第45話 酷使すべき良識

 近くにまで来たコッタのほおには、あがりのほてった色があった。まるまるに薄いピンク色が二つ……。肌色に差し込んだ悩ましいいっしょくふたくみは、コッタが喋りだすとモチっと動いた。


「次は?」

「今日は終わりだよ。ベッドの時間だ」

「コッタ、睡眠すいみん充分じゅうぶん


 彼女は多分『まだ眠くない』と言いたいのだろう。


 ピカピカと輝く室内の間接照明が良くないのかもしれない。ここは古典的なロウソクの明りをメイドたち用意させたほうがいいのかもしれないが、もしかしたら……午後の街中をぶらついて見物けんぶつしたものたちが、今なおコッタの心に次なる景色を期待させているのかもしれない。


 出店でみせで食べたシュークリームだとか、中央広場の旅芸人にほうった小銭こぜにだとか、用水路のほとりを歩いて追いかけた小魚こざかなだとか……、些細ささいなものかもしれないが、もしかしたらコッタは、夕暮れまでの間にぶらついたこの街を楽しんだのかもしれない。


 そうだとしたら、私のねらい通りの一日であっといえるのだが、あまりにむずがゆい気持ちがあちこちからあふれてくる。私は満たされるを通り越してあふれている。ともすればわずらっている。


 このままだと良くない。今のコッタは非常に危険だ。コッタにはさっさと寝室に行ってもらったほうが良さそうだ。


「明日もあるのだよ。コッタ」


 私の中にある全良識を酷使こくしして作ったセリフだった。私はそこからなんとか勢いのようなものをつけて、続けて聞かせるべき説得を始めることに成功した。


「それに夜は魔物も強くなる。出歩くのは危ない」

「街中に魔物は不在。コッタも熟知」

「危ないやつらは魔物だけとも限らない。ときに人も魔物になる。夜は宿の中で眠るものだよ」

「……」


 ディープ・ブルーの青い瞳がすこしの間だけ私のもとで静かにした。


「ルークも睡眠?」

「もちろんだ。私も眠ろう」

「じゃあコッタも睡眠」


 ぐずらないと、それはそれでどこかさびしい気持ちを抱いてしまうし、なんなら私はその頬をとりあえずツツいてみたいのだが、そのと〝とりあえず〟が良くない。それに時刻は20時を少しすぎている。


 幼女はおやすみの準備にかかるべき時間だ。夜帽子ナイト・キャップの枠の外に広がっているコッタの毛先は、毛先が綺麗にそろっている。くしが通ってすぐの形だ。それは眠るために整えられたものに違いないく、サラリとした手触りが約束されているのだろう。妄想するだけで満たされおくべきだ。


「カトレアかラビィか、どちらでもいいのだが、コッタを寝かしつけて欲しい。童話かなにか聞かせてやってくれると助かるのだが」

「はい。準備はできております」


 黒髪のメイドが背中のほうからサッと一冊の本を取り出した。できるメイドだ。どこに隠し持ってたのかは気になるところだが、あとは二人を見送ろう。


「それではお嬢様。寝室に参りましょう」


 黒髪のメイドに連れて行かれそうになるコッタは、私に向けてもう一度問うた。


「ルークは?」

「私はこちらの部屋で眠るよ」

「ルークも一緒いっしょしゅうしん


 そうしたいのは山々やまやま山々やまやまで、なんなら私の心の中には世界最高峰の山岳地帯にでも向かえるくらいの気持ちが蓄積ちくせきしているのだが、ロリコンが簡単にその領域に踏み込むことはできない。そこには犯罪者に転落するがけがどこにでもある。


 コチラの居室きょしつには長くてふっくらとしたソファーがある。私はここで眠ればいい。


「部屋だけは別で眠るものなんだよ。コッタ」

「ふーん」


 利便性の高い返事を残して、コッタはあっさりと引き下がった。幼女とは、つまりはそのようなものだ。


 いいではないか。さっぱりとしていて。


「さあ」とうながす黒髪のメイドに連れられて、コッタは寝室の扉のこうがわへと姿を隠した。

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