Act.3


 「だ、誰? あなたは、」


 バサリ、と音がした。


 呆然としてしまった僕の手から、持っていた写真の束が地面に落ちたんだ。


 落ちた写真は準備室の中に佇む彼の足元まで滑っていき、そのまま彼の足をすり抜けて止まった。


 実体が、ないんだ。


 「君はもう知っているだろう」


 白い布を巻き付けた、僕と同じ顔の青年は独り言のように言った。よくよく目をこらせば、彼の体は全体的に透けている。


 「その石板は、人の記憶に直接情報を叩き込むすべだ」


 僕と同じ声。


 まるで自分自身から話しかけられているようで、少しだけ吐き気がした。


 服装とか髪型とか、細かいところが違うのも余計に不気味だ。


 「君の記憶にはもう刻まれているはずだよ。私の生前の記憶と、ほんの少しの人格が」


 「人格?」


 記憶の部分には、理解も納得もできる。


 確かに馬鹿げていて、信じがたいことでもあるけれど、あの写真を見た今の僕には他人の記憶がある。


 断片的なそれは、さっきのような夜空の観察であったり、宗教じみた儀式であったり、不気味な色の薬品の調合だったり。


 科学的でありながら、どこか非科学的な記憶。まるで子供の頃の思い出のように、すぐには思い出せないけれど、たしかにこういうことがあったと認識できる自然なものとして僕の頭は他人の記憶を享受していた。


 「そう。石板に記された記憶は膨大だ。何も知らない人間の脳にこれを刻むとね、処理しきれなくなっちゃうんだ」


 けれど、人格とはどういうことだろうか。


 僕は僕のままだ。


 そのことを、僕は無意識で口に出していた。


 「ああ、自分と同じ存在わたしを見ているから自己の唯一性が揺らいでるのか。もちろん、君の自我は君だけのものだ。安心していい。私の言う人格というのはね、石板に記された記憶を整理し、持ち主の必要に応じて引き出すためのものだ」


 「…」


 「まあ、詳しい原理はおいおいわかってくる。今は、”君にしか見えない師匠”だとでも思ってくれればいいさ」


 「師匠って、いうのは」


 「君は知っているし、いくつかの術は使えるはずだよ」


 僕と同じ顔で、彼はひどく嬉しそうに笑っていた。


 僕では絶対にできないような顔で。


 「錬金術さ」


 








◆◆◆


 








 錬金術。


 古代エジプト文明に端を発するこの術は、非科学的な要素を多分に孕みながら、科学の礎にもなっている。


 一般的なイメージは卑金属を黄金へと変えるというあれだろう。


 それは現代科学からすれば馬鹿げた話だけれど、当時はれっきとした科学だった。


 重力を発見したニュートンだって、もとを正せば錬金術師だ。


 そして、古代に遡れば遡るほど、非科学的要素は強くなる。


 そんな錬金術を習得した、ある人間がいた。


 名前は知らない。容姿も身分も、僕に刻まれた記憶は内包していない。


 それでも彼の持っていた知識と、強い思いだけは引き継いでいる。


 彼はただ、自身がその生涯を捧げたものを誰かに伝えたかっただけなんだ。


 錬金術は習得できる人間が限られている、らしい。


 彼は生前、その素質を持つ後継者を探し出せなかった。


 だから石板に記憶を刻み、それを残した。


 自身の死後、素質ある者が生まれることを祈って。


 「…ようは、こういうこと?」


 「そういうこと」


 石板の記憶は今も僕の傍らに立っている彼が持っているけれど、僕自身にも少しはあるみたいで、見知らぬ記憶を思い出しながら整理して問うてみれば、予想された答えが返ってきた。


 なんというか、僕には記憶の目次が与えられているんだ。それを基に彼に問えば、答えが頭の中で浮かび上がる。


 まるで図書館のようだ。


 彼はただ、僕の望む本を所有しているだけで、僕は所有している本をすべて把握している。しかし、その本の内容は読んでみるまでわからない。


 「…なんで僕なの?」


 本来は口に出して問うまでもないけれど、少しだけ肌寒い帰り道には、僕以外の人影はなかった。


 すでに午後8時を回っている。彼に見られながらようやく資料整理を終わらせたのがついさっきなのだから。


 住宅で囲まれた暗い道では、多少ぼやいても不審に思う人はいない。


 「錬金術師の条件は色々とあるが、一番は記憶力だ」


 また記憶の話か。


 「錬金術は、基本的に自身を触媒とする。星座とかの例外はあるけどね。世界を取り込み、自身の特性、特質を反映させて出力する。が、人間一人が持つ特性は曖昧であることが多い。自覚すらしていなかったりもする。…君は、どうすればいいと思う?」


 驚いた。知識としてすでに知っているはずのことを考えるように言われるなんて。


 「…さては君、ちょっとイラついてるだろ。目つきが怖いよ。まあいいじゃないか。考えてご覧よ」


 答えを記憶として、知識として知っているはずなのに認識させてもらえず、僕は質問について考えさせられる。


 「そんなの、自覚させればいいだけの話じゃないの?」


 普段、他人と話すときには絶対にできないような口調で、僕は突き放すように言った。


 …他人相手じゃまともに話せもしないのに、自分の顔をした彼にはこんなこともできてしまった。


 そのことに、訳もなく、ちょっと落ち込んだ。


 「ま、半分正解。それもやるけれど、一番手っ取り早いのは魔法陣を使うことさ」


 「…」


 「こら、そのあからさまに胡散臭いなコイツみたいな顔をやめなさい。本当に魔法陣使うから。魔法陣によって自身の特性の一部を強化してやるのさ」


 「強化?」


 「そう。人間の性格は一言で表せるような単純なものじゃない。聖人みたいにいい人でも怒るときはあるし、悪人だって情に流されることがある。そうだな、たとえば君の人間嫌いという特性を強化すれば、まあ自衛手段くらいにはなる術が作れるよ」


 自分の顔と自分の声ではっきりと人間嫌いだと言われた。


 …そっか。そうだよな。僕、他人が好きじゃないんだ。


 今まで自覚はしていても、口に出すことは絶対にしなかったその言葉が、脳の奥に染み渡っていくようだった。


 なんとなく、こんな自分でいてもいいと言われた気がして、嬉しかった。


 

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