第31話 お着替えは終了しております ②

 二人のメイドが眉根まゆねを寄せていた。二人とも多少は機敏きびんな動作に心得こころえがあるのかもしれない。疾駆しっくのための〝め〟が革靴ローファーに作られようとしていた。ブドウの落下を阻止するための初動だろう。ゆかいしを蹴り上げ、平面的な跳躍で移動するつもりだ。


 ただし私から見れば遅すぎる。まだまだ溜めは不完全で、これから呼吸を合わせようかところだ。そこらへんが挙動に乗せるスピードの限界のようだ。


 私は二人よりも早く――なにより二人にブドウをひろわれる前に――かぜの魔法を発動してブドウを下側したがわからげた。そうしてブドウの果肉を私の頭上にまではずませた。


 メイドたちの表情がゆっくりとおどろきの色に染まっていく。


 コッタはというと、上を見上げたことによって、小さなおくちがチョコっと開いていた。ブドウが通らないくらい小さな口で、待ち構えているような気配はない。先ほど譲り受けたとおりに、この果肉かにくは私がもらってもいいものだろう。


 上昇を止めて自由落下をはじめたブドウを迎えるために、私は上を向いてくちを開いた。着地点を用意する。ここまできてこぼしなど発生するはずもなく、その一粒は私の口の中にプルンと弱く弾んでおさまった。かおりと甘みがくちの中に広がる。


 かぜ魔法まほうの発動にかこつけて、コッタのスカートを巻き上げないことが私の細心の注意だった。ふいごよりも狭く直線的な風を作って、いたずら好きな旋風せんぷうは作らなかった。


 コッタのパンツが気にならないわけもない。そのような私が凶行に走らずにいられたのは、使い慣れた戦場の技法のおかげだった。そういったものは私に冷たい静けさを与えてくれる。


 けれども先までの瞬間には正気しょうきうしないうる様々な魅了みりょうがあったように思う。コッタのほうからさそわれると、特にあやうい状態じょうたいおちいるのかもしれない。この点は今後注意しなければならない。


 しかれどもこのブドウをすぐにんでしまうのはちょっとしい気がする。不自然にならない程度にくちの中に滞在たいざいさせてから、消化に向かってもらうことにしよう。


「コッタ、失敗?」

「しょんなことはないよ」


 指から落ちてゆか接触せっしょくするかに思われたブドウが、なぜ私のくちの中に入ったのか。コッタは今一いまひとつ理解できなかったのだろう。


 コッタのレベルは2だ。高速発動の魔法を目視で確認できるレベル帯でない。かんさつがんが弱いのだ。洞察力も……。見知らぬ出来事の発生原因を特定することは、彼女の年齢だ難しいことなのかもしれない。推測を影から支える経験も不足しているのだろう。


 しかし私は嘘を言ったつもりはない。コッタは失敗などしていない。かかげられたフドウの前で、私がグズグスしていなければ〝宝珠ほうじゅ〟がコッタの指先からこぼれることはなかった。


 まだ気圧けおされ気味ぎみ見張みはっていたメイドたちがいた。彼女たちは私が見せた対処について――特に私が見せた魔法発動から収束までの速度に驚いているようだ。


 超速ちょうそくでの魔法の発動は高等技術だ。魔法は魔法陣まほうじん形成けいせい経由けいゆしなければ発動できないのだが、とりわけ、その魔法陣の形成を他人が感じられないレベルでしゅんに組み立てることが、まずまず難しい。レベル100相当が必要になる。


 それ以上に、他人に気づかれない速度で魔法陣を現世から〝かたける〟ことが難しい。こちらはレベル250くらいが実行可能な技量の目安とされている――時代によって多少左右されるのだが、それはSランク冒険者であることとほとんど同じ意味だ。


 メイドたち二人は私が只者ただものではないことを特定したと思う。あまり素性すじょうを探られたくないのだが、友好的な関係をきずけるかは、今後の二人の動向で知るしかない。


 ややこしい駆け引きではないはずだ。私はコッタの衣裳替いしょうがえの謝辞しゃじを述べておいた。


「しゅばらしい仕事をしてくれたようだ。感謝しゅる」


 ブドウの恩恵を受ける私は舌足らずになっていたのだが、二人のメイドはそんな私のユーモアは無視して「お褒めにあずかり光栄です」と、恐縮極まる返事を返してきた。私たちが単なる金持ちの一向でないことが理解されたかのようだ。


 気楽にやってもらいたい私は――というのも萎縮はミスにしか発展しないわけだから――二人にその旨を伝えて、とりあえず再びソファに座ってもらうことにした。


 私も対面に座った。コッタは自主的に私の横に座った。良い傾向だ。ついでに抱き上げて膝の上に座らせたくなるが自重じちょうした。


 コッタは私を見て、メイドを見て、それから窓の外を見た。いい加減、この場所に退屈しているのだろうか。だが私にはまだ真面目に取り組むべき問題が残っている。まずはメイドからの報告を受けなければならない。


 それが再び私の頭をなやませた。聞きたいことは定まっているのだが、適切てきせつな言葉が見つからない。


〝コッタはいい子でごしていただろうか?〟


 まずはこの一言ひとこときる。けれどもコッタがそばにいる状態で、こんなうえからのものいをしていいわけがない。コッタがここに座っている理由の半分は私の意向だ。残りは半分はコッタから受けた沈黙の救援きゅうえん要請ようせいによる結果である。つまり全部が私の意志とも言える。


〝コッタはちゃんとトイレをおぼえただろうか?〟


 これだとなおわるい。下品げひんきわまりない。風呂について尋ねても同じだ。例えば私はコッタが髪の毛から洗うタイプであるのか、右腕みぎうでから洗うタイプなのか気になるのだが、そんなことを聞いても同じだ。話題が良からぬ方向に行ってしまう。


 黒髪のメイドをそれとなく見ると、まだ頭髪に湿り気が残っていた。コッタの髪の毛がキレイに乾いている。エルフィン・ローブの効果だろうか。どちらかのメイドが風の魔法を使ったのかもしれない。私であっても気配だけで他人が習得している魔法の内容まで知ることはできない。メイドが自分の髪の毛をぬらしたままにしているのは、魔法力の浪費をおさえてのことだろう。


 残念なことに、黒髪のメイドは私が話し出すのを待っているようだ。私が少し悩んだそぶりを見せたせいかもしれない。心の整理がつくの待っているように見えるし、あっちもあっちで整理したいことがあるのかもしれない。


 コッタだけが泰然としている。彼女はもう一度、私からメイドを経由して窓のほうを見ていた。


 私は自分の素性をいちいち話すつもりはない。そんなことよりコッタについて建設的な意見交換がしたい。この場合むこうから話を進めてくれたほうが楽なのだが、私からきっかけとなる質問をあげることにした。


 コッタの洋服についてなら、気軽に聞いても良いのではないだろうか?


「コッタのこの服はなんというのだろうか?」


 美しき半分目蓋の持ち主は黙ったまま視線を遊ばせている。『知らない』と主張するのに適しているかのようで、彼女のかわりに黒髪のメイドが答えた。


「フレア・スカートのワンピースといったところでしょうか?」


 極大火炎魔法きょくだいかえんまほうであるフレアが、幼女のスカートとなんの関係があるのだろうか。


 余計に袋小路ふくろこうじへ迷い込んだかのような私へ、金髪のメイドが茶目っ気あるピースサインを作って補足を届けてくれた。


「ひかえめなオーバー・スカートのデザインに街娘感まちむすめかんがあります」


 その所作しょさを黒髪のメイドが物議的ぶつぎてきにじっと見ていたのだが、金髪のメイドはへたれることなく黒髪のメイドのほうにも持続形じぞくけいでピース・サインを送った。とがめることではない。むしろ物静ものしずかな雰囲気よりずっといい。私は「いや、いいんだ」と、金髪のメイドが作ろうとしたムードを支持するために、黒髪のメイドに微笑みを送っておいた。


 けれどもフレアがオーバーな性能であり、かつひかえめということは、結局最初のフレアに戻ってくるのではないだろうか。当然、私は意味をちがえているのだろう。かしこくなりそびれている気がした。

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