「生きる」が分かったから

古 散太

第1話 詩の補足として書いてみます

 作者としては人生哲学のつもりで詩を書いています。が、そもそも詩を書くという行為に不慣れなため、伝えたいことが伝わっているのかどうか、伝わらなければ意味がないと考えて、エッセイというのでしょうか、こういう形で補足することにしました。


 ぼく自身は霊能者でも宗教家でもなく、講演やセミナーをする人でもなく、何かに誘ったり、何かを要求する人でもなく、のほほんと生きてきた一般人です。多分これからもそうだと思います。

 詩に書いていることは、スピリチュアル的なことや宗教的なこと、もしかしたら自己啓発や心理学っぽいことも混ざっているかもしれませんが、基本はぼく自身の体験と思考実験みたいなのによるものです。「理論スピリチュアル学」とでも言うと分かりやすいでしょうか。ただ、そんなジャンルの学問は存在しませんので。

 スピ系や宗教関係(ほとんど禅関連)の本はたくさん読んできたほうだと思います。それは自分の体験や、閃くように気づいたことが正しいかどうかの答え合わせのためというものがほとんどでした。もちろん学びもたくさんありましたが。


 なので、その手の本などの受け売りに取られるかもしれませんし、実際に受け売りに近い部分もあります。

 でも、それはそれで構わないと思っています。「生きる」ということを学んでいくと、誰もが同じところにたどり着くので、受け売りでもなんでもいいんです。というか、誰の言葉でも、誰の本でもいいんです。ぼくでなくてもまったく構いません。間違った方向に行くことだけはお気をつけください。ちなみに行きつき先は「すべてはひとつである」ということです。

 ただぼくが「生きる」とはどういうことか、その答えに気づいてしまったので、そのことを伝えたくなったわけです。世界を見渡せば、すでに先生らしき人やメンターと呼ばれる指導者のような人たちが山ほどいますが、この世にまたひとり、発信者が増えることで、縁がある人の目にとまりやすくなるかもしれない、もしかしたら人生の歩み方をすこし間違えている、ということに気づいてもらえるかもしれない。だったら伝えないわけにはいかない、と考えました。


 ぼくに何ができるというものではありません。すべては本人の気づきと行動によるものです。実際、ぼくも体験や実験、思考実験の実践の結果ですし、あとは本を読んだだけです。このことで直接他人に関わることは何もしていません。

 ぼくごときが誰かの人生を変えることはできないのは分かりきっています。あくまでも、詩を読んでくれた人にとって、新しい気づきや人生のヒントになればいいなと考えて書いています。

 詩で書いていることは、どうあがいてもぼくだけの人生であり、ぼくだけの体験です。幼稚園でピラミッドやミイラに興味を持ってしまい、その手の本を読み始めてから数十年を経て今に至る、ぼくだけの生きかたです。

 それでも、「生きる」ということについてはすべての人に共通しています。だからこそ、ぼくの詩から拾えるところを拾ってもらって、使えるところを使ってもらえれば、ありがたいと思いますし、またそれで十分です。


 これからも、こういう形での解説的なものも書かせていただきます。読んでくださる方の人生にとって、何かすこしでも良い方向になったり、何かすこしでも幸せや喜び、楽しさなどが増えたりするととても嬉しいです。

 すべての人が人生を楽しめますように。

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