Act.18
茶色いブーツの先が、桃色の海を踏みしめる。
建物ばかりがその存在を主張する都会で、けなげにも咲いていた桜はそのほとんどが若葉を茂らせていた。上から下へと彩りを移した花びらも、じき春風にさらわれて消えていく。
もう少ししたら、薄手のコートでさえ要らなくなる。冬物は一旦しまわなきゃ、なんてことを口の中でつぶやきながら彼女は歩いていく。
姉、春原竜貴と違って、琴葉に抱えている仕事はない。彼女の魔術が戦闘向きでないこともあって普段から”塔”から依頼される仕事も少なめだが、最近は特に少ない。
「あ」
美容院帰り。上機嫌で駅に向かっていた琴葉の視界に見覚えのある人影が映る。
短めの黒髪に、感情が薄そうな顔立ち。簡素なシャツにスラックスという、画一的な格好も相まってひどく目立たないものの、記憶に新しいおかげで目にとまった。
「岡田さん、」
足早に近づいて話しかけると、彼は一瞬ビクッと肩を揺らして、ゆっくりと振り返った。
「・・・あ、えっと、春原琴葉、さん」
「琴葉、でいいですよ。姉と被りますし」
琴葉とて、あまり積極的に声をかけるような性格ではないが、春も半ばの穏やかで暖かい気候に少しばかり気分が高揚しているようだった。
「わ、わかりました」
対して冬の曇り空みたいな暗い雰囲気を変えない桐士は、季節というものを一切感じていないようですらあった。
「お買い物帰りですか?」
桐士が持っている四角いビニール袋を見ながら、琴葉が言った。
「え、ええ。一番近い本屋が、このあたりにしかなくて。琴葉さんは何かご用事ですか」
「はい。美容院に。最近行けてなかったので」
自然と2人で並び、駅へと歩いていく。
琴葉はリラックスしたような雰囲気で話しているが、桐士は内心冷や汗ものだ。握りしめた拳の中で、汗がじっとりとにじむ。
これでも以前よりはだいぶマシになったというのだから、彼はよくここまで生きてこられたものだ。
2人の周りに浮いてる古の錬金術師も、呆れを通り越して感心したように苦笑している。
◆◆◆
どうしてだろう。
他愛もない会話を彼と続けながら、琴葉は不思議に思う。
「大学の春休みって、2ヶ月くらいあるんですよ。いいでしょ」
「はい。高校の春休みって2週間くらいです」
「あっという間ですよね」
あんまり気まずくない。
桐士は積極的に話さない、というか話せないため話題を出すのはいつも琴葉から。自然と会話も途切れ途切れになる。
琴葉は大学の友だちと話していると、少しの沈黙ですらそわそわしてしまうのに、桐士とはそれがない。
聞き上手とも違う。ただ、雰囲気がひどく平穏で落ち着く。
魔術師は大抵我が強いこともあって、琴葉にとって桐士は目新しい性格の人間だった。
もうすぐ駅につく。
駅の周辺では、官舎の取り壊しでも行っているのか、重機がひどく耳障りな音を立てて文明を破壊している。
人通りはあまりなく、民家もない。道の両脇を覆う工事用のバリケードには、駅の名前と駅への矢印が間隔をあけて描かれているだけだ。
重機の音に負けじと、2人の声も大きくなる。
そんな騒音の中なんの前触れもなく、明らかに異質な音が鳴り響いた。まるで発泡スチロールを力任せに割ったときのような軽く、高い破裂音。
訝しく思った2人が振り向くと、そこには淡い水色のパジャマを着た男が立っている。
足元には砕け散ったバリケードが散らばっていた。
「え、」
思わずこぼれた声は琴葉と桐士、どちらのものだったのだろう。男の手にはもう1人の人間が頭を鷲掴みにされていた。おそらく工事の関係者だろう、作業服を着ている誰かは気絶でもしているようで、目は閉じられたまま。
しかし、どう考えても2人が仲の良い関係ではないことだけは明白だった。
「ッーーーーーーー‼」
引き笑いのような異音がパジャマ男の喉から吹きこぼれる。目をこらせば、男の頭には包帯が巻かれていた。
近くには病院があったっけ、なんてことを桐士は呑気にも考えていた。
瞬間、男の頭上にどす黒く下手くそな魔法陣が浮かび上がる。子供が描いたように歪でお粗末な陣。
しかし、それでも魔法陣は魔法陣である。
つまり。
「魔術師⁉」
琴葉の声が聞こえたのか、男がゆっくりと動く。
まるで見せつけるように鷲掴んでいた体を持ち上げると、そのまま握りつぶした。
「ひっ!」
音は、工事の音で消されてしまった。それが逆に、現実を残酷なほど認識させる。
ザクロみたいに頭が潰されて、酸素が薄いどす黒い血と粘液。それと腐ったぶどうのような脳みそがぶちまけられる。
頭部を失った体からはシャンパンボトルみたいに血が噴射され、道路とバリケードと男のパジャマを染めていく。
「な、なんで、こんな。っ、岡田さん逃げ、」
突然のスプラッタにパニックを起こしかけている琴葉が駅に向かって走ろうとした瞬間、男の体が宙に舞う。
30メートルほどの距離を、助走もなしで跳躍した男は葡萄酒色に染まった拳を思い切り振りかぶっていた。
春も半ばの真っ青な空に、赤い蕾が舞っているかのようだった。
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