるような真似をすれば病気になるでしょうし、犯罪を犯せば逮捕されます。自分の生きかたもありますが、社会の一員である以上、法律を守ることやある程度の一般常識は必要になります。

 その中で、なるべく自分の「魂」にストレスを与えないように生きていくことが大切です。

 「魂」は基本的にポジティブです。肯定しかありません。それはイコールでつながっている「創造主」や「愛」も同じです。すべてがポジティブのかたまりで、肯定しかありません。

 すこし話が飛びますが、「創造主」は「すべて」を創造した源です。人間の想像力ではほとんどの人がイメージすることができないと思いますが、「この世界」のすべてを創造するものであって、それそのものでもあります。

 分かりやすくすると、創造主がカブトムシを創造したとします。それまでには存在しなかったものを新たに創りだしたわけです。それと同時に、そのカブトムシは創造主でもあるということです。それは人間でも無機物でも同じです。

 これだけ多種多様なデザインを生み出すには、生半可な知識では到底無理なのはわかってもらえると思います。雪の結晶でも、あれだけ降ってきてすべて違うデザインです。人間の想像力ではまったく追いつきません。

 当然、ぼくたちも創造主の産物ということになります。そしてぼくたちは創造主でもあるのです。

 西洋の宗教で「主は自分に似せて人間を創られた」という言葉があります。多くの人が外見の話だと思っているかもしれませんが、創造主の存在に気がつくと、外見ではなく中身の話だということが分かります。主は単体で存在しているはずなのに、男と女という二つのデザインがあることも違和感を感じてしまいます。

 ぼくたち人間は、外見だけ見ればお猿さんからの進化だと思います。でも実質はそうではなく、自分の人生を創造することができる、という創造主の持つ創造する力を与えられているようです。

 残念ながら、ここは物質世界であり、物理のルールによって動いていますから、創造主のようにカブトムシを創造したり、すべてデザインが違う雪の結晶を生みだすことは難しいでしょう。それでも、創造する力と科学技術を合わせて、たくさんのものを創造してきました。人の声が線を通じて伝わるだけでも魔法のような時代があったのに、今ではスマートフォンです。テレビ電話どころかインターネットも手のひらに収まっているのです。そういう意味では、創造主の力は誰もがちゃんと持っているということです。

 多くの人が簡単にイメージできることだと思いますが、人が生きているということは魂と繋がっているということです。ひとりにひとつの魂ではない、ということは「魂」についてのお話をご覧ください。この世に生きている人間はすべて、「魂」というエネルギーによって肉体を動かす力を得ています。

 また、すべての人間の中に「愛」があることは、理解していただけるのではないでしょうか。どんな凶悪犯罪者でも生まれたときは「愛」のかたまりです。リボルバーを持って生まれてくるとか、人殺しの目をして生まれてくる赤ちゃんなどいません。すべての赤ちゃんは天使そのものです。生活環境や周囲の大人の指導によって、赤ちゃんがどう育っていくか決まってしまいます。その結果が凶悪な犯罪者であったとしても、人間として生まれてきている以上、「愛」がないということはありません。

 すべての人が「創造主」の創造する力を持っていて、すべての人が「魂」からエネルギーを得ていて、すべての人が「愛」のかたまりとして生まれています。すべての人が「創造主」、「魂」、「愛」の影響下にあるんです。その結果として「創造主」=「魂」=「愛」という公式です。誰もが同じ存在であるということになります。

 創造主、魂、愛に模倣はありません。コピー商品もありませんし、偽造もありません。まったく同じ創造主、魂、愛なんです。

 これは有機物である生物にかぎったことではなく、石や鉄など無機物も同じです。ただ無機物には生物のように「生きる」本能というものがないので、存在しているだけに見えますが、石が雨や水滴で削られていくことや、鉄がサビていくことは、彼らが物質世界に存在し、物理のルールに従っている証です。

 最初のほうでも書きましたが「この世界」とは人間の知らないエリアやゾーンを含めてのお話です。このすべてが、創造主であり、魂であり、愛ということなんです。

 これが「すべてはひとつである」というお話です。

 ただ、これまでのお話も、今回のお話も、頭で分かるというものではなりません。何度も書いていますが、人間の脳では想像すらできないスケールのお話です。こんなことを書いていますが、ぼくも全体像は知りません。おそらく死ぬまで分からないと思っています。死んでからでも分かればいいかな、ぐらいに思っています。

 体で分かることと言えばいいのか、自転車に乗れる感覚とか、鉄棒で逆上がりできる感覚とか、そういう感覚がいちばん近いのではないかと思います。突然、わけもなく腑に落ちる感覚があれば、それは正解なのかもしれません。


 「すべてはひとつである」ということが納得できると、これまで書いてきたお話の人生哲学的な部分は本当にどうでもよくなります。

 社会というしがらみの中で、すこしでも楽しい生きかたや幸せな人生を味わうためにと思って書いていますが、極端な話、死ぬ覚悟があれば何も怖いものはありません。生き物としては死より怖いものはないんです。

 当たり前ですが、死んだら楽になるというお話ではありません。自殺などしようものなら、これまでの人生よりも苦しい時間が待っているだけです。

 自分にとって死とはなにか、と見つめて考えることで、「今・ここ」にある生が輝きはじめます。生きるとはいつか死ぬことであり、死ぬことはそれまでは生きるということです。どちらにとっても重要なパートナーシップを結んでいるのですから、生きることだけでは人生は輝かせられません。死を見つめることが、「生きる」ことを学ぶコツであり、人生を輝かせるためのコツです。

 そして、本当の意味で「死」を理解したとき、社会やしがらみ、世間体などはとるに足らないことであることが分かります。生きているあいだはどうしてもどこかの国家に所属することになり、その中で生きている以上、社会の歯車にならなければならない面も確かにあります。しかし「死」を理解したとき、人はかならず死ぬということが分かったとき、社会に対してお付き合いはできるのですが、振り回されるほど深くつきあう必要もないことが見えてきます。

 そのとき、ぼくがここまで書いてきたお話の中でも、人生哲学的なものは意味がないことを分かってもらえると思います。

 大切なことは、「すべてはひとつである」ということで、この一文以外は、それを解体して説明しているにすぎません。

 「すべてはひとつである」、というだけでは、理解するにしても、あまりも漠然として聞こえる言葉です。しかし、これがすべてです。


 ぼくのお話が「すべてはひとつである」についての正解だとは思っていません。いろいろな角度から答えは出てくるでしょうし、ぼくがすべてを知っている、というわけでもありません。あくまでも、ぼくが体験したことから得たものだけで構成しています。そこはお間違いのないように。ぼくは正解を伝えているのではなく、数ある答えの中のひとつの解釈をお伝えしています。

 ぼくのものではないさまざまな答えもまた、誰かの心に響くかもしれませんし、それですべてが分かり、悟ってしまうかもしれません。だとしたらそれが、その人にとっての正解だということです。


 ぼくは宗教家ではりませんし、先生と呼ばれる人でもありませんし、ツボも印鑑も売ってませんし、勧誘もしなければ、寄付を募るような団体にも所属していません。現在は霊能者でもありませんし、チャネリングができるわけでもありません。予言もできませんし、オーラを見ることもできません。

 禅の世界で「小悟」と呼ばれる体験を幾度かしただけの、普通の人です。

 一般的ではないのは、幼稚園のころから「死」に興味があったことと、小学生のころから「この世で絶対間違いのない答え」を探していたことぐらいです。

 成長していく中で、いろいろなスピリチュアル関連の本や禅に関する本を読んで、自分が体験したことや、そのときに得た何かについて答え合わせをしていって、どうにか、いくらかでも分かっただけの人です。

 ですから、肩ひじ張らず、斜に構えず、適当な話を書いてるなぁ、ぐらいの感じで読んでいただければ幸いです。

 しかし、どう考えても、どうあがいても、すべてはひとつであるとしか言えませんし、どうやらこれは、間違いのないことのようです。

 「すべてはひとつである」、このことを記憶の片隅にそっと置いておいていただければ、いつか分かる日が来るのではないかと思いますし、分かってしまえば、人生はかなり気楽なものに変わるはずです。読んでくださっている方がそうなることを、心よりお祈りしております。

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