Act.24
竜貴が塔からの任務で処理した魔術師も使っていた魔術。人を魅了し、洗脳し、意のままに操る奇跡。
鈴木の頭上に、下手くそな桃色の魔法陣が浮かび上がる。それはいつかのパジャマ男が浮かべていたそれにそっくりだな歪さを持っていた。
「またかっ…」
持っていた財布を手早くポケットに仕舞いなおし、桐士は悪態をついた。ここのところ、面倒なことに巻き込まれてばかりだ。そして目の前の同級生はその中でも特別面倒な匂いがする。
鈴木の魔法陣が出来上がった瞬間、桐士は錬金術を使うべく世界をその身に取り込んでいる最中だった。周囲の人間たちが、一斉に桐士の方を振り返る。魔術によって人格を食い破られ、抜け落ちてしまった表情がよくできた人形を思わせた。
桐士本人には特に影響はない。
錬金術師だけでなく、魔術師の類は皆心理的な防壁を魔力でもって無意識に具現化しているがゆえに人体に直接干渉する魔術の効果が薄くなる。特に魔術を繰り返し使用した者はその魔法陣に応じた自身の特性がどんどん強化されていくため、他者との隔たりが広がり、防壁もまた強固なものになる。
そして世界が認識する”岡田桐士”という人間そのものの特性を引っ張り出す錬金術によって作られる防壁は魔術的なそれとは性質が異なっている。イメージで言えば、魔術防壁はただただ硬くなっていき、干渉を弾き飛ばすが、錬金術による防壁は外界からの干渉を中和し、打ち消す。
そも、歪な魔法陣から見るに薬で無理やり使われた人体干渉の魔術など多少精神の強い状態の人間ならば耐えられる。しかし、文化祭という非日常、意味もなくはしゃぐ連中の多い空間で、他者を拒絶するような気持ちを意識して持ち続けられる者はそういない。
結果、彼らは皆桐士目掛けて走り出す。
下手くそな操り人形のように、よたよたと。どこかコミカルで、それでいて不気味な
「
一瞬で生まれた魔法陣と共に桐士の肉体がかき消え、特別棟二階の張り出したベランダの手すりに現れる。
標的を失った人形たちが、戸惑うように一瞬動きを止め、それからまた風に揺れる葦のように揺れながら桐士の真下でたむろする。
「へえ、やるじゃないか。お前も俺と同じ口か? 意外だなー、お前みたいな根暗がクスリやってんのかよ」
「…」
桐士はそれっきり、何もしない。ただ眼下を見下ろすだけだ。
言い返すことも。なぜと問うことも。操っている人を元に戻せと叫ぶことも。彼はしない。ただ己の中に渦巻く世界を見つめるのみ。
「いいよなあ、これ。最高にテンション上がるぜ。確かに兄貴の言う通り、なんでもできる気がする。ま、俺は兄貴みたいなドジ踏まねえけどよ」
ペラペラと、鈴木は桐士に向かって話しているのか独り言を呟いているのか曖昧な様子で喋り続ける。
「…おい、なんか言えよ。陰キャが」
「
戦輪が唸る。
躊躇いもなく示された拒絶と嫌悪の円環は人形たちの間をすり抜け、鈴木へ降りそそぐ。
上半身をまったく動かさず、倒れ込むように戦輪の進路上に操られた一般客が割り込んでくる。肉壁というわけだ。
きっと、物語の正義の味方であるならば。攻撃の手を緩め、卑怯者めと叫んだことだろう。
けれど、桐士にとって人間はすべからく
一般客が着ていた高そうなサマースーツごと人肉を切り裂いた戦輪が鈴木の鎖骨あたりを切断する。1拍遅れて、血が濁流のごとく溢れ出して制服の白を染めていく。
「あ、あ、があああああっ!、お、お前イカれてんか!」
「…君に言われたくはない」
桐士の短い髪が、逆巻くようにざわめいた。まるで獅子のたてがみのごとく。見下ろす先には痛みに膝をついた鈴木と、急速に彼の周りに集まりだした人形たち。
意味がわからない。
桐士は純粋に疑問だった。鈴木がなぜ襲ってきたのか。襲おうと思った理由もさることながら、この勝ち目が薄い状況で自分を睨みつける鈴木が本当に理解できなかった。
困った。
「…てめえ、」
鈴木が口を開く。握りつぶすように傷口を押さえ、口からは抑えきれなかった敵意が紡がれる。
「兄貴も、こうやって殺したのかよ」
「…僕は、人を殺したことはない」
少し言い淀んでしまったのは、微かなりとも桐士が罪悪感を感じている証拠になりえるのだろうか。
「嘘つくんじゃねえ! この前、病院近くで暴れた兄貴を殺したのはお前だってあの人が言ってたんだ!」
「…」
面倒なことになってきた。
疑問を抱くでもなく。桐士が抱いた感想はそれだった。
この前のパジャマ男が鈴木の兄らしいこと。魔術師、それもおそらくは塔の人間の中に秘密を漏らして復讐をそそのかした誰かがいること。様々なことが今の一言で分かってしまい、桐士は心の底から絞り出すようなため息をついた。
まったく、知らなければこうやって煩うこともなかったというのに。ただでさえ目の前の状況の後始末が厄介すぎるというのに、余計なことを知ってしまった。
桐士はようやく、いつか師匠の言っていたことの意味を実感として理解することができた。
世界には、知らなくてもいいことが多すぎるということが。
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