Act.4
同時刻、東京新宿──────
駅の近くに位置する小さなカフェで、私はゆったりとマグカップを傾ける。
肌寒いこの時間帯に、暖かい紅茶が身にしみた。
チラリと、卓上のメニューに目を向ける。
学生でも手が出る値段にしては、それなりに美味しい。ちょっと意外。
「…それで、今回の人は何をしたの?」
待機命令が出てから、もう30分は立っている。さすがに退屈を感じはじめた私は、目の前に座っている妹に話しかけてみる。
「ええっと、ちょっと待って」
そう言って、妹は大きめのトートバックからいくつかの書類を取り出した。
…そこまで、本格的なのが知りたいわけじゃなかったのだけれど。まあ、普段の引っ込み思案な性格からはちょっとわからないひたむきさは、妹のチャームポイントだと思う。
「…容疑は殺人です。なんでも、ゲームセンターで対戦型のゲームをしていたところ、手ひどく負けたみたい」
「それで、やっちゃったの?」
このカフェは、あまり席と席の間隔が大きくない。自然と私達姉妹は、声をひそめた。
「ええ、信じられないことに。容疑者は佐々木伊吹。25歳。仕事はこっち関連で監視員みたいなことをしてたみたいです。性格は粗暴で勤務態度はあまり良くなかったそうですけど、なんでも上司に気に入られてたみたい。…確かに、顔はちょっとイケメンですね」
「そう? なんか女殴ってそう」
差し出された書類には、履歴書のように彼の素性が載っている。顔写真はもちろん、生年月日や現住所、通っていた学校の名前、就職先など。
…私も、何かしてしまえば、こんな風に過去を無遠慮に暴かれるのだろうか。
「そういう顔が好きな人もいるんじゃないですか? 実際、上司だった女性の方は好きだったみたいですし」
「そんなことまで調べたの? すごいわね」
誰が誰を好きか、なんて記録として残っているようなものでもないだろうに。
「…これくらいしか、できませんから」
少し顔を伏せてつぶやくように言った妹が愛おしくて、思わず私は頭を撫でていた。
丁寧に手入れがされたふわふわの、栗色の髪。私も色は同じだけど、妹みたいに天然パーマが入ってるわけでもなく、ストレートだ。
私は腰くらいまで伸ばしてて、妹はボブカット。綺麗、というよりも可愛いという印象が先にくる娘だと思う。
現に、恥ずかしそうにしながらも撫でることを拒まない彼女は、ちょっと小動物みたい。
「…んっんん! 申し訳、ないんだけど」
せっかく癒やされてたのに、いきなり男の低い声が聞こえてきて、手の中の妹がびくっと肩を揺らした。
腕を引っ込めて視線を足元に移してみれば、店内照明だけで作られた私の影が水面のように揺らめいていた。
そして、その奥には裂け目のような真っ青な口が開いている。
「そろそろ、移動してくれるかい?」
「…連絡係としては優秀よね、あなたは」
「ありがとう」
もう少し人間として空気を読めって言ってるのよ。
「…行きましょうか、姉さん」
ほら、この娘も不服そうじゃない。薄手の赤いコートに袖を通しながら、少しだけむくれてる。
お仕事終わったら、また撫でさせてくれるかな。
◆◆◆
21時前の新宿駅は、人でごった返している。
学校帰りの学生もいれば、仕事帰りのサラリーマンもいるのは朝も同じだろうが、夜に向けて少しずつ、非日常の匂いを漂わせる輩が出てくる。
それは見るからにガラの悪い連中であったり、ストリート系のファッションに身を包んだ若者たちであったり、目立ちこそしないものの、確実にその数を増やし始める。
喧騒が少しずつ大きくなり、日中はシャッターを閉じていた店たちがざわめき始めた。
そんな街の中を姉妹はゆったりと歩いていく。
姉、
妹、
「竜貴、次の角を右に行って。3つ目のビル」
「はいはい」
竜貴の足元の影が言う。
言葉通りに角を曲がると、そこにはごく普通のオフィスビルが建っていた。ビルの名前も外から確認できない、初めてこのあたりを歩く人にはなんの目印にもならないような、ありふれたビル。
奥の方にはチェーン店らしきカフェと、小さな木がぽつんと植えられた中庭が見えた。
「…こんなところに潜伏してるんですか?」
琴葉が、訝しげに聞く。心なしか肩がこわばって、姉の背中に寄り添うようにしているのは、緊張しているからだろうか。
「このビルじゃないよ。中庭の方に進むと、商業施設に直結している。そこに入ってる小さなカプセルホテルにいる」
「商業施設なら、さっき入口通り過ぎたと思うけど?」
「施設の中からもいけるけど、ホテルの正面玄関はこっち。もともとこのビルもなくて、もっと入りやすかったんだけどね。数年前にこのビルができたおかげでホテルは潰れる寸前。人目を偲ぶような男女とかがよく利用してる」
余計なことまでペラペラとしゃべる影を半ば無視して、竜貴は中庭の方へと足を向けた。
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