第35話 街路と店と ③

 昼食のために移動を続けた私たちは、飲食店が並ぶ区画に足を踏み入れた。


 この街には民衆みんしゅうに愛される大衆食堂がある。


――ストマック・バイブル――


 お手頃てごろ価格かかくで数多くのメニューが提供している庶民しょみん名店めいてんだ。営業はランチからディナーまで。ずいぶんと昔に、私は冒険者としてこの街に滞在たいざいしていたことがるのだが、建物は当時からほとんど変化していない。赤色のレンガを壁面としたかしましい外観だ。


 私は入口のウエスタン・ドアをささえてコッタの通過を待った。ほっといてもドアはコッタの頭上を通過しそうだが、見上げる視線をドアに浴びせている彼女がトコトコとゆっくり店の中に入ってから手を離した。


 すぐに給仕ウエイトレスが私たちを迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。ストマック・バイブルへようこそ」


 ここは1階層だけだが、お屋敷やしき宴会場えんかいじょうくらいの広さがある。私たちが座れるテーブル席も残っていた。肘掛ひじかけがあることでかろうじて粗末な領域から抜け出している木製の椅子いすが対面で一脚ずつあるところだ。


 椅子を引きだしたコッタは、登るようにしてそこに腰掛こしかけた。身長が低いせいでテーブルの下に埋もれたが、私はすぐに椅子いすあしに魔法を作用させて、適切な高さ作り出した。ホテルで手を洗ってもらったときと同じ要領だ。落ちないようにと注意すると、コッタは「うん」といつもの短い返事でうなずいた。


 まだ文字が読めないコッタに多彩なメニューを説明して、それはそれで楽しい時間であったのだが、それが終わると注文にこぎつけた。


 運ばれて来た料理を前にしたとき、コッタは神妙しんみょうな顔付きになった――ような感じがする。


 メイン・ディッシュにスープやサラダなどのものがついている。小さめの丸いパンが6つ入ったかごだけは、テーブルの中央に置かれた。二人分の分量が入ったものだ。


「食べようか」

「どれがコッタの?」


 好きなだけ食べてもらってかまわないのだが、まずは普通の食事のルールを伝えたほうが良いだろう。コッタの近くにならんでいる料理がセットで彼女のものとなる。中央のパンは二人で半分こだ、と私は教えた。 

 

 理解したコッタは右手だけを使ってフォークを持った。彼女が注文したメインはチキンのもも肉のグリルだ。大胆だいたんな一枚肉の形状である。コッタはそのこんがりとした皮の面のど真中まんなかにフォークを突き立てた。


 そのあと私はあっけに取られた。


『ナイフを使って切り分けたほうがいいだろう』と言わんとする所であったのだが、コッタは一枚いちまいにくのチキンをフォーク一本いっぽんで持ち上げて、くちの中に丸ごとダイレクトに投入した。


 およそ200グラムくらいだろうか。その肉塊にくかいはまるでクッキーかなにかと勘違かんちがいされたかのように、お口にポイ。


「?」コッタは不思議そうにこちらを見ならが口を動かしていた。


 ありえない光景だと思いたいところだが、コッタがひそかに「ぬぁーん」と口元くちもとを巨大化させていたのを、私はこの目で確かに見ていた。


 食物を閉じ込めたくちは元の小さな形にもどっていた。


 あとはモキュモキュと……。コッタはふくらんだ両のほおを、三十数秒くらいの咀嚼そしゃくで縮小させて、やがて全部を飲み込んだ。


「どうかした?」


 コッタの口は、いつものかわいらしいサイズで発言のために動いていた。元に戻っている……。言わばいつものコッタだ。


 さきのは天恵てんけい技能スキルか何かだと思うのだが……。


 いや、そんなものは見たことがない。見たことはないのだが、えた大人の偏見へんけんをコッタに伝えてはならない。私はみずからをいさめた。幼女世界への帯同は発想の逆転が勘所かんどころだ。多分……。


「なんというか……もしかしておなかが空いているのか?」


 ホテルについてから、コッタはリンゴとブドウを食べていた。彼女の食欲は失せていて、昼食は残るくらいかと私は予測していた。しかしさきの食べっぷりからさっするに、彼女の腹の具合ぐあいにはまだまだ余裕よゆうがありそうに見える。


 コッタはしげしげと私の顔のほうを見てから「普通フツー」と答えた。


 ニンジンのグラッセなどの付け合せの野菜が彼女のフォークに次々と差し込まれていく。ミニチュアの串焼きが出来上がり、それもコッタはパクっと一口ひとくちで片付けた。


 かばんを購入したときにあった彼女の上気ハイテンションは、今やクール・ダウンしているように見える。私はわずかな考察で、まず単純な答えを見つけた。コッタは文字も知らなかったし、貨幣かへい経済けいざいも知らなかった。コッタはさっきのかばんよりも、料理のほうをちょうなもと計上している可能性が高い。


 幼女も遠慮するときがある。コッタにもそんな気質があるのかもしれない。だとしら、ただちにこの流れは良くないと判断するべきだ。食べ物で幼女に気を使わせてはならない。成長期だ。


「よかったら食べてくれ」


 私は手付かずに置いていた自分のブタのロース・ステーキをコッタの近くにまわした。


「ルークの分量が消失」

「確かにそうだな。ではこれは私がそのまま食べよう。新しく何か好きなもの注文するといい」


 自分が頼りになる状況を気軽に語る男友達のように、私は重さをはぶいた声音を使って続けた。


「正体不明の料理とかあるなら、そんなもの注文してみると、面白しろくなれるときもある。好き嫌いはないだろうか?」

「ほとんど」


 コッタの嫌いな食べ物が気になるものの、自分のいたずらな好奇心は封印しておいた。コッタが緊張している可能性を考慮しつつも、それに気付いてない感じで。私は彼女にとっての緩和リラックスを模索した。


「だとしたら初めてメニューを注文してみるといいかもしれない。しょく世界せかいを歩いてみることも見聞けんぶんになるものだよ。ここに食べに来ているみんなは、そんな楽しい感じで食事しているよう見えないだろうか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る