第10話 「受け入れて許す」という肯定

 人にはそれぞれ「自分だけのモノサシ」があります。

 自分だけのモノサシというのは、その人だけの常識や、正しいと信じていることをまとめた思考です。一般的には固定観念と呼ばれます。育ってきた環境や自分の体験などで構成されていて、「これはこういうものである」と決めつけている思考の形のひとつです。一歩間違うと、世の中のそれとは正反対のこともあり、その場合は他者との摩擦が起こるかもしれない面倒な思考です。

 ぼくは関西方面から北海道に移住したのですが、北海道の赤飯が甘いのには驚きました。でも北海道でずっと暮らしている人からすれば、甘いのが当たり前なわけですから、ゴマ塩の赤飯なんて考えられないでしょう。どちらが正しい、間違っているということではなく、地域性という意味で言えば風習や慣習など、それぞれが正しいはずです。

 ですが、自分が関わる個人的なことになると、自分が正しいと信じきっていて、自分の考えを他人にまで押しつけたり、他人の意見に聞く耳を持たない人もいたりします。人それぞれの事情や状況を考慮することなく、「自分が今までこれが正しいとして生きてきたのだから、これが世の中の常識である」と信じて疑わないという傾向があります。


 自分の意見だけが正しいとすると、それ以外は間違っているという発想になりますから、当然ですが他人との摩擦が起こります。摩擦を楽しいと思える人はそれでいいと思いますが、多くの人は人生に摩擦は面倒だと考えるのではないでしょうか。

 一般的に他人との摩擦は、それなりにエネルギーが必要になりますし、まず楽しくないですよね。楽しくなければ幸せではありませんから、より良い人生を生きようとするのであれば、道を間違えているということになります。

 では摩擦を限りなく起こさないようにするのはどうすればいいのか。

 それがこのお話のタイトルにもある「受け入れて許す」のです。

 言葉のままです。受け入れることと許すことをすればいいだけなんです。

 当たり前の話ですが、なんでもかんでも受け入れるということではありません。犯罪に巻き込まれるとか、自分にとって不利益であると分かることは受け入れる必要がありません。これは社会的、つまり他人が関わることだからです。そのあたりは賢く理解していただいて、自分にとって幸せな、愛を感じる選択をしてください。

 「生きる」というのは究極に個人的なことであって、社会のお話ではありません。なので、これまでも、これからも、ここで書いている内容は、基本的にとても個人的なお話だとご承知おきください。

 話を戻します。

 自分の思考の中に「自分だけのモノサシ」があると、それを振りかざすことで他人との摩擦が増えます。摩擦が増えれば自分も相手も、嫌な気分や面倒が増えます。「今・ここ」が幸せでなければ、ほとんどの場合、次の「今・ここ」が幸せなわけはないので、今後もあまり喜ばしくない体験をすることになります。

 もしここで「自分だけのモノサシ」を一度手放してみるのはどうでしょう。

 具体的な例としては、相手の話を聞いてみるとか、尊重する、ということができます。人には耳と口があり、言葉があるわけですから、話し合うことを前提にすることが、本質的な人間らしい生きかたなのではないでしょうか。

 また、テーブルの足に自分の足の小指をぶつけたとしても、簡単に受け入れることができます。そもそも物事が起こったと認識したときにはすでに過去の出来事で、記憶しかありません。もしイラっとしたなら、それは思い出にイラっとしているだけです。すでに起こってしまった過去を変えることはできないので、「今・ここ」で足の小指がじんじんと痛んでも受け入れるしかないのです。

 逆に「自分のモノサシ」を振りかざしてしまうと、相手の話も聞かず自分の意見だけをぶつけたり、相手が間違っていると思い込んでマウントを取ってしまったり、自分でぶつけた足の小指の痛みをテーブルのせいにしたり、ということになり、そのあいだずっと、イライラしたり、モヤモヤしたりすることになります。これってムダな時間の使いかただと思いませんか。

 物事を認識したとき、それはすでに過去であるということを理解していると、どんなことでも受け入れざるを得ない、ということが体験的に分かります。体で覚えるということですね。

 もちろん、何でも受け入れておけばいいということではありません。あくまでもいったん受け入れる、というお話です。いきなり壁を作ったり、ただ反発したり、遮るようなことなど、ただの反応だけでは自分の人生にとってもプラスには働きません。

 とは言え、人それぞれに譲れないものがあるでしょうし、どうしても自分の信念や自分の流儀のようなものがあって受け入れがたいことがあるかもしれません。どうしても折れることができないものは、一度受け入れて、話の内容なり、状況なりを理解してから、自分の考えや意見を出せばいいのです。譲れないものは譲れない、それでいいのです。やみくもに自分中心の、相手に押しつけるような言動は幸せから遠ざかりますよ、というお話です。

 ただ、なるべく「自分だけのモノサシ」など作らないほうが、固定観念を手放しておくほうが、人生は常に新鮮で、視界が広く、面白いことや楽しいことがやってくるようです。ぼくの場合、自分も含めてすべてが正しいとつねに言い聞かせてますし、起こったことはしょうがないという、「あきらめる」という考えも利用しています。


 さらに一歩話を進めると、次は「許す」ということがポイントになってきます。

 目の前で起こったことに、どれだけ反発しても何も変わりません。心地よくない時間が過ぎていくだけで、人生の貴重な「今・ここ」を台無しにしているだけです。

 なので、さっさと次の面白い体験に向かうためにも、過ぎたことはどんどん許していくほうがいいんです。

 怒っても、泣いても、へこんでも、キレても、過去は変わりません。相手がいることであったとしても、相手も含めて過去は変わりません。相手が謝罪をしてくれて、すっきりするのは自分の気持ちだけであり、状況は何も変わっていません。責任の所在というのは、責任を負いたくない人たちが、誰が責められ役をやるのかを決めているだけで、トラブルの解決にはまったく無意味です。すぐに許してしまって、対応策や次の展開を考えたほうが、よほど意味がある行動なのです。

 「許す」という思考や行動があるだけで、すべての出来事がさらに前へと進んでいきます。たとえば交通事故があったとして、亡くなった人も遺族も、また加害者にしても、事故がなかったということにできません。許せない人はそこにとどまり、許すことができない期間、その瞬間の苦しみやつらさをずっと味わい続けるのです。引きずることでいつか亡くなった人が蘇るとでもいうのならそうすればいいのですが、ここは物理のルールで出来た世界です。死亡認定された人が生き返ることはほぼありません。ただ苦しみやつらさを味わう、そんな状態が続いて幸せなわけがありません。

 あくまでもぼく個人の考えですが、自殺以外のすべての人の死は寿命だと考えています。それが早くても受け入れるしかありませんし、しょうがないと思うしかありません。どれだけ悔やんでも、思いを寄せても、怒りに震えても亡くなった人は戻らないのです。それが物理のルール、科学の世界なのです。


 「受け入れて許す」というのは、禅の世界でいう悟りの境地に限りなく近いのではないかと思っています。

 自然に、起こるがままに、自然のなすがままにという考えかたであると、ぼくは理解しています。無理に流れを変えようとするのではなく、雲のように行き、水のように流れる、「行雲流水」という言葉です。禅の修行僧のことを雲水と言いますが、この言葉から生まれています。まさに雲水こそが、「人が生きる」という行為の師匠であるよう気が、ぼくはしています。

 とくに自然現象で考えると、起こっていること、起こってしまったことはどうしようもありません。抗うこともできませんし、文句を言っても状況が変わるわけでもありません。

 だとしたら、いつまでも足踏みするように否定的に物事を考えているより、「受け入れて許す」ことで、一歩でも前に進んだほうが建設的ではないでしょうか。

 それを日常生活の中にも取り込めば、同じように建設的な考え方になり、いつまでも不愉快な気分を体験しつづけなくて済むわけです。


 世の常ですが、他人を変えるというのは基本的に不可能です。

 誰もが「自分だけのモノサシ」を持っていますし、曲げられない信念がある人もいます。まして、正反対の考えかたを持つ人を変えることは、無理難題としか言いようがありません。

 だとするなら、やれることはひとつです。自分を変えるしかありません。

 「自分だけのモノサシ」を手放してみましょう。「受け入れて許す」というスタンスで生きていければ、それぞれに持ち時間の決まっている人生を、すこしでも前向きで肯定的な、幸せ時間で埋めていくことができるのです。

 「受け入れて許す」とは、自分の殻を破り、視野を広げ、大きな視点で物を見る、そんな感じかもしれません。

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