第15話 人生は意図で決まる

 今あなたが生きている、ということは、これまでの人生で様々な意図をして未来を作り続けてきた証拠です。

 自分の人生だけは誰にも作ることができません。

 あなたがその時々の意図をして、未来の自分が体験することを予約しているような状態ですが、物理的な事柄というわけにはいきません。このお話は非物理の世界のお話ですから。でも体験したときの気分だけは、意図していたものに限りなく近い結果を味わっているはずです。

 都合の良い体験も、そうでない体験も、過去のあなたが意図した結果です。その体験の意図が生まれているとき、他の誰も関わっていません。というか関わることができないのです。なぜなら、意図とはその人の頭の中で生み出されるからです。さすがに他人の頭の中で、自分の人生の作業をすることはできません。

 ではなぜ、都合の良いことやそうでない意図が生まれるのでしょう。

 まず意図とはなにか。

 ここでいう意図は、いわば人生の青写真です。設計図が完成する前に用意される、準備段階の設計図です。

 具体的に言うと、あなたの頭の中にさまざまな思考がありますが、その中でもとくに意識や意志の強い思考があれば、それが選出され意図になります。しかしこの世は物理の世界ですから、一時間で更地からタワマンが出来上がったり、一分で北海道から沖縄には行けません。意図してから、それが完成するまでにはタイムラグがあります。そういう理由で近い未来のあなたの人生で体験することを予約している、ということです。

 人生の設計図が意図であり、時間を経て、その意図したことを体験したときに完成となります。

 ここで最初の疑問に戻ります。

 自分で意図をしているのに、都合の良いことやそうでないことが体験としてやってくるのはなぜか。

 簡単に言ってしまうと、意図が良くなかったということです。

 人生における体験は、意図という未来の設計図に沿って生まれていますから、体験が良くなければそれは、設計図が悪かったという理由しかありません。意図をしようと考えて意図するとき、多くの場合、ネガティブな意識が混ざってしまいます。


 これは「引き寄せの法則」でもありがちだと思っているのですが、すこし詳しく。

 「引き寄せの法則」を利用しようと考えたときというのは、たいてい何かしらの欲求を満たそうとするときだと思います。アレが欲しい、コレを手に入れたい、アレを体験したい、こんなことをしたいなどなど、欲求があってのことです。

 しかし欲求があるということは、その裏側に欲求が満たされていないという意識があります。具体的な例を挙げると、「車が欲しい」という欲求はそれとともに「車を持っていないから車が欲しい」と考えているということです。

 「引き寄せの法則」にかぎらずですが、非物理の世界のルールのひとつに、「本心がすべて」というのがあります。本当に思っていること、考えていることが、非物理の世界に作用してしまいます。どれだけ表面的に思考を取り繕っても、自分の本心に嘘は通用しないということです。

 たいてい「引き寄せの法則」を知って利用しようとする人は、何かしらが欲しいはずです。用もないのにわざわざ利用しようとはしません。「○○が欲しい」という願望が強ければ強いほど、「私には○○が無い」という本心も強くなっています。本心がすべての「引き寄せの法則」的には、「○○が無い、というのがいいのか、では用意しよう」みたいな感じで、○○が無い状況や状態を引き寄せて、維持となります。

 ぼくもあるジャンルにおいて物欲が強いので、「引き寄せの法則」をうまく利用できていません。反面、そこまで欲求の強くないもの、欲しいけど無くてもいいかぁ、ぐらいの感覚だと、すぐに引き寄せることができています。執着というのは、どんな場面でも自分の足を引っ張るものだと、いつも思ってしまいます。


 このように、意図するときはほとんどの場合、正反対の思考もついてまわります。

 それがあなたの未来設計図として認識されますから、執着していないことの多くはおおよそ良いこととして、執着の強いことの多くはおおよそ良くないこととして、人生を創造し、未来で体験していくことになります。

 執着のないこと、というのは、あなたの中で当たり前になっていることです。多くの人が、明日が来ないとは考えないでしょうし、自分が眠ればいずれは起きると信じきっていると思います。ライフラインや家電に対する信頼などもそうです。とくに意識はしていないでしょうが「○○すればそうなるに決まっている」と信じていることが数多くあると思います。もちろんそれらも意図になっています。そのおかげで明日はやってきますし、眠っても目が覚めるときが来ます。

 逆に執着の強い状態とは、簡単に言えば「信じきれないこと」です。まさか自分の身にそんなことが起こるわけがない、という前提でそれが欲しいと言っても通じるわけがありません。あるお屋敷が欲しいと思って「どうしてもあの屋敷で暮らしたい」と意図したとします。しかし本心で「あんな高い家、手に入るわけがないかぁ」などと考えていたら、その人にとってハードルは高くなりますし、入手困難になります。

 意図的になるほど、自分の足を引っ張ってしまうという現象が起こります。

 あくまでも自然体で、軽い感じで「自分の望むことは起こるに決まっている」と意図できれば、明日が来ることや目が覚めることと同じように、あなたの中で日常的で当たり前のこととして認識され、あなたの意図に沿った未来を体験することになる、ということです。

 自然体で意図するということは、日常的な思考の状態のまま意図することです。「引き寄せの法則」を利用して欲しいものを手に入れよう、というのではなく、「手に入って当たり前」、「奇跡は普通に起こる」という感覚を、日常的に持っておくことが大切です。つまり、普段からの思考の在りかたが重要だということです。

 つまり、この記事に沿って言うなら、「引き寄せの法則」は絶対である、と信じきれるかどうかです。信じるというより、「そんなの当たり前のことです」ぐらいまでの信頼が日常的にあるかどうかです。当たり前であればあるほど、何気なく考えたことでも未来に起こる体験として引き寄せられます。

 スピリチュアルにかぎらず、すべての人生において、この「信じる」という魔法はけっこう使っています。おそらくこの魔法を意識しないまま使っていること多いのではないでしょうか。詳しくは別の機会に。


 幼いころ、自我が芽生え始めたころから、ぼくたちはつねに何かを意図して生きています。もちろん幼いころはものすごく単純でしたし、欲求もかわいいものです。お菓子やおもちゃ、大きくてもテーマパークとか動物園といった類です。

 年齢を重ねるにしたがって、意図が複雑化していくと同時に、否定的な思考も増えていきました。自分には出来ないことがあるとか、自分はそれを持つことができないなどです。そうやって自分を否定すればするほど、意図は否定的なものとなり、不安な人生を組み立て始めます。

 大人になるころには夢も希望も見失い、仕事や時間に追われて、不平不満を愚痴にして過ぎていくだけになり、これからの人生もその愚痴どおりの人生を創造し続けることになります。

 年老いてから「もっと好きなことしておけばよかった」、「やりたいと思ったことはやっておけばよかった」と後悔している人が、どれだけいることか。

 社会人としての人生は社会人として生きていくしかありません。それがあなたの望む人生であるなら、誰にも止めることはできません。しかし、人生は一度きりです。あまり考えることはないことかもしれませんが、「今・ここ」という刹那は、元に戻ることもなければ、創り直すこともできません。そして確実に自分の老朽化は進んでいるのです。

 今からでも遅くはないので、社会で生きることと、人生を生きることを一緒に考えるのをやめてみませんか。

 社会はしょうがないとあきらめるとしても、人生そのものはあなたの望む意図によって、あなたの理想に近い人生の体験を積み重ねることができるんです。楽しいことが増えれば、自然と脳内の思考も変わっていきますし、意図も変わります。意図が変われば、普段何気なく見ている日常的な風景も違って見えてきます。それはあなたが本当に望んでいた人生の在りかたになっているはずです。

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