二百五十一話 賢王捕縛

東南方角の空中に子寂灯が一つゆっくり昇って行く

河套平原より文明が進む中原でさえ百姓たちがこれを見れば驚く時代、匈奴たちももちろん子寂灯に驚いた


三万の匈奴兵たちは驚いてから皆馬から降りて子寂灯に拝み始めた


呼延骨の内心はすごく興奮した

自分たちがここに来た直後にこのような奇跡が起きた、これはつまり自分がこの草原で偉業を成す兆しである!

しかしこのような事を自らの口で話してはいけない

呼延骨はそう思いながら同族の弟で右大将軍の呼延立を一目見た


呼延立は常に自分の大兄が長生天の子になれる事を願って来たので、呼延骨の目を見ればすぐに行動に出た


呼延立はすぐに両手を胸の前で十字に組み叫んだ

「長生天の顕現だ!我々の王上は草原の狼王になる事を示したぞ!うぅ!」


呼延立が狼の鳴き声をあげてから匈奴兵たちも立ち上がって呼延骨に向かって同じように狼の鳴き声を真似た


しかし呼延骨は少し驚愕した、長生天は匈奴の神であるが狼は全ての遊牧民の信仰、その中には鮮卑や烏桓も含まれる


呼延立の言い分は呼延骨を狼王に担ぎ上げた

そして狼王は他の遊牧民族をも一統する存在である


呼延立は急いで馬から降りて呼延骨を拝んだ


呼延骨も曲剣を頭上に掲げて狼の鳴き声をして士気を高めた

そこで本来傲慢な匈奴兵たちの士気が絶頂に達し、呼延骨は并州諸共占領できると言う謎の自信に満ち溢れた

「勇者たちよ!馬に乗れ、俺の後に続け!」


「ううぅ〜!」


三万人の匈奴兵が再び馬に乗り、放たれた矢のように砦へ向かった


匈奴人の印象では漢人の城は山のような物で聳え立つ城壁は越えられない物

しかし目の前の低い壁を見た匈奴兵たちは皆堪えきれずに皆笑った


「中へ入って子民たちの仇を取れ!」


「ううぅ〜!復讐だ!」


単純な匈奴兵たちは一気に砦の中へ入った

彼らは曲剣で営帳を斬り裂いたが中に誰も居ない

普通ならここで不審に思うはずだが呼延骨の考え方はそうではなかった

「何処かに隠れてるはずだ!よく捜せ!」


匈奴兵たちが完全に砦の中に入り中央営帳を取り囲んだ時、壁の外から無数の火矢が砦の中に降り注いだ


呼延骨が反応するよりも前に火矢が火油に着火し人より高い火の手が至る所に上がった


実際砦に入った時から呼延骨も火油の匂いを嗅いだが、中原の兵なら良く知るこの匂いの正体を匈奴兵たちは知らなかった


火は恐るべき速さで広まり、砦の中の温度は急激に上がった

数分前まで寒さを感じていた匈奴兵たちはまるで蒸し鍋の中に放り込まれたかのように泣き叫ひ、馬も驚いて言う事を聞かない


暴れ散らかす馬から落ちた者は他の馬に踏まれ、人を踏んだ馬も平衡感覚を崩して倒れ込み、混乱があっという間に拡大された


「慌てるな!ここから出るぞ!」


夜の風が熱風を運び、中には人の焼けた匂いが混じっていた


呼延骨はやっと罠だと悟り撤退を命じたが外で待ち侘びていた二十二騎、陥陣営、虎賁営、龍驤営は一人も逃さないように包囲網を幾重も張っていた


最終的に火の海から逃れた匈奴兵も入口付近で倒され、築かれた死体の山がやがて入口を塞いだ


一刻前まで草原の狼王になる事を妄想をしていた呼延骨は自分がこの火の海から逃れられないと思い始めた


砦の中、火の手が上がらなかった所も熱風で温度が上がり、人の意識を奪うのには充分だった


このままでは全員が消し炭になる、呼延骨は辺りを見渡し目線を低い壁に定めた


壁の高さは一丈しかない、人力だけでは登れない、馬も飛び越えられないが馬の背中に立てば登ることが出来る


「着いて来い!」

生還の可能性を見出した呼延骨は生き残った兵たちを連れて壁に到達した


一人の匈奴兵が飛び越えた後他の匈奴兵たちもそこに集まり、秩序のない押し合いになった


「おい!押すなよ!馬が動くだろう!」

「さっさと登れ!」

「無理ならそこ代われ!」


死を目の前にして余裕で居られる人は少ない、だからこそ常に冷静で居られる人たちは尊敬される


匈奴兵たちは前に居る人や馬を踏みつけると同時に登れない仲間を引きずり下ろした

そうすればするほど競争率が高くなり、より多くの人が登れない


忠心深い部下に手伝ってもらった呼延骨はやっと壁を登り越えて、着地してから転がった

彼はしばらくそのまま寝転がり涼しい空気を貪欲に吸っていた


槍が彼の首に架けられ、呼延骨はやっと我に返った

「待って殺すな!俺は右賢王呼延骨だ!」


片言の漢語を操る呼延骨は命乞いをした


「へぇ〜初めて漢語が分かる匈奴人を見たぞ!」

典韋はしゃがみこんで好奇心旺盛に呼延骨を見た

「誰に習った?」


「漢人の奴隷…天朝の貴賓から教わった」


黄巾の乱に始まり、呼延骨は略奪した漢人女性から漢語を習っていた


「子盛、つべこべ言わずに殺っちまおうぜ!」


「ダメだ仲康、こりゃ王様だぜ。弟に手土産だ」


「それもそうか」

許褚は返事してから呼延骨を荷物のように肩に抱え、砦裏の丘へ向かった

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る