第4話 魂はどこにあるのか
目には見えないから存在しない、という考えかたは視野を狭くしてしまいます。
視野が狭いと、幸せが足元を通過しても視界に入りませんし、視界に入ったとしても、認識することができず、通り過ぎて行ってしまいます。
「神さま」についても同じことが言えるのですが、「あるかもしれない」と考えることで、「これまでとは違う生きかた」という選択肢が増えることもあるんです。
そして「魂」です。霊魂という言いかたもしますが、幽霊や心霊現象とは別の話なので、ここでは「魂」という言葉を使いますね。幽霊や心霊現象はまた別の機会に。
魂の存在を信じている人に「魂はどこにあると思いますか」と質問をすると、多くの人が胸の奥や頭、または、体全体を覆っている、と答えるのではないでしょうか。
ぼくも昔、胸の奥ではないかとふんわり考えていた時期があって、そこから発生して全身を覆っているエネルギーがオーラだと思っていました。
なぜ胸の奥だと考えてしまうのでしょう。
きっと、衝動的・衝撃的な感情が胸のあたりから湧き上がってくるような気がするからではないでしょうか。言いかたを変えれば、「心が胸の奥にあるから」という考えかたかも知れません。
心はどこにあるかという問題について、まだ科学の答えは出ていません。意識をつかさどる機能のひとつと考えられているぐらいでしょうか。だとしたら脳内に心があるということになります。それもなんだかしっくりきません。味気ない気がします。
さて、ここからはぼくの仮説です。信じるも信じないも好きにしてくださいね。できることなら、読んでくださる方の人生の中で、何かしらのきっかけやヒントになるものであれば嬉しくて、ありがたいです。
「魂」は、有機物や無機物の区別なく、すべてに宿っていると考えています。実際には宿っているというよりも、覆っているというほうが正確かもしれません。
ここですこし想像力を働かせてみてください。
大きくて真っ白な綿があります。大きさは無限大ですが、ひとまず地球ぐらいでいいと思います。これが「魂」だとしてください。
その綿の一部をすこしつまんで、ねじったりしながらツノを作ります。綿の一部にツノがひとつ立っている状態ですね。このツノがひとりの人間の魂です。
そこにあなたの好きな色を塗ってください。何色でも構いません。マーブル模様やストライプなど、好きなように塗ってみてください。あなたの好きなように塗られた色がその人の個性や性格など、その人のキャラクターになります。人それぞれに、色の混ざりあいや模様が出来上がりますから、その個性は多種多様になります。
大きくて真っ白な綿の一部に、好きなように色が塗られたツノが立っています。これであなたというひとりの人間の出来上がりです。
それを八十億ほどそれぞれに作れば、ウニのような、怒ったハリセンボンのようになりますが、これで現在の地球上の人の完成です。
こんな感じで、魂は空気のように地球上のどこにでもあり、すき間なく満たされていて、人々はその中で生きて、生活して、死んでいます。
魂は各個人にひとつずつ、と考えられがちですが、大きな塊をみんなで共有していると考えたほうが、いろいろ辻褄の合うことが増えてきます。
そして、この大きくて真っ白な綿には別名があります。それが「創造主」です。あるいは「大いなるすべて」です。「魂」=「創造主」なんです。
魂を共有しているからこそ、以心伝心やテレパシー、虫の知らせといった体験が起こっても不思議ではありません。辻褄が合うひとつの例です。さらに魂が創造主であるからこそ、誰もが自分の人生を創造することができている、というわけです。
人が死ぬというのは、古びたり壊れてしまった肉体を捨てるということです。
一般的に人が死ぬと、魂が抜けてあの世に行くと言われていますよね。
人は、ある一部の人を除いて、主観でしかものを考えられません。ここで例えるなら、生きていることが通常営業であるという、肉体優先の考えかたです。たしかに自分が生きているのであれば、それが普通だと考えてしまうのもよく分かります。でも死んでからのことが分からない以上、何が通常営業なのかという答えは出ません。
仮に、霊魂があるとしてください。幽霊とか心霊と呼ばれるもののほうです。
肉体がないということは五感はまったくないか、ほぼないだろうと考えられます。五感がないということは、美味しいとか良い香りというものを味わうことはできません。でも逆に考えれば、空腹を感じませんし、痛みや暑さ寒さを感じることもありません。重力からも解放されますし、経済活動もありません。それに比べて肉体がある状態、つまり生きている状態はどうでしょうか。空腹は感じますし、痛みもあります。さらに日々の経済活動に追われ続けていませんか。
そう考えると、肉体があるのとないのとどっちが幸せなんですかね。
ただ、肉体がない以上、すこしずつ自我は薄れていくみたいです。それは本来の場所、「創造主」のもとへ帰るということです。
綿の例を使うと、つまんでねじって引っ張りだしたツノから染めた色が抜け落ち、ツノもクタクタになってしまったので、大きな綿の一部に戻りましょう、ということです。
魂によってはそこでシャッフルされて、時期が来たら、新たなツノとして飛び出して、それがどこかの誰かの肉体を覆います。対象はもちろん赤ちゃんですが、このシステムが輪廻転生と呼ばれるものです。
一般的にはよく前世という言葉が使われますが、それは新しいツノを構成する魂の中で、もっとも影響力がある魂のことです。まるまるひとりの人間がそのまま転生することはないようです。それでは人生での体験が片寄ってしまいますからね。幸せを体験しに生まれていても、前の人生とほぼ同じではもったいないですし意味がありません。そういうことなので、たくさんの魂がミックスされていますから、正確には「過去世」という言葉のほうが適切ではないかと思います。そう考えれば、過去の同時期に生きていた人の記憶が混ざっていても不思議ではなくなります。
それから、「死んだほうが楽」という考えはやめたほうがいいと思います。
死んだあとのことを知らない人が、なぜ楽だとか無になるとか決めつけているのか、ぼくは不思議でなりません。
これについてもまた別の機会に書いてみたいと思っています。
駆け足で書きましたが、結論としては、魂はどこにでもあるということですね。
海の中の水滴のようなものです。諍いを起こしても結局は同じ穴のムジナでしかないので、誰かに悪さをしたつもりが、めぐりめぐってかならず自分に返ってくるものです。水たまりの波紋みたいなもので、端っこまで行けば、そのさざ波は元の場所に戻ってきます。
死後の世界など存在しない、それもいいと思います。天国に行くとか地獄に行くとか、それもいいと思います。
でも、魂を共有しているから、いつも誰かと繋がっているんだとか、「魂」とは「創造主」のことで、自分が自分の人生を創造しているんだ、などと考えて生きることで、自分の在りかた、これからの生きかたを変えることができるかもしれません。
生きかたは、自ら変えなければ変わることはありませんから、もし人生を変えたいと考えている人は、お試しでいいので、この記事に書かれていることを意識してみてください。ここならタダで知ることができますし、うまくいけば次の瞬間、めちゃくちゃ幸せな人生のスタートを切っているかもしれません。
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