第46話 スリーピング・ポジション

 リビングルームのほうに残った金髪のメイドが、気品のあるガラス棚の中段に並んでいる瓶詰びんづめのブドウ酒とりだした。


「いかかですか? チーズなどもご用意できますよ?」


 酒をすすめることもメイドの業務の一環いっかんだろう。


 コッタにも寝ると言った手前だ。私はせんが開く前に「チップ代わりに持って行けばいい」と言ってことわりを入れた。いが回ったくらいでヘマをするおろか者ではないが、アルコールは取らないのがすじだ。


「いいんですか!?」


 金髪のメイドのねた声から、そこそこ高価な酒であると想像できた。が、気にする必要はない。隠れ家から持ち出したふくろの中には、まだ金塊きんかいがたんまりと残っている。


 私はメイドの機嫌きげんが良いうちに、夜勤の形態に注文を出すことにした。たとえ真夜中であってもコッタがぐずったときには助力がほしい。フロント経由で最低どちらか一人には連絡がつく状態が理想だ。いわゆる睡眠ありの待機勤務の状態を維持してくれないかと、私は金髪のメイドに依頼した。


「もちろんですよ」


 メイドが委細いさいを承知すると、本日の業務終了を言い渡して解散とした。金髪のメイドが部屋から消えてから、私はソファの背にどかりと体重をあずげて天井てんじょうをあおいだ。石膏せっこうだろうか。それを素地としてひかえめなはな模様もようが描かれている。


 しばらくするとコッタを寝かしつけていた黒髪のメイドが寝室から出て来た。チラリと部屋を見わたす。金髪のメイドがいないことを確認したような感じだが、黒髪のメイドはその点においては沈黙し、コッタの様子についてだけ短く伝えてきた。


「お嬢様はお休みになられました」

「助かったよ」


 私は黒髪のメイドにも夜勤の業務形態を伝えて、こちらも解散とした。すぐに部屋から下がると思ったのだが、黒髪は「お背中をお流しいたします」と言った。


「いや。自分でやるよ。カトレアも下がっていい」

「でしたらお湯の準備だけでもいたします」


 お湯の準備? なにを言ってるんだ? 私はいぶかしんた。


「さっき入っていたのではなかろうか?」

「ええ」

「は?」

「どうかなさいました?」


 確かにいい大人が『は?』はいただけない。


「いや。コッタと入ってくれたのだろう? 湯船ゆぶねにあるのではないのか? と、私は言いたいのだよ」

「わたくしどもも入りましたゆえ、ルーク様がおつかりになるお湯が汚れておりますので」

「ああ……。そういうことか」

 

 このメイドはまっているててなおすと言っているのだ。その調子だと風呂ふろ掃除そうじもするのだろう。全部ぜんぶしゃべらせてからようやく気が付いた。


 私はそれなりの財貨ざいかたくわえているのだが、率先そっせんしてこういった贅沢ぜいたくはあまりしてこなかった。冒険者らしく武器や防具にばかりかねをかけてきた人間だ。上流階級の意識高めな習慣にはうとい。風呂の湯など流用するものとばかり思っていた……。


 もう止めるの面倒めんどうなので好きにさせることにした。それに風呂の湯はメイドとの混合こんごう溶液ようえきだ。コッタ単独のものではない。私のきょうはなはだしくめている。


 もし風呂にコッタの純水ができあがっていたならば、私は意地いじでもメイドに風呂掃除をさせていただろう。そうして正気を確保しようとした。巨悪に落ちうる水分補給の浴槽はどのような分岐点を抜けてこようと、誓って存在しなかったと言い張れるのだが……。今になっては、いよいよもってどうでも良い。


 風呂掃除に向かったあとの黒髪のメイドは、られるまでもりをするつもりなのか。私の正面に回りこんでお辞儀をした。今日のところはもう下がってくれても良いのだが……。


「お嬢様のことで申し上げたいことがございます」

「聞こう。なんでも言ってくれ」


 私は居住いずまいを正して手を組んだ。


「バス・ルームの使用は問題ないかと思います」


 バス・ルーム……。風呂の意味でもあるし、トイレの意味でもある。両方まとめた丁寧語だ。だとしたら、風呂か、トイレか、それとも両方か? 


「少し蛇口がお堅いように見えますが、正しく扱えているかと思います。ですが熱湯が〝熱い〟ということが、お嬢様にきちんと伝わっているのか、理解しかねるところがございます。お嬢様を熱湯に近づけるわけにも行かず、お嬢様がどの程度ご注意くださっているのか、もうしばらくお時間が必要になるかと思います」


 黒髪のメイドの話は風呂に集中していた。すぐに解決しそうにない問題で、私は小声になっていた。


「そうか……」

「ラビィのほうは大丈夫なように言っていました」

「カトレアは異なる意見だということだろうか?」

「いいえ。総意そうい相違そういはございません。ですがもし熱湯がお肌のほうに当った場合は、すぐにでも回復魔法を使ってくださればと思い申し上げました」


 このメイドは初級の回復魔法も使えないのか? と一瞬思ったのだが、なるほど……。〝そういうこと〟か。


 ここの風呂には熱湯に限定された蛇口がある。コッタにとって危ないものだ。例えば蛇口から細く熱湯を出して手のひらに軽く当てる。そのような体で覚える方法を使えば、今後まちがいが起こる確率が格段に下がる。コッタは蛇口を慎重に操作するようになるだろう。


 この黒髪のメイドが言いたいことは、だいたいこれで間違いない。


 不敬にも聞こえる意見だが、黒髪のメイドは直截ちょくせつに表現することをはばかった。そうすることで不穏な言葉に敬意を残した。いわゆる婉曲えんきょく表現ひょうげんだ。


 場合によっては客としての私の質もためされている。


「忠告には感謝するよ。けどそれは承諾しょうだくしない」

「大変な失礼を申し上げました」

「いや。先々のことを考えれば、手段のひとつくらいには考えてもいいことなのかもしれない。だけど今するようなことじゃないし、私はそんなことはしたくないんだ。コッタにはゆっくりと進める時間が残されているはずだ」

「ご理解いたします。当方にご宿泊の間は、わたくしたちが誠心誠意お仕えさせていただきます」


 あざやかな営業だ。もしかして金髪のメイドが小躍りして酒を持って帰った瞬間からはじまっていたのか? 私は暗に長期的な滞在を勧められていた。


 風呂の湯が溜まると、黒髪のメイドはそれを止めてから、退室へと向かった。


「それでは失礼いたします。ごゆっくりお休みくださいませ」

「少し聞かせて欲しい。カトレアの意見とラビィの意見と、どっちが正しいんだ?」

「ラビィでしょう。彼女は形式的にはわたくしの部下にあたりますが、手腕は優れています」

「では例えばの話、先のような方法を試せばいいと、カトレアは本気で思っていたのか?」


 黒髪のメイドはさくてきに視線を斜めに泳がせたあと、私のほうを見返した。


「これからの時代には、場合によっては有効なものになるかと思い、僭越ながら申し上げました」


 これからの時代か……。


「ありがとう。たなにある酒なら好きなだけ持って行ってくれ。明日もよろしく頼むよ」

「わたくしにどもにチップの風習はございませんので。それでは失礼いたします」


 黒髪のメイドは重ねていた両手をそのままに、一礼すると静かに消えていった。


 として酒瓶を持ち帰った金髪のメイドの姿を思い出すと、私は冗談みたいな気持ちで取り残されていた。


 ひとりで静まった部屋の中、気を取り直して私も一日を終わらせにかかった。


 風呂に入って、服は残り湯を利用して水流の魔法で洗濯し、温風おんぷうの魔法で乾燥させた。


 実は服ごと風呂に入って、私自身をまるごと水流で洗濯するズボラな方法を採用している。冒険者流の時短だが、こういうことはコッタには秘密のほうが良いのだろう。


 風呂の湯はすぐに落として、ついでにキレイに掃除しておいた。私なりの返礼だが、これも魔法でとっと終わらせた。


 リビングに戻るとすべての照明器具の光を落として回り、ソファの上に寝そべった。


 今日のコッタは楽しく過ごせたのだろうか? あの森の中にいたときよりはずっと良くなったのではないだろうか。今日になってからのコッタは……。街でのコッタは……。……。


 衛生観念という問題はほとんどクリアできたと言って良い状況である今、私は〝それ以外〟の反省点を洗い出すつもりで、今日の彼女の姿を思い出したのだが、そのほとんどが充足じゅうそくした時間をごした者だけが得られる夜の温もりに変化した。


 あの二人のメイドを味方につければ、私はずっと気楽に――手を抜くという意味ではなく――余計なプレッシャーか解放されて、より充実した時間をコッタに提供できるような自分になれるのではないだろうか。そんな考えも頭によぎった。頭の湿疹しっしんはまだ感じている。ほかにも真面目に考えるべきことが山積さんせきしている。


 けれども私は『ここにコッタと来ることができて楽しかったのだよ』ということを、まず彼女に伝えて、確認し合いたくなっていた。


 そうした発言は場違いなものにもなりかねないから、まだ早いのだろうか。それとも、もう遅いのだろうかと、私は迷うしかなかった。彼女の気の持ちようが分からないから、私は平穏な毎日の中をコッタが生きていければと祈ることにした。


 今は眠ろう。


 救っているようでも救われている。ソファの背もたれのほうに顔を埋めた私は、数年ぶりにくたりと自然に夢の中へと入ることができていた。

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