先手必勝で人形を追い払うことは今後のためには必須なのかもしれない

第38話 おやすみの前にできること

 夕食はホテルの館内のレストランは利用せず、自室へと運んでもらうことにした。。


 私たちが帰ってくるまでのあいだに、メイド二人はドレスコードに合う服を室内のクローゼットの中に用意したのかもしれないが、私は着替えるのが面倒だった。それ以上に、コッタの食べ方を目にした宿泊客がささやくさげすむ声を聞きたくなかった。特に大衆食堂ストマック・バイブルと異なり静かな席となっていることは想像に難くない。悪目立ちしやすく私たちのためにはならないだろう。コッタには相談なしで決めた。


 つまるところ私たちの夕食のテーブルがどこであっても、メイド達の用意は完璧であったのだと思う。

 

 客室のダイニング・テーブルには、子供向けの背の高い椅子いすがあらかじめ備えられていた。私が魔法を使うまでもなく、コッタは黒髪のメイドによって抱き上げられて、そこにシュトンと座らされて、収まりが良くなった。

 

 注文したのは〝三人分〟のコース料理だ。ほどなくして室内に運び込まれた。


 メイドの二人は最初こそ金持ちの食道楽くいどうらくかと思ったのかもしれないが、食事を始めたコッタが並べた料理を次々に消していくと、私が出した注文が必要な分量であることを理解した。二人のメイドは微細な驚きの表情を隠せてはいなかったのだが、盛んに驚くような無礼までは見せなかった。


 フォーク1本で料理に立ち向かうコッタの姿があって、そんな彼女に気づかれないようにコチラをそっと見た黒髪のメイドは『ご注意したほうがよろしいでしょうか?』といった感じの視線を私に飛ばしてきた。が、私は首を振って答えておいた。


 食い物はがっつりほおばりったほうが美味うまい。そんな食への取り組み方もあるだろう。作法を教えるのは、コッタがまた上流階級さながらの食事を希望してからで間に合う。庶民の規準でコッタの食べ方に嫌悪感を抱く者はいない。コッタくらいの年齢なら食べこぼしぜずに綺麗きれいに食べられれば充分だ。パッとひらかれ口で食物を一瞬のうちに消し去るコッタは、世界中の誰よりもこの条件を美しく満たしている。


 けれども私はひとつの料理にはひとつのフォークを使うのだとコッタに伝えた。そこには味をまぜて欲しくない料理人の魂があるからだ、と……。つまりは、そこにあったものは、食卓における会話に困窮しつつあった私の苦肉の策であった。


 私はコッタのペースに遅れないようになるべく急いで料理を咀嚼そしゃくした。


 食事が終われば入浴と睡眠だ。良い子はさっさと寝るものではなく、さっさと寝るから良い子が育つのだろう。夜更よふかしは体に毒だ。コッタの入眠時刻の管理を私がおこたるわけにはいかない。


 風呂は再びメイドに面倒を見てもらうことにした。前回は3時間で帰ってくると言った。そのせいで軽く顰蹙ひんしゅくを買ったようなので、今度は2時間くらいで帰ってくると伝えると二人のメイドは承諾した。


 私が退室しようとしたとき、ふとコッタがこちらを見上げていた。


「お風呂は二回入るもの?」

「いや。夜に一回入れば充分じゅうぶんだよ。今は練習だ。水道には慣れただろうか?」

「うん。熱湯に注意」

「ああ。その通りだ」


 コッタも私が伝えようとしていることの要領をつかんできたのだろう。テンポが良くなっている気がする。


 だが熱湯か……。


 私はメイドのほうを向いて、ボイラーの設備状況を尋ねてみた。カンカンの熱湯を作るボイラーではなく、温水おんすいを作るボイラーについてだ。


 聞くに存在しないと言う。どうやらこの宿の利用客は、ひとつの蛇口じゃぐちを操作するという単純な方法だけで、肌にほどよい温度の湯をひねり出せないらしい。そのせいもあって浴室にはシャワーもないとこのことだ。


 詳細まで説明してもらうと、この街のどこにも温水で使えるシャワーがないということが分かった。


 いまだにこの街にあるのは、高出力だけを求めた時代の〝機工きこう〟ボイラー〟だけのようだ。この国にとっては新しいものであろうが、おそらく西方の国のはら下品さげひんだと想像できる。


 そのボイラーは水を必ず熱湯まで加熱して給湯きゅうとうするタイプだ。段階的に温度の調整ができる給湯機はどこにも配備されていないらしい。さらにこの街には、熱湯と水を蛇口の手間にあるカラクリで混ぜ合わせて、程よい温度の湯を供給する機工も輸入されていないらしい。

 

 説明してくれたのは黒髪のメイドのほうである。彼女は終始しゅうし冷静れいせいであったが、王城や貴族の屋敷やしきにも、風呂における〝便利なカラクリ〟の一式は導入されていない、と主張して説明を終えていた。


 それは近辺の領地内におけるホテル・コストリントンの優位性を遠まわしに表現したもののように聞こえた。『この宿になければ、どこにもございません』という……。


 私は隠居生活のせいで空白となっている世情を知りたかっただけだ。かどてるつもりはない。「やはりここが一番なのだな」と誉めそやす返事をすると、黒髪のメイドは得心とくしんのある目礼をした。

 

 だたし蛇口から熱湯が出てくるのは問題だ。今後コッタが火傷やけどしないとも限らない。幼女にとっての危険物は人間だけではない。私は逗留とうりゅうする街を変えるべきなのだろうかと少し悩んだ。


 もっとも無難な手段が、このメイドのような世話役を引き続きコッタに付けることである。私はここでのコッタの生活教育が終わったら――つまり風呂とトイレの攻略が終わったら、一般的な価格の宿屋に移ろうと考えているのだが、その時期については慎重になるべきなのかもしれない。考えすぎだろうか? プライベート・スペースにおける内情が一切不明であるからどうにも判断がつかない。


 私は今一度、考慮せねばならんのだろうか。引き続きこの宿屋に滞在すべきなのかを。


 ただその方法を選ぶと、今度は庶民規準で進めようと考えていた今後のコッタとの生活に支障が出てしまうおそれがある。今の私たちが高級宿を利用している理由はイレギュラー。まったくもって風呂とトイレという〝難関〟のためにほかならない。


 私の財産のもと富豪として生きる道もあるかもしれないが、金持ちは金持ちで命や財産を狙われたりと特有の問題が発生するわけで、木を隠すなら森の中。これもまた即時に決断できるものではなく、熟考を要する。


「……」コッタから妙な視線を感じた。


 コッタは言っていた。『熱湯に注意』と。


 私の幼女感知能力によって7歳の判定を受けているのがコッタである。実年齢はまだきけてないが、大きくずれてはないだろう。


 7歳の幼女というものは思ったより賢かったりする。コッタは風呂ふろ心得こころえを習得したと見てもいい気はする。彼女の成長のためにも、私はときに見守る立場をとる必要がある。それは確かなことだ。あと幾日ここに残るかは分からないが、ともかく今日はまだ優秀なメイド二人がついている。今日の熱湯は大丈夫だろう。


「……」私は思ったよりも長くコッタからの視線を浴びていた。


 やはり〝こういったこと〟は言っておいて損はないのかもしれない。


「心配しなくても帰ってくるよ」

「うん」


 コッタから大きくブンブンと手を振られて見送られた私は、退室したあとそのまま階段をおりて、ラウンジのカフェスペースに足を運んだ。昼にいたマスターはもう仕事をあがったようで、その場にはいなかった。


 別のウェイターにオウレを頼んだが、ふやけた香りの茶色い飲み物が出てきた。しかも勝手に砂糖が入っている。オウレの何たるを理解していない、おそらくミルクを混ぜるのは邪道だとかいう信念を貫いている者だろう。永遠に理解し合えない間柄だとすぐに分かる。


 名も知らない珈琲職人バリスタを相手にしているのだから、この場合は仕方がないと思えるのだが、私のそばには看過かんかできない奴がひとりいる。

 

 ハジュだ。今の私は疑いようもなく幻獣にかれている。


 午前中、夢の中でハジュと遭遇そうぐうしたあとから発生していた違和感は、いまもまだ頭の中に残っている。ブツリと出っ張った湿疹しっしんのようなものが巣食すくっている感じだ。

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