第8話 いつもかならずちょっとだけ幸せに生きる

 前のお話で、「幸せの正体は体験である」と書きました。また「あの頃は幸せだった」と時間が経過して振り返ったときに分かるものであるとも書きました。

 ではどうすれば幸せになれるのか、ということですよね。

 本当なら誰もが創造主であって、人生を思いどおりに創造することができて、愛にあふれた幸せな時間を過ごせるはずです。しかし、「思考=自我」が「気分=魂」のジャマをして、そういった体験をすることができない、したことがない、という人が多々いるのではないでしょうか。


 基本的に、人生はその人の考えているとおり展開します。

 たとえば、道を歩いていて「あの角で右に曲がる」と決めると、とくに意識することなく右に曲がることができますよね。あるいは「あそこの自販機で缶コーヒーでも買おう」と決めると、とくに意識することもなく自動販売機の前で立ち止まり、ポケットから財布を取りだし、硬貨を取りだして投入口に入れ、これにしようと決めた缶コーヒーのボタンを押します。

 この一連の作業の中に、強い決意や覚悟をするようなことは何もありません。過去に体験している行動なので分かっているということはありますが、自然体のまま行動しているはずです。

 とくに強い意識や決意をしなくても、誰でも日常生活のほとんどをスムーズに行動しています。この体験を最大限まで強力にしたものが「人生を創造する」ということです。

 社会生活の中、人はあれこれ考えて行動しています。次はあれをして、そのためにまずはこれを片付けて・・・など、いろいろ先を予測しながら行動していますが、ほとんどの事柄は、予測したとおりの結果を体験しているはずです。これも人生の創造です。

 それとは逆に、人生の個人的な部分になると、あまり深く考えずに流れ作業的に行動しがちです。慣れているというのもひとつの要因ですが、当たり前だから考えなくても動けるという、クセというのか習慣のようなものが幅を利かせていることが大きな要因になっています。

 とくに考えず行動するということは、その人が潜在的に抱えている、当たり前だと思っていること、その人の中で普通や常識だと決めつけてしまっていることが言葉や行動に現れます。これがそのまま人生を創造して体験しています。

 見方を変えれば、当たり前だと思っていることが自分の人生にとって都合の良いものであれば、創造されて体験することになっても、自分の都合の良いことになるわけです。これって幸せだと思いませんか。

 さらに言えば、「私は幸せである」と決意して、その思考がその人の中で当たり前で、普通で、常識になれば、その人は自分でも気づかないうちに、幸せに向かって歩きはじめ、やがてしっかりと幸せを体験します。わざわざ幸せになるために何かをするということではなく、自分の思考が幸せをロックオンしたことで、あとは自然な流れで幸せを創造し体験するようになるということです。

 おそらくですが、一般的に「引き寄せの法則」と呼ばれるものが、この仕組みなのではないかと思っています。もしかしたら目に見えない存在の力も借りているのかもしれませんが、本来は誰もが創造主ですから、結局は自分の力で引き寄せることができるのです。もし目に見えない存在のようなものがあって、それを利用しているというなら、それはそれでいいのではないかと思います。


 「私は幸せである」と頭の先っちょで考えていても、それが自分の当り前や普通になるのは容易いことではありません。日常生活の中でさらっと物事を考えるときの思考は、とても浅くて薄い思考ですから、瞬間的な決意は強いかもしれませんが、すぐ目に映る現実に流されてしまうのです。当たり前、普通というほどには維持されません。

 厳密には違うかもしれませんが、ぼくの感覚だと「体で覚える」という感じです。

 たとえば自転車に乗れる人は、乗っていない期間が多少あってもすぐに慣れて、なんとか乗れるようになりますよね。また鉄棒の逆上がりのコツや箸の持ち方などでも、体が覚えていて、そういうことをしていない期間があったとしても、ちょっと試せば自然にできます。つまり自転車の乗りかたや逆上がりのやりかたは、その人にとって当たり前であり、普通である、と言えるのです。

 夜眠るとき、明日の朝が来るかどうか不安になったことがあるでしょうか。水道の栓をひねるときに水が出るかどうか考えたことがあるでしょうか。時と場合と人によってはそういう不安を体験した方もいるかもしれませんが、一般的には何も考えずに就寝するでしょうし、水道の栓をあけて水を出していると思います。これが当たり前、普通という思考、あるいは感覚です。何も疑っていません。

 これぐらい身についた状態が、当たり前、普通という感覚で、このぐらいのレベルで「私は幸せである」と決めていなければ、その方向で人生を創造することはできません。

 一度きりの決意では日常という荒波にあっさり飲み込まれてしまいます。

 ではどうすればそこまでの決意ができるのか。

 もし試してみたい方がいらっしゃれば、次の言葉を覚えて意識してみてください。


 「いつも かならず ちょっとだけ 幸せに生きる」


 この言葉を「今・ここ」で人生ルールに加えてみてください。よほどのことがないかぎり、惰性行きという名の列車を、幸せ行きに乗り換えることができます。

 ひとつのワードごとに解説していきます。

 まず「いつも」ですが、これはもう文字どおり「いつも」です。油断することなく、眠っている時間以外は意識するということです。朝に目が覚めてから、夜になって眠りにつくまでのあいだ、すべての「今・ここ」のことです。

 「かならず」ですがこれも文字どおりです。

 ただ日常生活の中では、うまくいかないことや不条理なことが体験としてやってくることがあります。そういうとき「かならず」が続きにくくなります。心が折れることや、許せないことなどのネガティブな思考になることもあると思います。それでもここはしっかりと意地を張って「かならず」を維持してほしいんです。詳しくはまた別の機会に書きますが、自分の人生で起こることは、過去の自分が知らずにでも意図したことが現実化したものです。これからやろうとしていることの悪いバリエーションです。人はイヤなことや苦痛の体験のほうがありありと記憶していますし、その時の感情は簡単によみがえります。まったく同じことというのは物理の世界ではあり得ませんが、その時に味わった気分や心境が形を変えてまたやってくるのです。

 だから意地を張ってでも、「かならず」を維持しなければなりません。自分の人生に今後、都合の悪いことを引き寄せないようにするためです。

 「ちょっとだけ」というのは、最初から大きく振りかぶらないためです。

 幸せなんだからどれぐらい大きくてもいいじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、あまりに大きな幸せは信じきることが難しく、維持することもまた難しいものです。部屋のどこかで十円を拾うのと、宝くじ一等前後賞が当たるのと、どちらが信じきれますか、ということですね。

 また、先ほども書きましたが日常生活の中には、うまくいかないことや不条理なこと、イヤなことやつらいことが起こります。あまりに大きな幸せを求めていると、そのギャップが大きすぎて心が折れやすくなります。それは幸せであることを放棄してしまうのと同じです。

 日常の中にある小さな幸せ、たとえば天気がいいとか、道端の花がかわいいとか、ラーメンが美味しいとか、そういうことのほうが身近で効果は絶大です。幸せは小さなことの積み重ねであり、振り返ったときに幸せだったことが分かるようになっています。とにかく最初からあまり大きく構えることなく、小さいことで数を重ねるほうが確実ですし、維持するのが楽です。

 「幸せに生きる」とは待ちではなく攻めの姿勢のことです。積極的に幸せを生みだすんです。先ほども書きましたが、天気がいいとか、ご飯が美味しいとか、今日も元気だとか、ぐっすり眠れたとか、どんなにささいなことでも構いません。自分から幸せを見つける姿勢が大切です。

 どんなに小さなことでも幸せだと考える思考ができていれば、「類は友を呼ぶの法則」も「引き寄せの法則」もガンガンに効果が出ます。基本的に幸せな人は幸せに包まれるようになっています。

 まとめると、「眠っているとき以外のすべての時間を、絶対に、小さいことでいいので幸せを感じながら日々を過ごしてください」、ということです。

 急な変化はおそらく起こりません。ここは物理のルールに縛られた世界ですから、物事が動くには物理の段取りや時間が適用されます。しかし「いつもかならずちょっとだけ幸せに生きる」をいう思考が当たり前になっていれば、それほど長く待たずに変化は起こります。ある日突然に「あれ、最近はあんまり嫌なことが起こってないなぁ」と気づくときが来ます。ぼくはそうでした。

 ただし、楽しい範囲で意識してください。眉間にシワを寄せていては幸せも寄りつきません。途中経過とは言え、その結果が出るまでに一年もかからないと思います。取り組み方にもよると思いますが、ぼくの場合は一か月以内でした。気がつくと、ぼんやりと幸せの中にいた、という感じです。早いか遅いかは分かりませんし、個人差はあると思いますが、それぐらいの期間だと思いますから、楽しく幸せになるのだという意識を持ち続けてみてください。


 この考えはぼくの体験から考えだしたものです。さまざまなスピリチュアル系の本でも似たようなことは書いてありますが、日常生活という枠組みの中で生きていると、難しかったり、最初からそんな考えにはなれない、と思うことが多々あって、結局どういうことなのかと考えた結果が、この「いつもかならず~」に繋がりました。

 「いつも」ではないにしても、せめてできる範囲でだけでも、身のまわりにある状況や状態から幸せを感じてみてください。かならず自分の思考が変化していきます。

 これまでの生きかたを維持しても、これまでと同じような体験=人生しかありません。これまでにないことをするからこそ、新しい体験=人生を得られるのです。

 いつも かならず ちょっとだけ 幸せに生きてみてください。

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