第6話 真の「生きる」を知ろう
これを読んでくださる方の大半は生きていると思います。ありがとうございます。
その中でいちばん若い方は何歳ぐらいでしょうか。まさか四~五歳などということはないと思いますが、この辺りはリサーチできないので、ぼくの勝手な判断で十六歳ぐらいから上と思い込んで書かせていただきます。もちろんもっと若くても大丈夫なお話です。
この世に生まれて、今の年齢になるまで、それぞれに、いろんなことを学び成長されてきたのだろうと思います。親のしつけや各学校での教育、体を動かすことで作られる体力や筋力など、誰もがいろいろと学び、いろいろと肉体を作るようにして成長しています。
ただ残念なことに、これらの学びはすべて肉体的なことばかりなんです。
運動や体を動かす遊びなどで作られる体力や筋力は、分かりやすく肉体的な学びですが、学校などで座学として学ぶもの、これも、脳という肉体的部所の学びです。
多くの人が「これが学びである」と認識していることでしょう。たしかに必要な学びなのですが、あくまでも社会生活を営むための学びであって、社会の歯車としては優秀になるのかもしれませんが、人間という生物が成長していく学びとして考えた場合には、かなり物足りないんですね。
一般的に学びと思われているものは、ほぼ肉体的な学びだけで、スピリチュアル的というと語弊があるかもしれませんが、「魂」のほうの学びがほとんどない、ということなんですね。
「魂」とは何かという話は以前の記事に書きましたので、ぜひそちらを参照してみてください。簡単に振り返っておくと、「魂」とは「心」であり、また「創造主」です。一般的に認識されている神さまに近いもののことを指していますが、神さまと呼ばれるものは人工物なので、「創造主」とは違います。「肉体は魂の操り人形である」ということと「魂は創造主そのものなのでポジティブのかたまりである」、ということぐらいを記憶していただいて、話を進めますね。
まず魂は変化しません。イコール創造主ですから、ポジティブであること、愛のかたまりであることは何ひとつ変化することなく存在しつづけています。
では魂の学びとはなにかというと、魂に合わせた思考の学びのことです。
「魂」自体はずっとポジティブ、日本語で言う肯定です。一切の否定を持ち合わせていません。人間の良いことも悪いことも、すべて肯定する、それが魂であり創造主です。
もし創造主が人間の人生に手を出していたら、戦争も犯罪も嫌がらせもいじめも存在しないはずです。それが存在しているということ、この世界に真実ではない神さまという、崇められる存在があっても許されているということは、創造主は人間の営みに手を出していないということになります。逆に言えば、人間の自由を認めているということでもありますよね。何も否定しないんです。
魂は肯定しかしない。言葉を変えれば幸せしかありません。
この世の不幸は、否定から始まっています。「イヤ」、「嫌い」、「認めない」、「許さない」、「受け入れられない」など、すべてが否定です。もちろん生きていれば受け入れられないこともありますが、そこをすり合わせるために人間には言葉があります。そのすり合わせの努力をすることなく、率直に行動や言葉で表現することで、つまり反射的な反応をすることで、相手やその状況に壁を立てることになり、摩擦を起こし、トラブルが生まれます。
本来「魂」にはそういう思考はありません。というか、そもそも脳がないので、エゴや思考というものが存在しません。ただただひたすらに肯定するという、ポジティブ・エネルギーのかたまりです。そのエネルギーに触れると、誰でもやさしい気持ちや幸せな気分になれるはずです。
すごく前向きでニコニコしている人と触れ合うと、こっちもニコニコしますよね。まさにそれです。
ではなぜ否定的な思考が生まれるのか。それが脳の機能だからです。
脳科学的な話ではありません。それほど詳しくもないですし、この記事はあくまでも目に見えない世界から見たお話ですので、そのあたりをご承知おきくださいね。
脳は、新しい物事を理解しようとするとき、比較対象を用意して認識します。
たとえば、「これは白ではないから黒である」とか「犬ではないからネコである」というように、何かと比較して「それではないからこれである」という認識をします。だから、生まれて初めて心霊現象に出会っても、比較する対象を知らないので、目の錯覚とか、勘違いという、体験そのものがなかったという答えにたどり着いてしまいます。もちろん目の錯覚もありますし勘違いもあるでしょう。でも体験者の数を考えれば、目の錯覚や勘違いだけでは済まされない量の体験談がありますし、実際にはっきりと体験したら、事実としか思えないはずです。
話を戻します。
脳にとっての否定は元々、肯定を知るための比較対象でしかありませんでした。分かりやすく言えば、幸せがどんなものかを知るために不幸がある、光を知るために影がある、そんな感じです。
人間が物理的なものの考えかたに重きを置くようになってから、不幸の立ち位置というのが変わっていきました。物理の法則を取り入れていくごとに、正解か不正解か、白か黒かどちらかしか答えがなくなっていきました。
その結果、目に見えない世界、非物質世界は存在せず、目に見える世界、物質世界だけが存在しているということになってしまい、その中だけで判断を下すようになっていったのです。
そのため、「自分が考える形の幸せでなければ、あとは全部不幸である」というような思考のシステムになり、物質的な幸せが本当の幸せであるかのように思い込むようになっています。
そして、人生や心や愛などの、目に見えない世界のものがどんどん疎かにされ、この世には、比較対象でしかなかった不幸が、人の思考の主軸となって蔓延することになりました。
今では「完璧に幸せ」と言える人はほとんどいないでしょう。報道などを観れば、いかに心が無視されているかが分かる、そんなニュースが多いですよね。
本当なら、ちょっと幸せとかほんのり幸せというのも存在するはずですが、その程度では不幸である、という思考になってしまったのです。
物理のルールだけではありません。経済的な面からも、同じことが言えます。とりあえず「今・ここ」で足りていれば問題ないはずなのに、常に足りないという思考に支配されています。
そのせいだけではありませんが、人はありとあらゆる数字に敏感に反応し、数字こそがこの世の基準であるというような思考になっています。SNSなどの「いいね」やフォロワー数などから、契約件数、ノルマ、預金通帳の残高、各種請求書、そして時間など、とにかく数字に追われる日々を生きています。数字は目に見えますから、比較にするのに便利ということもあるでしょう。
そんな感じで、人の脳は否定的な物事を見つけやすく、肯定的な物事を見過ごすシステムになってしまっているのです。それは人の頭の中が、つねに否定的であることを意味しています。
「魂」はずっと肯定的なままです。それなのに普段の暮らしが肯定的にならないのは、脳が肯定的に物事を見ようとせず、物事の否定的な面ばかりを見ているからです。
それは、物理的な学びしかしていないせいだと、ぼくは思っています。
最初に書きましたが、親のしつけや学校教育などは、物理の法則に従ったことだけを学んでいます。物理の法則は、すべての人が同じことをしても結果が同じであることが条件です。水を分解すれば誰がやっても水素と酸素に分かれます。また、一+一=二です。誰がやっても答えが変わることはありません。
そういった脳の思考パターンしかなければ、人や人生、愛や心など、人それぞれの答えがあるような問いに答えることはできません。しかし、そういう問いがこの世に多くあるということを誰も学んでいないのです。
そのせいで家庭や学校、会社などでは、人間関係の問題が多く、どんどん複雑になっています。誰もが数字を追いかけたり、追われたりしながら、比較をして、誰かが誰かのマウントを取りにいっています。
親も教師も、大半の人がそんなことを考えたこともないでしょうし、学ぶこともなかったでしょうしね。これまで生きてきた経験の中で、それらに気づく人もいるかもしれませんが、ほとんどの人は、自分が心や魂のことを学んでいないことに、まったく気がついていないように見えます。
相手の気持ちを考えるなどの道徳的なことなら、すこしは学校でも教えているのでしょうけど、物理システムの脳では、道徳的な学びの本当の意味を理解することは難しいでしょう。これが肉体的な学びしか受けていない、ということなんです。このお話だけで理解できる人は、普段からそういう非物質世界的な思考を持っている人だけです。
「魂」がどれだけ肯定的なエネルギーを発していても、脳がすべてを拒否したり、キャンセルしたりしているのです。直感やひらめきで正しい答えにたどりついても、脳がすぐさま考え直して、前例や過去の知識によって、せっかくひらめいた正しい答えを否定して、いつもと同じような結果を導き出しているということです。
「生きる」とは、学ばなければ分かりません。肉体だけの成長で構わない方はそれでいいと思います。食事や睡眠、排泄があれば人は生きることができます。しかしそれだけで幸せな人生や楽しい日々が、思いどおりにやってくることは稀です。なによりもまず、人として生を受けたという喜びを全力で味わうことさえ難しいでしょう。
幸せな人生や楽しい日々を、意図的に手にしたいと思う方は、ぜひいろんな形で「心」や「魂」を学んでみてください。
ぼくの個人的な考えではありますが、何かしらの団体などにとどまることは禁止です。たくさんの教えに触れて、たくさんの視点の違いを学んでください。ひとつのところで学ぶのは、そこが間違っている場合、どうにもならなくなります。本屋さんに行けばさまざまな情報、いろいろな教えが本となっています。その程度の出費と、あとは強い意志があれば、意外と上手くいくものです。
ぼく自身が、宗教や何かしらのグループのようなものにいっさい関わらず、ある個人数人と本と自分で体験する実験だけで、ちょっとした悟りを幾度か得ることができたので、誰でもできることなのだと考えています。
魂のポジティブなエネルギーに思考を合わせるだけで、この世は大きく変化します。真の「生きる」とは「今・ここに在るあなたが心の奥底から幸せであること」です。また、人間がこの世に存在している最低限の根拠である「生きる」という土台をしっかり作っていかなければ、人生そのものが好転することはありません。ある意味、自分を律するという思考と行動が必要なのです。
そのための「生きる」という学びを惜しまないでいただけると嬉しいです。
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