そいつはそんな時にやって来るのかもしれない

第44話 光ある夜の街を見おろして

 四階まで階段をのぼると、足元の両サイドに光があった。〝どうこう〟の足元フット照明ライトによるものだ。廊下ろうかの下方の壁面に埋め込まれていて、点々てんてんと長く奥のほうにまで続いている。


 光の道は――眠気を飛ばさないためか――ぼんやりとしたこうりょうで、床のほうが膨張ぼうちょうしている。逆にあたまがある上のほうには暗部あんぶが満ちて、天井がまっている。昼間とは異なり、歩くといくつもの三角形の中をくぐけているような気分にさせられた。

 

 てんとうがスイッチをいっずつ起動させて回ったのは、時間的に少し以前のことだろう。私は照明のひとつが暗転しているの見つけた。エネルギーを切らしているせいか、次のしゅてんけんのための時間がくるまで〝点線〟は不完全なシンメトリーのままだと思う。


 私の視覚はすでに集中できていた。聴覚もしかり。すでにコッタがいる自室の前だ。


 ノックを響かせると、すぐに金髪のメイドにむかえられた。


「静かにシィィ、ですよ?」


 午前中のときと同じで、楽しげにして静かだ。立てられたひとさしゆびの横を通りすぎて、私はそっとリビングのほうに向かった。


 コッタはすぐに見つけられた。窓辺に寄せた椅子いすの上に立っている。後姿うしろすがたで、コチラに気がつけていない。


 寝間着パジャマへの〝お着替きがえ〟はバッチリ完了している。あわい桃色のワンピースだ。簡素かんそでやわらかく、それでいて清潔せいけつそう見える。頭部とうぶの装備はナイト・キャップ。円錐えんすいをくたっとさせたさきっぽに小さなファーがある。重力よりも空気とよく馴染なじんでいるかのようで、身に付けた者はふわふわとした夢が見れそうだ。


 しかしながら、ストンとしている生地のせいで、服の上からでもきゃしゃすぎる肩回りから背中のラインがくっきり分かる。困ったものだ。そこにある面積の存在が小さくて、どこで相対的に大きい頭を支えているのか。生存圏内ギリギリの位置を利用して作られる魅力だ。男はここで誰しもがガーディアンたらんとする。幼女はいつだって何かとやりすぎている。


 小さな両手の前面をガラスにピタリと張り付けているコッタは、もしかすると、おでこまでガラスにくっつけているのかもしれない。彼女はやや前傾ぜんけい姿勢しせいで外の景色をながめていた。


 このランクの宿屋には宿泊客が利用できるガウンがあると思う。浴室の手前にある脱衣場だついじょうに多分あるはずだ。子供用のサイズも準備できたに違いない。


 使うとなると、庶民しょみんとは異なるしゅうかんはんちゅうに入る。この街における普通のレベルの宿屋だと、そこまでのサービスを受けられない。裸や下着、または自前の寝間着で眠ることになる。ゆえにコッタには寝間着で眠るしかない。


 私はここまで細かい指示をメイドに出していなかった。暗に希望のパジャマを獲得できたのは、最初に私たちの概観がいかんを伝えておいたからという理由に留まるものではないだろう。説明不足の状況は確かにあって、それがメイドたちからのアプローチによって補われたのだ。うらはくのうちに叶えられる願いは友好のあかしだ。気付ける者同士はここで未来にまで届く旋律せんりつを聞くことができる。どこかの人型ひとがた神話級しんわきゅうとは異なる善良な意志だ。


 この街には建物内に留まらず、屋外おくがいにも夜の光が点在している。数はまだ多くないのだが、外には壁掛かべかとうやポールの先端せんたん付近ふきんに光をともしている〝機工式きこうしき〟の街灯があって、夜の闇の中であっても色彩を反射している所がある。


 コッタにとってはめずらしいものだと思う。彼女は窓ガラスの張り付いたまま、なかなかに動こうとせず、それゆえ必然的に私は放置され続けているわけなのだが、それがまた心地良くあった。


 彼女のそばには黒髪のメイドもいて、目線を合わせて一緒に外を見てくれているようだった。


「あちらの明るい建物たてもの王城おうじょうになりますね」

「じゃあ、あっちもおしろ?」

「あちらは〝オゥドゥきょう〟の鐘塔しょうとうでございますね。一日の始まりと終わりのかねらします。夕方のはお聞きになりませんでしか?」

「聞いた」


 その二つの建物はむしろ夜のほうが目立つかもしれない。ライト・アップにより威厳いげんをアピールしている。


 流石のメイドも、コッタを相手に連続して会話を作ることは難しいのか。そんな黒髪のメイドがコッタよりも先に私の在室に気が付いた。


 メイドのレベルは40前後だろう。多少は鋭い察知能力さっちのうりょくを持っているからで、私はそういった風向きならすぐに知ることができる。


 つまりコッタはというと……全然だ。ぜんとして気がついていない。けれどもそうした世界で息づいているものもある。夢中な幼女は純粋だ。濁りというものが感じられない。


「今日は後夜祭パリ・ナイト?」


 黒髪のメイドは、静寂せいじゃくかつ柔和にゅうわ微笑ほほえみを私のもとに残すと、コッタの声に追従して視線を外の風景へと戻した。


 根気こんきづよくそばについてくれているようであるのだが……。


「いいえ。この街は毎晩このくらいは明るいんですよ」

「じゃあ、あっちの行列は?」

「冒険者でございましょう」

「冒険者……」

「宿屋にお帰りのようです」

「ここじゃない?」

「宿屋はほかにも沢山ございますから、別の場所へと向かったんでしょうね」

「ふーん」


 つまり黒髪のメイドは、コッタの観察している私を容認ようにんする悪いメイドだ――ということにもなるのだが、接客上、私の機嫌きげんをとることも念頭ねんとうにいれてのことだと思う。


 それはもっと言えば、ロリコンである私の本質が判然はんぜんと見抜かれていることに他ならないのだが、物事にはあきらめたほうがいいこともある。『この人、幼女を拾ってきたのよね……』と、普通に考えれば、私がコッタに好意的な感情をもっていることは類推るいすいできることだ。


 メイドとの会話の途中で、コッタはほんのりと横顔まで見せてくれたのだが、私の存在に気がつくかないまま、窓のほうに視線を戻してしまった。


 それもまた心地よくはあったのだが、黒髪のメイドは、流れ行く時間をどこに配分するかを心得ているようで、短い爪の指先をそろえてコッタにそっと耳打ちをした。


 すぐれた聴覚ちょうかくをもつ私は、それが自分の到着を知らせるものだと聞こえた。


「ルーク様がお帰りになりましたよ」


 私の名前を聞いたコッタは、肩をピクッとさせてから振り向いた。顔を合わせると、いつもの調子の半分目蓋であった。


「帰ってきたよ」

「うん」

「……」

「……」


 コッタはあまりしゃべるほうではなく、私も何を言っていいのかイマイチ要領を得ていないので、見つめ合うだけの時間になった。


 例えば、先のピクっとした瞬間くらいは、彼女の目蓋まぶたは開いたのだろうかと妄想してみたが、そのイメージはじゅうぜんな形にならずに、ずっと半分のままだった。もはや私のしんしょうにまでちゅうにゅうされた彼女の確固かっこたるアイデンティティなのだろうか。


 それとも彼女のきょうを削いでしまったのか。


 そんな申し訳ない気持ちになりそうだったのだが、コッタがゆかを見つめてから、ひざをグッとめた。『あらあら』と言いたくなるちょっとしたガニマタだ。


 となると、コッタが次に何を起こすのか想像ができた。


 コッタは〝ていッ〟とでも掛け声が聞こえてきそうなジャンプでもって、予測した通り椅子いすからスッと飛び立った。彼女の着地は成功しそうで、事故防止のために飛び込む私の出番はなさそうだ。穏やかに見守ることができる。


 コッタはコッタらしくあればいいと思うものの、どこか愉快ゆかいな展開を予感させる目つきだったのかもしれない。


 冷静に思い直す私は、なかなか大人な態度を守れているのではないだろうか? 


 私は少しずつ自信を積み上げようとしていたのだが、残念なことにそれはあまりに中途半端なものだったらしく、このあとコッタが繰り出した〝連撃れんげき〟でキツイことになった。


 素足すあし絨毯じゅうたんの上に着地させたコッタは、その小さな足をササッと室内履スリッパに突っこんだ。そして勢いをそのままにダッシュで移動を開始した。十中八九じっちゅうはっくコチラに向かってきている。


 コッタの表情はなかなか動かないのだが、彼女は大慌てで幽霊から逃げ出したかのようだ。交互に突出とっしゅつする両膝りょうひざ駆動くどうは、スカート部分の生地との摩擦まさつで邪魔ばかりされている。けれどもそれにも負けず、ももを上げるたびにチョコチョコと出っ張って、そくどうりょくの一部として機能している。


 寡黙かもくであるが体のほうが全体的にゆうべんだ。


 りょううでも『大変なんだよ』と緊急事態を告げる役目にせいして、大きく前後に振られている。


 私から離れてしまった視線は経路を真剣に見つめ、体全体が空間へと割り込み、走って走って……コッタはハジける疾駆しっくを作り出していた。


 コッタのパジャマはズボンのほうが良かったのではないだろうか? そんなふうに気持ちをらしておかないとやっていけないせつなさに、私の胸中はいくにもきざまれた。


 ダッシュ全開のコッタは残流ざんりゅうの中に星を残していた。


 すなわち、彗星すいせいぐんの先頭が彼女にほかならない。幽霊たちは、実は愉快な仲間たちだったのだ。


 微笑んで見送っていた黒髪のメイドは、表情を変えて『わたしのほうから注意をしましょうか?』とくちを結んでいた。


 気にする必要がどこにあろうか。


 過剰かじょうなコッタ贔屓びいき状態じょうたいおちいっていた私は、それに気付くと冷静に呼吸を整えた。その上で、やはりコッタを止める必要性を感じなかった。彼女がソファーによって作られているコーナーに突入して姿を隠したところで、私は小さく首を振って答えておいた。


 お行儀ぎょうぎ良く生きるよりも、今のコッタには元気を循環じゅんかんさせてもらいたい。もしきらいな過去が心のどこかから顔を出したとしても、必ずすべてを水に流してほしい。そのあしのように、軽やかに抜け出し、どこかに引っかかってほしくない。


 まだ諸注意しょちゅういが余計な刺激になる時期じきだ。まだ〝今の段階〟だ。このは私たちに限られた場所で、他人に迷惑をかけていない。


 ソファーの背もたれのこう上方じょうほうで、ナイト・キャップのファーだけがポンポンと踊っている。駆け足のかえりによるもので、ファーしか見えないのは彼女がまだソファーよりも小さいせいだ。


 スリッパにも関わらず二度のコーナー・ワークを華麗かれい発揮はっきしたコッタが、隠れていた位置から飛び出した。コチラに突っ込んでくる。


 彼女はサンダルにけているのだと、今はもう、かばんの中にしまってある長年つれそったであろうソレのことを、なんとなく思い出して……。


 私は……なんとなく……本当になんとなく……、みずからの〝防御力を下げる〟魔法を……、誰にも気付かれない速度で多重に展開して〝柔らかく〟なっておいた。もし私の脳が不具合を起こして、コッタの加速にタックル系統けいとうの攻撃判定を予感しているならば、今のままでは私の体はかたすぎる。防御力を下げておかないと、せっしょくしょうげきで彼女が傷ついてしまう。


 つまり私は以前よりもずっと冷静でいられたし、なんなら武神ぶしんとまでたたえられる強者である私は、コッタのダッシュを受け流した上で、安全に止める繊細な方法をじゅう二十にじゅうに収まらない範囲で持ち合わせている。だが、コッタが来るなら全力で受け止めたい。受け止めよう。かわすような真似はしたくないし、それは不遜ふそんにもなりかねない。


 いくつもの理由が、自分にういくつもの理由によって上書きされていた。たとえ自分では冷静だと思っていたとしても、決してそうではなく、私は長年の冒険者生活で身に染みついた自己じこ合理ごうり主義しゅぎの精神に根っこから犯されていた。


 それは戦い続ける者が呼吸のように続ける思考運用だ……。


 私は間違えたかもしれない……。別の意味でメイドにはめてもらったほうが良かったかもしれない。もはや修正可能な時点は過去のものとなり、葡萄ぶどうを迎えようとしたときのごとく、私はひざをついて待っていた。

 

 待ってみたものの、コッタはやはり半歩ほど私の手前まで来ると、キュッと体をわずかに丸めてきゅう制動ブレーキをかけた。


 無念……。いやいや。だから無念ではないのだよ……。


 見事な停止であらせられる。ここはそのように感心するところだ。


 ユア・マジェスティ。私はいつも幼女の威光いこうの前にひざまずく。ただそれだけのことがあっただけなのだ。

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