第2話 目には見えないけど存在するモノやコト
ここで書いている内容は、ぼくの体験や実験の結果、いろいろ考えてたどり着いた結論です。誰にでも当てはまるお話ではありませんし、これが正解というわけでもありません。あくまでも仮説であり、目指している真理への道の途中経過のお話です。このことを踏まえて読んでいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。
空気や万有引力、紫外線や赤外線など、日常生活の中で肉眼で目にすることはなくても存在しているものがあります。
ほとんどの人が、それらの名前をどこかで耳にしているでしょうし、あきらかに存在するモノとして疑うことはないと思います。しかし、肉眼でその存在を確認したという人ははどれぐらいいるでしょうか。
巷ではよく科学万能とか、科学で証明されている、などというセリフがありますが、それは本物の科学者や研究者の方々が証明したことであり、そういう世界で生きていない人たちにとっては受け売りでしかありません。電気がどう作られて、どう送られてきて、どんな仕組みで冷蔵庫が冷えているかを知る人は少ないと思います。ぼくもそうです。まったくわかっていません。
つまり、専門家以外の人は「システムは知らないけど、結果的にこうなる」ということだけで科学万能と言っていることになります。
しかし科学は、観察したり、調査したり、実験などをして、誰が見ても同じ答えにならなければ科学的結論とは言えません。「1+1=2」などのようにすべての人が同じ結果になってこそ、科学的である言えるわけです。
現時点で、多くの人が知っているこの世に存在するモノやコトについて、すべて科学的結論が出ている、ということはありません。今現在、人間がすでに知っている物質に対しては、おそらくほとんどのモノに関して科学的結論が出ているでしょう。
しかし形はないけど存在していると知っているモノに関してはどうでしょう。
たとえば人の性格や思考、人生、愛、喜びなどなど。人それぞれの答えがある以上、すべての人が同じ答えになることはありません。そもそもぼくがよほどの偉人にでもならないかぎり、ぼくの人生を観察し、調査し、実験してくれる人などいませんし、そういう科学的なメスが入ったところで、あくまでもぼくだけの人生や体験や思考であり、誰にでも共通するというものではありません。人生や愛は数値で表すことができないのです。
このことに気がついたとき、ぼくは驚きました。「知っている気でいたのに、じつは何も知らなかった自分」ということにです。
しかしそういう風に考えはじめると、この世のすべてが科学で解明できると考えるのは早計だと分かります。
突きつめてみれば、専門家が観察、調査、実験などをしていないモノやコトは、本当に存在するかどうかの判断を下せない、ということです。
スピリチュアル的なことであれ、オカルト的なことであれ、宗教的なことであれ、個人的な考えや信じていることはいろいろあるでしょう。肯定する人も否定する人もいるでしょう。それはそれでいいと思います。
ただそれは、「主観に基づく個人的な考えである」ということを理解していなければいけません。一般的に言われる科学的な結論ではないのです。
とくに霊的なことについて、全力で否定する人がいますが、それは個人の結論であって、科学的であるとも、科学的でないとも、言える根拠はありません。科学的ではないというのなら、それを証明しなければならなくなります。しかし、今のところ自然科学の世界では誰も研究してる様子がないので、科学的にどうのこうのという言葉は言えないのです。研究されてるのは、超心理学とか哲学の研究をされてる方たちぐらいではないでしょうか。
また科学というのは、今のところまだまだ不完全な状態です。
医療の分野などでときどき耳にする言葉に、「奇跡的な回復だ」、「起こり得ないことが起こった」などがありますが、科学的というのはすべての人が試しても同じ答えである、ということを念頭に置けば、科学という枠組みの中で「偶然」や「たまたま」、「奇跡」などという言葉が出てきてはいけないことになります。
もちろん、うまくいく確率が低い中でうまくいった、という意味もあるでしょう。でも中には百パーセントうまくいかないという中で、うまくいってしまうこともあります。交通事故などで完全にダメだというようなダメージの中「奇跡的」に助かることもあります。
誰が見ても同じ答えにならないとき、「偶然」や「たまたま」という考えに逃げてしまっては、それは科学では答えられないということになります。
つまり科学は今のところ発展途上であり、まだまだ人間が理解していないことや気づいていない領域がある、ということだと思います。
まだまだ知られていないエネルギーや生物は存在するでしょうし、海の底や宇宙のことなど、分かっていないことがまだまだあるのも事実です。
このことを踏まえて考えると、「科学で証明できないから存在しない」という考えは、人類の思い上がり、傲慢にしか思えません。人類は「まだまだ知らないことがある、ということを知っておく」というのが大切なのだと思います。
この世で起こる事象には、まだまだ知らないことがあります。その反面、目には見えない事象を感知する人々がいます。
一時的な都市伝説的なものや誰かの作り話は淘汰されていきますが、霊的な体験の報告というのは減るどころか、増えているように感じます。
霊的なことだけじゃなく、目には見えなくても存在しているモノ、あるいは起こっているコトというのは、きっとたくさんあるでしょう。それが脳の誤作動や見間違い、勘違いであったとしても、否定すべきものではなく、なぜその現象を体験したのかを、観察、調査、実験することが必要なのだと思います。本当の意味で科学的というのはそういうことだと思います。
勘違いしないでほしいのは、科学がいらないというお話ではありません。この世は自然科学や物理のルールで成り立っています。が、それだけで話を終わらせないということが大切ではないか、というお話です。まだまだ現代科学の外側があるということを忘れてはいけないというお話です。
人類がまだ知らないだけで、もし本当に神さまのようなものが存在するとしたら、あなたはどう考えますか?
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