第37話 オンリー・ワールド・サミット

「ここで少し休もうか?」

「うん」


 私はベンチに腰掛こしかけた。コッタはベンチの座面にひざで登ってから座りなおして、足を空中でプラプラとさせ、通り過ぎる人々をながめはじめた。


 私もそうした人々をながめた――かのように見せかけて視界しかいすみでコッタを見つめた。そうしていると、あれほど注意したにもかかわらず、心の中の暗がりのほうに、コッタが喋り出す瞬間を切望する自分が立っていた。


 口数くちかずの少ないコッタの性格や、もしくは単にしゃべりたくないだけの傾向けいこうなどについては、別個に理解をしているのだが、例えば『さびしい』とか『お家に帰りたい』とか……、もしそうした一言があるならば、今現在、私が勝手に連れ回しているかのような状況や、それに付着している罪悪感などは、いくらか緩和かんわされているのだろう。


 あるいは……『もう帰りたくない』とか……。


 答えを急ぐことはおろかなことだ。それも分かっている。分かってはいるのだが、この機会にコッタが心の整理をつけて、あるいはすでに整理がついているなにかや、今はせいすることができななにかについて、彼女のくちから語って欲しいという思いを、私は簡単にかき消すことができなかった。おさなさゆえに、このベンチにとどまることに退屈たいくつを覚えて動き出すかもしれない。そんな願望もあった。それは元気な証拠しょうことなる――少なくとも証拠しょうこ欠片かけらくらいにはなるものだろう。


 だがそんな願望は通行人と同じように通り過ぎて行った。


 コッタは首の旋回せんかいと流し目を使い、いたって平和に周囲をながめているように見えたり……、見えなかったり……。彼女の半分はんぶん目蓋まぶたは、その瞳だけに留まらず、その心の内側まで隠すことに成功している。それは、気配を消して見るだけでは我慢できない反応を求める悪どいロリコンから、彼女自身を守るシールドとして機能しているかのようで……。


 下手へたをすると私たちは延々えんえん、ここ座り続けられるのかもしれない。そんな時間が流れつつあった。


 コッタの未来について、コッタからの意志を聞き出す。この方針ほうしんがずいぶんと性急せいきゅうな話だったと思えてくる。


 もしかしたら、トストの森で出会ったときに、コッタはすでにかなったことを言っていた。このように考えることは、罪なのだろうか?


――冒険者? コッタもそれがいい――


 冒険者になら誰でもなれる。複雑な人間関係や事前知識などは必要ない。事務じむ手続てつづきだけで開業できる。世界でもっとも門戸もんとが広い職業は冒険者だと言っていい。くわえて冒険者ならば私がサポートに入ることができる。


 おおよそ四六時中しろくじじゅう。つきっきりで。手取り足取り……。


 いや、いかん……。取るのは手足ではなく〝魚〟だ。魚の取り方だ。冒険者なら扶持ぶちを稼ぐという最低限の目標は手堅てがたく達成できる。


 最先端を走るSランクの冒険者だと命の危険が付きまとうのだが、そこまで懸命にランクを上げる必要などどこにもない。CとかBくらいの……。それこそ安全に自分のための給金をかせぐことだけに専念した冒険者だ。


 それは世界中を見渡みわたしてもめずらしくない事例である。魔物と戦うのは気色きしょくわるい作業であるものの、中級の冒険者としての実力があれば、人並ひとなみらしていける。


 明日からレベルを上げて、経験を重ねて。とりあえずそういった立場をコッタに用意する。そうして地盤じばんかためたあとに転職先を探すという生き方は、わりかしよくある話だ。さっきの高級宿の老爺ろうややメイドも、レベルの気配からして、職業の履歴欄りれきらんには冒険者の経験が記されていると思う。


 農村のうそん三男坊さんなんぼうであった私が故郷こきょうの家を追い出されたのは13のときだ。世界的な平均へいきん年齢ねんれいを正確に把握はあくしているわけではないが、貧乏人の家庭が子供を外に働きに出す場合は、たいていそれくらいの年齢だと思う。かねまわりのいい結社けっしゃの労働者、貴族の下働き、ひと手不足でぶそく工房こうぼう徒弟とてい従業じゅうぎょうに向かわせる先はいろいろあろうが、とりあえず冒険者として生きていく若者もいる。


 ただコッタの年齢だと、どんな職業であるにせよ、働きに出るには早すぎる。小さいから可愛がれる場合もあるかもしれないが、小さいからしいたげられるという悲惨ひさんな場合のほうが多いのではないだろうか。普通はもう少し成長するまでのらりくらりとやっていく猶予ゆうよをもらえる……。


 とりあず冒険者。まじめにやらない冒険者。適度にブラブラする冒険者。彼女がせめて、私が実家を離れた年齢と同じ13歳くらいになるまで、なんとなく冒険者をやる。13歳……。9歳をはるかに超えた13歳……。


 そのとき、私はまだロリコンとして生きているのだろうか。


 悪くない。悪くないが良くもない。いや、違う――……。私が予測している未来の風景は、多分、間違っている。多分、根底から脳内会議の軸をずらして、もっと普通に考えればいいところだ。


 コッタが成長して嫌になったら、それで私のもとを自然に離れていくのではないだろうか? 


 かつて私を苦しめた支離滅裂しりめつれつな理論が、このとき私を援護えんごするがわに回っていた。

 

 コッタが嫌になったら、冒険者は止めればいい。

 コッタが嫌になったら、転職すればいい。

 コッタが嫌になったら、私のもとからもればいい。


 ――こんなふうに年齢を重ねていくまでは、私が育てても良いのではないだろうか……。


 となりに座っているコッタは、ゴーグルでもかぶせれば人間観察が趣味だと主張しても通用しそうだ。彼女は小さいので、そんな高尚こうしょうな趣味を当てはめてみても、空想はすぐにちぐはぐなものへと転じて、それがどうしようもなく私を悩ませる。


 可愛いのだよ。単純に……。


 なぜ彼女がてられたのか。今の私は以前よりも具体的に想像ができた。食欲のせいではないだろうかと見当がついたのだ。コッタの胃袋の限界値がもっと高いものならばと考えたとき、線の細い家庭の台所事情では、彼女を養育することが厳しかったと想定できる。猟や農耕地のなわばり問題、がんじがらめにする封建制ほうけんせいなど、もし家庭が気風にめぐまれない土地で生きて行く運命を患っていたならば、平民という身分だけで常に追い込まれた状況になる。


 だがそれを差しいても、私にはコッタを捨てた両親を理解できなかった。そして彼らは多分、私の非難を理解しないだろう。子育て経験のない者が他人の親を非難することは、登ったこともない山の風景を語るよりも劣悪れつあくな空論となってしまう。


「どうかした?」


 考えすぎていた。

 幼女から気を使われるなどロリコンの恥だ。

 私は視線を上げた。


「コッタ、シュークリームは知っているだろうか?」

「ううん。そうでもない」


『そうでもない』という単位で測定される知識ではないはずなのだが、ケチな話しを私から始めることはない。ちょっとした背伸びだろう。可愛いさがあふれているではないか。物事を知っているかいなかが、生死に関わるかのような問題へと発展する年齢であることを、ロリコンである私は理解している。それにこれはちびっ子に限られた話ではない。ごく一部の有識者は、なおもそんな素振すぶりを頼りに生きている。


「あそこの出店にあるんだ。行ってみよう」

「うん。行く」


 行く? 『行く』と言ってくれたのか? ふむ……。今のコッタは『うん』のあとに『行く』という言葉をつむぎだせる状態と言うわけだ。私たちは少しは前進しているのでは?


 購入したシュークリームを、コッタはまたパクリと一口ひとくち片付かたづけた。根強ねづよい生命力を感じられる。


 うむ! 感激、大いにあり――だ。安心感と充実感がみなぎってくる。


 子どもを持つ父や母はこの瞬間のために日々の業務に励んでいるのだろう。オーソドックスなもので、それくらいのことは私にもわかる。


 コッタの今後については、また一人のときに時間をかけて考えよう。私たちは近場を手軽に散策して、夕暮ゆうぐれのなかホテルへと帰った。

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