Act.23


 後悔し始めている。


 なんで来てしまったんだろう。こうなることは予想できてたはずなのに。


 窓から眼下を見下ろせば、人、人、人。薄汚れたガラスを突き破って、喧騒が響いてくる。


 文化祭当日だ。


 去年よりは僕自身もマシになっているとはいえ、やっぱりキツい。人が多すぎる。


 下手に遠くにいるという事実が、やけに心を重くする。暇だし、絵でも描いていようかと思ったけれど、集中できないだろう。


 描けたとしても、ひどく陰鬱な絵に仕上がりそうだ。


 仕方なく、携帯端末を開いた。ネットサーフィンか、電子書籍でも読もう。


 「…このニュース、」


 電子機器が物珍しいのか、端末をいじるときにはいつも後ろから覗き込む師匠が画面を指差す。


 Webのトップに出てくる、ニュースだ。


 「これ、調べてみて」


 麻薬摘発の増加、中毒患者入院、警察の怠慢。よくある煽り文句と、めずらしくもなさそうな内容のニュース。


 僕としてはひとつ下にある今年の梅雨入り予想の方が気になるんだけど。


 「これに興味があるの?」


 師匠は答えない。ただ調べてみろと言ったきり、画面を見つめるだけだ。


 時々忘れてしまうけれど、師匠と言っても彼は人格の情報を得た僕が脳内で作り出している妄想の類だ。


 答えない、ということは人格情報内にニュースに興味を持った要因を説明できるだけの知識がないのだろう。


 僕自身が特に興味を持たなかった以上、そういうことになる。


 特に断る理由もない。素直に調べてみることにした。


 調べてみても、まあネットの情報だ。碌なものじゃない。目立ちたがりが垂れ流すくだらない記事を適当に読み飛ばしていく。


 「新種、原材料不明ながら水に溶けると鮮やかな赤、酩酊状態に近い症状」


 僕がスクロールしていく画面を見つめ、師匠はうわ言のようにつぶやき続ける。


 「原材料不明って。そんなものを接種するんだ」


 「相場よりも高め、暴力性を強める」


 こういう気分を、対岸の火事というんだろうな。興味なんて一切ない。


 「で、これがなんなの?」


 「覚えておくといい」


 それっきり、黙ってしまう。


 …気になる。この前は知ってもどうしようもないことを知る必要なんてないとか言っておきながら、こういうことをされるとモヤモヤする。


 いや、ならこれは知る必要があることなのかもしれない。一応、他の記事にも目を通しておこう。


 にしても、麻薬か。僕が小学生くらいのときは、そこらのゲームセンターにでも行けば売人がいたけれど、最近はそういう噂も聞かない。 


 「へえ、最近はネットで買うものなのか」

 

 普段どんなことをしているのかもわからない、自称専門家たちが自分勝手に意見をネットに流している。こういう人たちって、普段何してるんだろう。


 きっと、数十年後にはタバコもお酒もカフェインも。こうやってサンドバッグにされるんだろうな。


 …珈琲、飲も。


 なんとなくそう思い立って、僕は美術室から出た。


 








 ◆◆◆


 








 美術室から出た桐士に、何倍にも増幅された喧騒と熱気と人間たちの体臭が襲いかかる。


 迷うように一瞬足を止めた桐士は、なんとか次の一歩を踏み出した。


 特別棟の階段を下っていく。賑わっているのは理科室と、家庭科室だろうか。派手に装飾された模造紙で中の様子は見えないが、人がすし詰めにされている様を容易に想像できる。


 更に下る。


 いつ作ったのか、木製の手持ち看板を肩に乗せた生徒が声を張り上げている。人混みの中、ぴょこんと飛び出したお粗末な看板がどこか滑稽にも見えた。


 一般人を取り囲むように、原色の主張が激しいTシャツ姿の生徒たちが歩いている。自分もそのうちの1人なのだと思うと、気持ち悪いような安心するような複雑な気分を桐士は感じている。


 下る。特別棟一階。


 自販機まではもうすぐだ。特別棟の裏手、文化祭の人混みから少しばかり離れた薄暗い場所。


 ようやく自販機までたどり着いてみると、目ぼしいものは大半が売り切れていた。今日も今日とて夏を先取りしたかのような気温と、肌にまとわりつき始めた湿気が気になるような日だ。皆、考えることは同じなのだろう。


 仕方なく、唯一残っていたペットボトルの水を買おうとして財布を取り出した瞬間。


 沸き立つような寒気が背骨を舐めた。


 勢いよく振り返ってみれば、そこには制服姿の男子生徒がポツンと立っている。皆がクラスオリジナルのTシャツを着ている文化祭の真っ只中、彼だけは汚されることのない白を纏っていた。


 「よお、岡田」


 ひどい隈と脂まみれの髪で別人のようだが、鈴木だった。相変わらず下の名前を桐士は知らないが、クラスメイトではある。


 「…久しぶり」


 そう口にしながら、初対面のような気分を噛み締めている。


 桐士が教室で目にしていた彼とは、決定的に存在感が違う。まるで人格が肉体を凌駕したかのような、そんな威圧感を撒き散らしている。


 鈴木が、右手を高く上げる。人混みから離れた場所とはいえ、周りにいた生徒と一般客数名が訝しく鈴木を見つめている。


 「魅了せよファシアス


 果たして、言葉は紡がれる。


 人を捻じ曲げる、呪いの言葉が。







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