Act.5


 くそ、くそ、くそ、くそ!


 「なんでこうなるんだよ!」


 明かりもついていない部屋の中、よく通る声が響き渡る。カラオケにでも行けば魅力的な歌声を聞かせてくれるであろうその声は、今や焦燥で焼け付いたようにひび割れていた。


 普段は綺麗に整えている黒髪を振り乱し、佐々木伊吹はまくらを殴りつける。


 机をたたいたりはしない。それはすでに試してみて、彼の腕には小さなガーゼが申し訳程度に貼られている。


 「俺、は特別なんだ。あんなグズとは違う。あんな、」


 佐々木の頭の中に、ニヤニヤと笑うガキの顔が浮かび上がる。似合わないピアスをつけ、佐々木のことをおじさん呼ばわりした挙げ句に罵ってきた身の程知らず。


 だから、殺してやった。


 魔術師にかかれば、こんなこと簡単だ。警察にもバレはしない。


 「…けど、あいつらだけは別だ」


 忌々しい、隠匿省いんとくしょうのやつら。魔術の痕跡を探し出し、不正使用者を摘発する武闘派集団。


 の世界では特に、一般人に手を出すことは重い罪となる。


 佐々木はベッドの上で布団を被りながら、今日何本目かもわからない安いビールをあおる。


 ストレスと飲酒量でいい加減吐きそうだったが、思考を先延ばしにするためにはこうするしかない。


 「くそっ、大体なんで一般人に手出しちゃいけねえんだ。世間の混乱がなんとかでお偉いさんたちが決めてることだろうけどよ、」


 あっという間に空になったビール缶を放り投げる。


 「俺らは特別なんだ。そんなの、魔術師だったら誰でも感じてる。一般人を殺したって、罪になるもんか。…そうさ、逆に俺は褒められるべきなんじゃないの」


 酩酊してきたのか、ブツブツと独り言をこぼす佐々木は、しかし体だけは恐怖に正直なのか、ずっと震えている。


 数日前、感情の高ぶりのままに殺してしまった後、自身の部屋に戻ってある種の達成感に浸っていた佐々木の前に、一通の手紙がどこからともなく現れる。


 それは出頭命令だった。


 『汝に不適切使用の疑いあり。ただちに隠匿省第13区画に出頭されたし』


 その時のことを思い出して、アルコールで高揚していた気分が一気に下がり、吐き気が増す。


 戦闘だけでなく、捜索用の魔術をも扱える者が多く在籍していると言われている隠匿省。彼らはわずか数時間足らずで佐々木の犯行を探し当てた。


 その後のことを、佐々木はよく覚えていない。ただすぐにでもこの場を離れなければいけないという思いだけが頭の中で警鐘を鳴らしていた。


 出頭し、自首すれば刑期はそんなに長くはならない。魔術師の絶対数が少ない以上、ある程度の犯罪行為も軽く見られる。


 しかし、出所したあとが問題だ。


 一度、隠匿省に捕まった魔術師は、死ぬまで魔術師社会を守るための歯車にされる。それが懲役の代わりだと言われて。


 給料も少なく、娯楽の時間も最低限。ただひたすらに奉仕するだけの存在になる。


 佐々木も、一度だけそんな魔術師に会ったことがある。


 赤い宝石がはめ込まれた首輪をつけ、徹底した健康管理のおかげが妙に顔色は良くて、でも瞳だけは死んだ魚のように濁りきっている、そんな魔術師を。


 「いや、だ。」


 瞳をギラつかせながら、佐々木は自分の身体を強く抱きしめる。


 俺にはやりたいことがたくさんある。女も金も酒も、もっと欲しいんだ。ちょっと人を殺したくらいで人生めちゃくちゃにされてたまるか。


 そうだ。こんなところで逃げているわけにはいかない。


 仕事を探して、部屋を借りよう。要塞みたいに部屋を魔術で防御して、奴らを返り討ちにするんだ。


 「向こうだって、俺の人生を食い物にするんだ。俺だって、俺だって奴らを殺し返してやる!」


 そう、口に出して佐々木は布団をはねのける。


 きっとうまくいく。根拠などなくとも、若く猛々しい自信は恐怖を今この瞬間だけは取り払っていた。


 「あらそう。なら遠慮はしないわ」


 自信はあった。


 這い上がるような熱い声が、聞こえるまでは。


 とっさに声のした方、扉の方に振り向こうとした佐々木の耳に、同じ声が再び聞こえてくる。


 「破滅せよパドレム

 

 瞬間、扉が真っ青な炎に弾き飛ばされ、冗談のように吹っ飛んだそれは佐々木の体を激しく打ち付けた。


 「…っ、く、うう」


 ベッドの上から転がり落ちながら、佐々木は体にのしかかってきた扉をはねのける。


 扉が直撃したあばらが、ジクジクと痛む。頬を打つ炎の熱は、アルコールで鈍った触覚ですら感じ取れるほど強烈だ。


 肌見放さず持っていた金縁のメガネをベッドの影でつけながら、声を張り上げる。


 「隠匿省か!」


 相変わらず早すぎる。もっと仕事サボれよ。


 そんなことを思いながらも、変にハイになっている佐々木はむしろ冷静に状況を把握できていた。


 「そう。一応、聞いておくわ。投降する気は?」


 扉を吹き飛ばしたあと、部屋の中で荒れ狂っていた炎を一旦落ち着かせた竜貴の声が、感情を含まずに佐々木の耳を打つ。まるで作業でもこなすような、冷たい声色の問いかけ。


 「…投降、すれば罪は軽くなるのか?」


 ベッドの影から両手を上げて、佐々木は戦う気がないのだとアピールしてみる。


 「さあ? 私は戦闘要員だから、そのへんは知らないわ」


 おどけたような口調はしかし、警戒の色がまったく薄れない。


 両手を上げて見せても、全然油断してくれない。くそっ、分の悪い賭けだが仕方がない。それに俺の魔術は女性相手に効きやすいんだ。いけるんじゃないか? いや、絶対いけるはずだ。


 自分に言い聞かせるような思考を素早くこなし、佐々木はベッドの影からゆっくりと立ち上がる。


 「…あら、投降?」


 少しだけ、冷徹な声に意外そうな感情が交じる。


 「ああ、…そんなわけないだろ! 魅了せよファシアス!」


 叫ぶような呪文とともに、金縁眼鏡のレンズが金色に光りだす。五芒星をかたどった魔法陣が浮かび上がり、佐々木の魔術が発動する。


 彼の魔術はその名の通り、魅了すること。特に異性に効きがよいとされ、簡単な命令を下すことはもちろん、ごく短時間のものならば記憶の改竄も可能である。


 「…稚拙」


 「は?」


 確かに、目を合わせ、術をかけたはずだ。


 なのになんで、目の前の女は敵意を持ったまま、俺を睨みつけているんだ?


 「隠匿省所属の魔術防壁はそんなに脆くないのよ」


 「そ、そんな・・・」


 つぶやきは、独り言のようでいて確実に佐々木の自信を穿った。


 「破滅せよパドレム


 破壊の呪文が、炸裂する。


 







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