【短編】耳長族の喪主請負業

カブのどて煮

第1話 待宵草

 その国では、葬儀とは喪主がいなければ始まらない。喪主不在の葬儀など存在しない。ゆえに、喪主を得られず生涯を終えることは何よりの不幸であり、恥であり、不名誉だった。

 喪主を務めるのは往々にして女性だ。早生すれば母が。娶った後ならば妻が。不幸にも妻に先立たれたのなら娘が。


 男にとって何よりも重要なのは婚姻だった。婚姻なしで喪主を得られる確率など霞のようなもの。そのため、女の売買は当然の文化であったし、年老いた両親が独り身の息子を殺害することも珍しくなかった。


 男はどんな手段を用いようとも喪主を得る。

 だが、女に喪主は存在しなかった。


 男尊女卑の色濃い国家だ。女とは極論、子を産ませ、喪主を務めさせるための道具でしかない。むしろ、喪主という役割があるから生かしてやっている、という価値観は男女を問わず一般的なものだった。


 女は道具だ。喪主など、わざわざ用立てる必要もない。

 それが当たり前。当然であり、普通の人間が持つ思考。


 けれどもやはり、異端はどこにでも現れる。女の身で、喪主を求める者も少なからずいたのだ。


「……いらっしゃいませ」


 扉に取り付けたベルが音を立てる。店の女主人は来客を確認すると、本に落としていた視線をゆっくりと上げて、無感情な声を発した。

 静かな歩調で店内へ入ってきたのは、長い黒髪を腰まで伸ばした女性だった。楚々とした佇まいはこの国ではありふれたものだが、その装いは異質という他ない。


 外套の下には身体を守る薄手の鎧、腰に帯びた剣。出で立ちで傭兵と知れる女だった。

 街を歩けば悪い意味で注目を集める女だった。だからこそ、深い外套を身につけているのだろう。


 異端の女傭兵は、小柄な女主人の姿を視界に捉える。瞬間、一見して物静かな印象を与える目が、思わずといった調子で開かれた。


「本当に、耳長の方なのですね」

「ええ。この通り」


 本の山に埋もれるように椅子で揺蕩う女主人の耳は、人間にはあり得ないほどに長く、尖っていた。

 耳長族と称される幻の民。実在こそ確認されているが、人の一生で目にすることはまずないと言われているほどの種族。そんな存在が目の前にいるのだ。傭兵の動揺も無理からぬ反応だった。


 女主人は声と同じく、一切の感情を窺わせない瞳を傭兵へ向ける。

 人形が動いているような、あるいは植物が人の形を模しているような、そんな印象を与える女だった。


「それで、ご用件は?」


 女主人の問いを受けて、傭兵は気を取り直したように表情をはっとさせる。彼女の顔には、かすかな緊張が透けて見えた。


「喪主を、務めてくれるというのは真でしょうか」

「ええ。幾許かの条件と引き換えですが」


 あっさりとした肯定。それに対する傭兵の驚きは、尖った長耳を目の当たりにしたときを超えるものだった。

 一方、女主人は慣れたもの。驚愕のあまりに声も失う傭兵をよそに、淡々とした語調で説明を続けていく。


「一つ目。葬儀の方式は私の故郷のものとなります」

「──ええ、承知しています」

「二つ目。私は喪主を務めるだけ。参列者の手配などの煩わしい事柄には一切関与しません。呼びたい者がいるのなら、貴女が終わる前に手配しておくように」

「構いません。呼ぶ者などいませんから」

「三つ目。対価は金銭ではなく、この花です」

「……花?」


 当然のものと並んで告げられた、予想だにしていなかった条件に、傭兵はきょとんとした声で反復する。

 女主人は頷いて、鉢に植えられた黄色の花を目線で示した。


「待宵草──プリムローズという花です。私と契約を交わしたときから、貴女は終わりを迎えるまでこの花の世話をする。それが、私が喪主を務める条件となります」


 実に、実に奇妙な条件だった。


 女性の喪主を務める者などいない。男にとっては人と道具の分別もつかない阿呆であると示す行いであるし、家に囚われる女には葬儀を行える伝手などない。

 仮に、この傭兵のように独立して生きていたとしても、女の葬儀を行ったと知られれば、もうその土地では暮らしていけなくなる。


 山ほどの大金を積まれても、只人には割が合わない行為だ。世俗に囚われない耳長族だからこその生業であるとは傭兵も察していたが、財産の一欠片すら要求されないとは夢にも思っていなかった。

 一体、何の罠なのか。思わず勘繰った傭兵の態度も、女主人にとっては見慣れたもの。


「私は耳長です。貴女方の価値観とは違う世界で生きている。それで答えになりませんか?」

「……この花が、あなたにとっては無上の価値を持っているということですか?」

「ええ」


 女主人は本棚から吊り下げていたメモの束を手に取り、一枚を千切り取る。プリムローズの育て方が端的に説明されたメモだった。


「強い命です。人の寿命程度で枯れることは早々ない。もしも枯らしてしまうようなら、貴女の思いはその程度だったと判断します」

「……承知、しました」


 女主人の意図はまるで理解できない。けれど、傭兵にとって縋れるのは彼女の他にいないのは変えようのない事実。

 傭兵は震える手で鉢を受け取ると、女主人が提示した数枚の契約書にサインをして、店から去った。


 静寂に戻った耳長の女主人はきいきいと椅子を軋ませながら、読書に揺蕩う。その安寧が、何百年と続いている彼女の生き方だった。






 黒髪の傭兵が亡くなったのは、十二年後のことだった。

 戦場で息絶えた彼女は、陣営に設置された安置所の隅にいた。同じように死亡した男たちはそれぞれの喪主が迎えに来ていたが、女である彼女に迎えがやってくることはない。


 夜が来れば、腐臭の届かない遠くへ捨てられる。

 ほとんどの女傭兵が迎える終わり方。彼女も同じように迎えるはずだった結末はけれど、十二年前に交わされた契約によってひっくり返った。


「ごきげんよう。ソニアの遺体を引き取りに来ました」


 男たちの遺体はすべてが引き取られ、あとは安置所の掃除をするだけだった夕方。黒衣に身を包んだ女が、兵士にそう告げた。


「そりゃまあ、捨てに行くだけだったから構わんが……何に使う気だ?」

「葬儀に。契約ですから」


 呆気に取られる兵士の脇を通り抜けて、耳長の女主人は傭兵の傍らへ膝をつく。

 腹部への斬撃。内臓を断たれたことが致命傷だった。

 

 女主人は汚れや穢れを厭わず、遺体に優しく右手で触れる。左手では、傭兵がこの十二年間、欠かさず世話を続けていた黄色い花の鉢を抱えていた。


「契約の完遂、感謝いたします。約束通り、貴女の喪主は私が務めましょう」


 女主人は花弁を摘み取り、食む。こくりと、小さな喉が音を立てた。


「さあ。行きましょう、ソニア」


 十二年が経っても、相も変わらず感情を窺わせない所作。けれども死体を両手で抱き抱える姿には、慈愛が満ちていた。




 オトゥのソニア。

 オトゥ村で生まれ、十四歳のときに父と死別。働き手を失った祖父は、ソニアを嫁として売ることで糊口を凌ぐ。

 嫁いだ先はごく普通のありふれた家。十五歳で息子、十六歳で娘を産んだ後に出奔すると、戦場喪主として身を売り、独学で武芸を身につける。

 その後、傭兵として活動を開始。女と見下されながらも男らと張り合い、戦場に生きてきた。


 喪主を求めたのは、人でありたかったから。

 夫を捨て、息子を捨て、娘を捨てて。何もかもから逃げてでも、屈辱に塗れてでも、人として生きることを望んだ。だからこそ、道具としての終わり方を認められず、真偽も定かではない噂に縋った。


 十二年もの長い間、意味も理解できないまま、けれど人間であるために待宵草プリムローズを育て続けた。耳長の女主人に渡されたメモを、懐に収め続けていた。


 人であろうと戦い続け、戦場で散った女性。ソニアの人生を、女主人は祝詞に込める。


 夜の闇に包まれた森の中。黒衣を纏い、黒のヴェールで顔を隠した女主人は、ソニアの遺体を荼毘に伏す。


 魂までをも殺さないためとして、土葬を是とするこの国の葬儀とは相反する、耳長族の埋葬方法。

 常識とはかけ離れた手法だ。いくら条件とはいえ拒絶を覚えないはずがないだろうに、かつて店にやってきたソニアは、粛々と頷いた。その姿を思い出しながら、女主人は耳長族の祝詞を紡ぐ。


 ぱちぱちと、炎が爆ぜて肉と脂の異臭があたりに満ちる。煙と灰が天に昇っていく。

 魂を空へ送るために、古の耳長族は荼毘を選んだ。死は地上の旅の終わりであり、空への旅立ちであるのだと願いを込めた。


 ソニアの魂もまた、空への旅へ出られますよう。

 女主人は祈りを込めて喪主の役を務める。やがて肉が灰となり、炎が消え、骨だけが残った頃に、女主人はようやく祝詞を紡ぎ終えた。


 骨を集め、溢れることのないよう、瓶に詰めていく。

 黙々と葬祭を続ける女主人。背後から、感情が一切窺えない男の声がかけられたのはその折だった。


「育て切ったのか」

「ええ」


 端的な問いに、振り向きもしないまま答える。長い付き合いだ。声のみならず、気配だけでも誰かは分かる。


宵月よいづき。その命はどうだった」

「……ええ。悪くはありません」


 骨を集め終えて、女主人はようやく振り返る。彼女の背後で、樹木のように身じろぎもせず佇んでいたのは、長く尖った耳を持つ男。


雲鳥くもどり。あなたは良い命に出会えましたか?」

「おまえと同じだ」


 そう、と小さく頷いて、女主人はヴェールを取り払う。葬儀は終わった。喪主の役目もまた、終わったのだ。


 耳長族。

 彼の種族に、新しい命はもう生まれない。生殖能力を持つ個体はもう何世紀も昔に絶えた。今、この世に残る耳長族は、両の指の数で足りるほど。


 宵月も雲鳥も、「孤独の人」と耳長族が称していた存在だ。

 耳長族は人間よりも遥かに自然と近しい生き物だった。そのせいなのか、耳長族の中には時折──長命な彼らの基準ですらごくまれに、植物のような命が生まれたのだ。


 生命維持に食物を必要とせず、ただ酸素と陽光があれば事足りる。成人に近い頃まで成長すると、そこからは肉体の変化を起こさなくなる。

 相性の良い草花──宵月の場合であれば、待宵草を摂取することで、その植物に触れた命の情報を得る。


 その代わり、生殖能力を持たず、寿命の概念から外れているせいか、ほとんどが感情を動かさなくなる。


 耳長族は彼らのことを「孤独の人」と呼んだ。耳長族とも人とも違う、悠久を生きる耳長族の形をした植物。

 

 生命維持に能動的な行為を必要としない「孤独の人」だ。生命が持つような欲求は限りなく薄く、だからこそ、己では経験できない情報を得ることを望む。

 

 宵月が男尊女卑著しいこの国に根を張り、女たちの喪主を務めているのはそのためだ。

 女は道具とするのが当たり前の価値観に逆らって生きる女性たち。彼女たちの人生と感情は、凪よりも静かな宵月の心にわずかな風をもたらす。


 わずかだけ残った「孤独の人」は、今も静かに呼吸を繰り返していた。

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【短編】耳長族の喪主請負業 カブのどて煮 @mokusei_osmanthus

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