二百十四話 激痛
劉備の左腕は張繍の虎頭鍛金槍により下から上へ分断されたが劉備は悲しいと思う余裕が無かった
左肩から伝わる激痛が彼の平衡感覚を狂わすくらいの物で、視界がぼやけ、目の前の張繍が二人居るように見えた
「アッハハハ!劉備!無駄な抵抗をするな!ここで往生せい!」
張繍には梟雄を屠る高揚感は無く、代わりに自分を毒殺しようとする輩に報復できると言う快感を覚えた
虎頭鍛金槍は真っ直ぐ劉備の胸を目掛けて突き出されたが三寸の距離で弾かれた
自分たちの後方近くで劉備と張繍の戦いに気づいてから駆けつけたが二人は一足遅かったようだ
「兄者!」
劉備の左肩を見た関羽は涙を目に溜めた
関羽の呼び掛けに劉備は我に返ったが痛みのあまりに言葉が出なかった。
「ンガア゙ア゙ア゙!!殺してやる!」
張飛は近くに居る典黙軍を薙ぎ払い張繍へ飛びかかった
関羽も憎き張繍を討とうとしたが劉備の肩を見ると血が滝のように流れていた
急いで青袍をちぎり、傷口に巻き付けたあと二人がかりで包囲網を食い破った
「兄者!気をしっかり持って!離れないように着いて来て!」
怒りが最大限に達した関羽と張飛を前にして、いくら張繍でも太刀打ちできない
こんな時に趙雲か張遼が近くにいれば張繍も少しは楽になれたが乱戦の中で劉備軍の後方に運良くたどり着いたのは張繍だけだった
僅か十数手で張繍が慌てて逃げたのを見て張飛は追いかけようとした
「翼徳!そんな事してる場合か!兄者を守れ!突破するぞ!」
「そうだ!悪ぃ!」
二人の護衛があれば包囲網から劉備一人を連れ出すのは簡単な事だった
「やったか?祐維!」
「いや、関羽と張飛の方が速かった…」
「そうか…二人を取り逃して申し訳ない」
七探蛇盤槍を編み出し、極めた趙雲でも関羽と張飛を同時にできると思うほど自惚れていなかった
一方、関羽と張飛の二人は時間との勝負に勝つため、荊州兵で詰まった南門へ向かった
その道中、典黙軍だろうと荊州兵だろうと無差別に斬り殺された
普通では有り得ない事でも重傷を負った劉備を助けるためになら仕方がないと二人は気にしなかった
潜在能力を全て引き出した関羽と張飛の前なら呂布も防げないだろう、それに比べれば狭い路地から血路を切り開くのはより容易い事だった
残肢断臂が飛び交う中二人は劉備を連れて血煙を纏い南門から突破した、後ろの荊州兵がどんな悲鳴をあげようか二人は振り向かなかった
しばらく走って、本陣が見えて来た頃には劉備は意識を失い馬から転げ落ちそうになった
関羽はそんな劉備を急いで自分の馬に載せて走り続ける
「医官を出せ!」
関羽が劉備を抱えたまま医官の軍帳へ駆け込んだ
白髪の医官が劉備の姿を見て、助けられるとは思えなかった
この時代では普通の刃傷でも時には感染症に繋がり、命を落とす事になる。
「何ボサっとしてんだ!速く治せ!」
張飛は環眼を見開き、思いっきり怒鳴った
「こっ、こうなったら薬では何もできない…」
慌てふためく医官は吃った言葉を口にした
「じゃどうすんだよ!何とかならねぇか!」
「先ずは傷口を焼いて失血しないと!」
これほど大きな傷口を焼いて失血するのはいくら経験豊富な医官でも成功する自信がなかった
烙鉄で傷口を焼き塞ぐとなれば酷い激痛が伴う、痛みのあまりに命を落とす事もある
華佗を見つければ麻酔である麻沸散が手に入るが華佗はあっちこっちへ旅をしていて見つけるのに時間がかかる、劉備に残された時間はもうない
関羽は直ちに青龍偃月刀に酒をかけ、近くにある台所の火に入れた
しばらくしてから、青龍偃月刀は赤く焼かれた
「やれ!」
関羽は覚悟を決めて、劉備が暴れ出さないように強く抱き締めた
しかし医官では青龍偃月刀を持ち上げることができずに張飛に突き飛ばされた
張飛は代わりに青龍偃月刀を持ち、関羽と目を合わせて同時に深く頷いて、青龍偃月刀を劉備の肩に押し付けた
ジュジュジューッ
傷口から白い煙が立ち、肉の焼ける匂いが辺りを充満した
「ア゙ア゙!ッガア゙ア゙ア゙!」
気絶していた劉備は痛みのあまりに目を覚まして暴れたが、関羽の抑制で動けずに白目を剥いて再び気絶した
「兄者…!」
二人同時に叫んだ
この痛みが兄者ではなく自分の身に起きた方が良かった…
万夫不敵の勇を持つ二人は涙を流した
諸葛亮は軍帳の外に居た、彼は今中へ入れば命が幾つあっても足りないと理解している
関羽と張飛が帰ってきた後敗残兵が続々と帰って来たのを見れば叶県城で何が起きたのか概ね察しが着く
二時間後、全身血だらけの黄忠も帰って来た
「劉備は何処だ…?」
黄忠の声は静かだったが怒りが込められていた
「片腕を失い、今は医官の軍帳に居ます」
「軍師殿、我々は叶県城で大敗した。兄弟たちがずっと南門を死守していなければ全滅していただろう!」
「私の落ち度です、ここまで見くらましをしたのに毒を見破られ、そのまま誘い込みに利用されました…申し訳ございません」
諸葛亮は内心の感情を素直に顔に浮かべた
「勝敗は兵家の常だ、全てあなたのせいとは言わない。しかし彼らが叶県城から脱出した時に荊州の兄弟たちを手にかけた…この事を水に流すつもりは毛頭にないぞ」
黄忠は物分りが良い、戦に負けた事は受け入れられるが逃げるために味方を手にかける事は許せなかった
河口関にいた頃劉備は劉琦を置いて自分だけ逃げたがあの時は皆逃げきれたから黄忠はそれ以上問い詰める事をしなかった。
考えれば考える程苛立ちに拍車がかかり、黄忠は今すぐ劉備を問い詰めようと軍帳に入ろうとした
「漢昇将軍!こんな時に内輪揉めを起こすのは危険です!叶県城で大敗した我々は早急に南陽へ向かうべきです!万が一典黙が追って来たら残りの将兵も生き残れない」
諸葛亮は急いで黄忠の袖を引っ張った
振り向くと、荊州兵は無造作に横たわり皆息が上がっていた
黄忠は心を痛めた、どうしてこのような状況になったのか訳が分からない
「今日の一戦、我が軍は壊滅的な一撃を受けた。生き残りは五千前後でその殆どが歩兵だ、典黙軍の追撃から逃げられないだろう…」
黄忠は絶望したまま天を仰ぐ
「必ず連れて帰ると彼らに約束した…五万の兄弟、今や僅か数千名…もう家に帰れない、帰れない…」
「漢昇将軍、三日前に憲和に跳虎澗で援軍を頼んであります、そこまで行けば南陽へ帰れます!」
諸葛亮も悲しい気持ちでいっぱいだが毅然たる態度で話した
「千人隊を連れて行かせたのは知っている!しかし僅か千人で典黙軍の数万大軍を止められるわけがない…」
「止められます!跳虎澗にさえ着けば逃げきれます!」
黄忠もそれ以上疑わなかった、疑っても仕方ないと理解したからだ
「いつ動く?」
「典黙は遅くても明日には総攻撃を仕掛けてくるだろう、逃げるなら今夜です!」
「はい」
黄忠は拱手した、彼は今劉備の怪我など気にもしなった。
残りの荊州兵たちを南陽へ連れて帰る、今の黄忠はただそれだけを考えて行動する
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