第9話 「今・ここ」に生きるということ

 ほとんどの方が「今って今で、ここってここだよね」という感じで、理解されていると思います。たしかに今は今しかありませんし、ここはここ以外にありませんね。

 でもそれは、概念として頭の中で分かっているだけで、本当の意味で分かっているとは言えないんです。

 「今・ここ」というワード。スピリチュアルの世界ではよく見かけます。「今・ここ」に生きていれば幸せになれる、とか、「引き寄せの法則」を使うポイントなど、その意味や言葉の使われかたは多岐にわたります。

 たしかにそういうスピリチュアルな面はあると思います。でもそれならたくさん本などが出ていますので、そちらを参照いただいて、ここではスピリチュアル的なものも絡みますが、ぼくなりの禅的な方向から書かせていただきます。


 それでは「今・ここ」とはなにか、ということから。

 そもそも誰もが「今・ここ」にしか生きていません。昨日や明日に生きることはできませんし、ここではないどこか、あっちやそっちに存在することもできません。どうあがいても「今」と「ここ」というピンポイントに存在しています。

 問題になるのは、そのことを意識していない、ということです。

 「今・ここ」だけに生きているあなたにとって、それ以外、たとえば昨日や明日とか、あっちとかそっちなどは存在しません。もし仮に存在していたとしても、あなたは「今・ここ」にしか存在していないので、無関係です。

 たとえば、日本のどこかで大きな地震があったとします。もしその時、地震の影響がまったくない場所で、あなたが眠っていたとしたら。あるいはスマホなどの情報を入手するためのツールもなく、まったりと湯船に浸かっていたとしたらその地震を知る方法はまったくありません。地震のあった地域では大変なことになっていたとしても、すやすや眠っていたり、お風呂でまったりと過ごしているあなたには、何の関係性も生まれません。

 地震のあった場所が、あなたの存在する「今・ここ」ではないからです。


 余談になりますが、ぼくは北海道に暮らしています。二〇一八年、東胆振大震災がありました。ぼくの住んでいる集合住宅でも震度が六弱あり、いろんな物が倒れたり壊れたりしました。深夜三時ということもあり、大きなため息をつきながら、ベランダで夜が明けるのを見ていました。もちろんテレビでは地震の情報が流れていましたが、すぐにブラックアウトが起こり、一~二日はテレビが見れず、次に電気がやってきてテレビをつけたとき、いつもどおりの番組、バラエティーやクイズ番組が放送されていました。「北海道以外はいつもどおりなんだな」と思ったことがあります。


 話を戻します。

 「今・ここ」とは、自分の目が届く範囲、手が届く範囲が最大限です。

 あなたのいる部屋のカーテンが閉じられて、ドアも閉まっていれば、その部屋の中、しかもあなたの視界の範囲だけがあなたの「今・ここ」ということになります。カーテンを開けてその向こう側の確認が取れたとき、あなたの「今・ここ」の最大限がカーテンの向こう側まで、すこしだけ広がるのです。

 北海道での大きな地震のとき、北海道全域がブラックアウトを起こし、コンビニでは電子マネーも使えばければ自動ドアも開かない。信号も機能していないし、夜は真っ暗という非日常の中で過ごしているころ、他の地域ではニュースの中で報道されるぐらいで、誰もがいつもどおりの日常を生きていたのではないでしょうか。

 それがダメだとか良くないという話ではありません。それぐらい「今・ここ」というピンポイントは、体験していること以外は分かりようがなく、自分の存在する「今・ここ」以外はまったく関係がない、というお話をしています。

 そういう意味で「今・ここ」を意識していますか、というお話です。

 たしかに誰もが「今・ここ」にしか存在していませんが、それを意識的に体験しているかどうかが大切なんです。

 「今・ここ」を意識的に体験できていると、いろいろなマイナス要素が削られて、プラス要素が顔を出してきます。それだけも幸せを感じることができます。


 まず「今」という時間軸です。

 基本的に時間は「今」という瞬間以外に存在していません。

 時間という概念を考えるとき、多くの人が数直線を思い浮かべるのではないでしょうか。左に進めば過去に向かい、右に進めば未来になっていく。その中心になるゼロポイントが「今」である、というイメージを持ってはいないでしょうか。そのイメージから考えれば、時間というのは持続的に見えます。

 しかし、「一昨日の朝の起床した時間、その一時間前に起きてください」と言われても、過ぎたことは変更できません。また「明日の午後一時から午後九時までにとった行動のすべてを教えてください」と言われても、分かるわけがありません。予定を立てていることぐらいは分かっても、トイレに行くタイミングやどの道をどう歩いていたかなんて分かるはずがありません。まだ何も起こっていないのですから。

 持続していると考えがちな時間の概念は、記憶や予想の中にしか存在しないものなのです。つまり、時間は脳の中でだけ存在しているものだということです。あまりにも数直線や時計の文字盤のイメージが強すぎるんです。

 そもそも時間というのは、地球の自転と公転があって初めて存在するものです。存在はしているかもしれませんが、それを人が認識するためには地球が回っていなければなりません。

 もしあなたが宇宙の真っ暗闇の真ん中で、何も持たず放り出されたら、あなたは時間という概念を維持することができるでしょうか。日が昇ることもないので、昼も夜もありません。カレンダーや時計もないので、数字として数えられるものは存在しません。それでも肉体は老いていきます。その老いこそが「今」なんです。昨日や明日が分からなくても、「今」という瞬間に、人間の肉体の中で細胞は生まれては死ぬを繰り返し、確実に老いていきます。そこに時間の概念、頭で理解するようなことは存在しません。認識できるものや比較できる情報が何もないからです。

 そういう意味で言うと、「今」とは、人の認識できないところにあるものだとも言えるかも知れません。

 人が「今」を認識したとき、それはすでに過去の出来事になっています。リアルタイムだと思っている今は、つねに過ぎていった出来事の記憶なのです。

 人が「今」に対してできることは、次の「今」をより良く、より幸せなものにするぐらいです。「今」を意識したときにはもう触れることのできない過去になっているわけですから。一度割れてしまったグラスは、元に戻らないのです。


 続きまして「ここ」です。

 ほぼ「今」と同じ説明になってしまいますが、ご了承ください。

 今、あなたがいる場所から手の届く範囲が「ここ」というポイントです。目が届いても手が届かなければ「今」ではあっても「ここ」ではありません。

 テレビなどで、海外の震災や戦争などの惨状などが流れてくることがあります。海外の国の人が苦しんでいる姿を目の当たりにして、心が痛むことも多い昨今です。

 しかし、それが起こっているのはあなたが存在している「ここ」ではないのです。テレビの中での出来事であり、あなたの「ここ」ではありません。もちろん現実的に災害などが起こった国のその現場に行けば、自分も当事者になりますが、テレビで見ている段階では、当事者ではありません。つまり、「そこ」にはいないのです。あなたは「ここ」にいて、テレビを利用して「そこ」を見ているだけなのです。

 あなたがそのニュースを見ていなければ、あなたの人生の中に、その災害は起こっていないのと同じことになります。なぜならあなたが認識していないからです。

 それが悪いということではありません。日本の報道などでは流れていない、海外の事件や災害など山ほどあるでしょう。よほどその国に興味を持って情報を集めている人以外は知ることもなく、時間は過ぎていきます。もしそのまま自分が死ぬときがきたら、その人の人生にその出来事は起こっていないのと同じです。

 「ここ」以外の出来事は、自分が認識しているかどうかだけなのです。たとえテレビなどで隣町の事件を知ったとしても、「そこ」にいなければ、何もできません。ただ知っている、認識しているというだけで、情報を手にしただけなんです。

 悪い意味ではなく事実として、「ここ」以外はあなたとの関係性はない、ということです。

 たとえば、災害時のボランティア活動などもそうですが、基本的には他人事です。テレビやネットで知った、自分の「ここ」ではない場所で起こったこと、自分の身に起こったことではないことに、自らの選択で関係性を持ちにいっているという点で、自分の「ここ」を災害のあった場所に移動させているわけです。

 自分の「ここ」ではないところで起こった戦争や災害などの報道に触れて、メンタルを壊されてしまう方もいます。たしかに悲惨な映像や内容が伝えられているので、心は痛みます。しかし報道で伝えられた情報であって、「ここ」でなければ、自分の身に起こっているわけでも、手の届く範囲で起こっているわけでもありません。共感するのは人同士の関係性の中で重要なことかもしれませんが、それで自分が不幸になってしまっては元も子もありません。

 こういう傾向が強い人は、過去の失敗やつらい思いなどにも引っ張られやすいのではないでしょうか。そのせいで「今・ここ」から新しいチャレンジができないなど、人生を良い方向へ舵を切れずにいる、そういうこともあるのではないかと思います。

 だからこそ、自分の人生における「ここ」を意識しながら生きることが大切になってきます。自分の「ここ」を意識していれば、自分の手が届く範囲以外は何もできないことを体験として知ることができます。いい意味であきらめることも必要です。その上で、この出来事には関わろうと決めたり、手に負えないと理解したりできるようになるのです。

 「ここ」も「あそこ」も「そこ」もすべてごちゃまぜに考えていると、すべてを背負ってしまいます。ひとりの人間の人生で、世界のすべてを背負うことなど到底できません。アメリカで起こった事件と、南アフリカで起こった事故、同時に対処することができないのは火を見るより明らかです。

 まずは自分の「ここ」をきちんと理解して、それ以外は自分が選択して関係性を持つことになるのだと知っておくことをお勧めします。


 より良い人生、より幸せな人生を求めるのであれば、周囲を変えることはできませんから、自分が変わるしかありません。今までと同じように生きていても、今までと同じような人生にしかなりません。

 「明日からやろう」という発想は永遠にやらない可能性があります。あなたに与えられた時間も場所も「今・ここ」しか存在しないからです。明日は脳内で作られた幻想でしかありません。あまり考えたくないことですが、すべての人に明日が来るかどうかは分からないのが現実です。

 「今・ここ」を充実させて、心の底から楽しむ、幸せを味わうことが、幸せな人生という結末に向かうための、基礎の基礎です。

 幸せな人生に身をゆだねたいと考えるのであれば、「今・ここ」というピンポイントにおいて、自分を満足させることが最優先です。

 そして、あなたの「今・ここ」は、すでに幸せに包まれているんです。

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