これはデートなのかもしれない

第30話 お着替えは終了しております ①

 私は宿泊先となっている部屋の扉にノックをして、知らぬ間にけていくかのような短い時間の中に留まった。ドアノブがゆっくりと回転してく。止まっていた扉は意味ありげな静けさとともに動き出し、通路へといた隙間すきまが広がっていった。


 迎えに来てくれた者は金髪のメイドだけだった。近くにコッタの姿はなかったのだが、その事実は私を落胆らくたんさせるものではなかった。


「どうぞぉ~」


 人差指ひとさしゆびを立てた金髪のメイドの声はとても小さい。


『静かにすると、いいことがあるかもしれませんよ?』


 と、静寂から舞い込む幸運を示唆しているかのようだ。そして当然、私は煽られる。喜ばしいことがコッタに訪れたのだろうか。服を着替えたであろうコッタに対するこの期待に――――この年甲斐も無いときめきに潤いが与えられるとでも言うのだろうか。


 私は金髪のメイドをして居室リビングまで進んだ。普段はこれっぽちも意識しないのだが、なんとなく事前に表情も整えておいた。


 そこにたのは見違みちがえるほど姿を変えたコッタだった。彼女は黒髪のメイドと横並びでソファにちょこんと座り、ブドウのかわくことに集中していた。そのせいもあってか、彼女は私の到着に気付きづけていない。起点というべき彼女からのアプローチとなるアクションは皆無だった。けれども私は息を飲む沈黙に支配された。


 コッタを見ていると恥ずかしさにも近い気持ちが熱く頭にまで登ってくる。だが刮目かつもくすべしという亜空間からの強烈な伝令が同時にある。


 コッタは何も言っていない。けれどもコッタの全体が『コッタに注目』と、私に執拗しつよううったえているようで、つまりは乱反射するキラメキの中にコッタがいた。


 私は何度も何度も体感時間の延長を実行に移し、その光の中へと……。


 たゆたう……。ひろがる?……。


 私はここで半永久的に続く時空に拘束されるのだろうか……。

 

 コッタの髪には、太陽と手をつないだようなのオレンジ色の新鮮な艶が戻っている。


 根底にあるヘア・アレンジはショートカットのツインテールだ。


 小さくいとしい二つのふさには浮遊感があって、いい意味での幼女の軽はずみな行動を期待させられる。その髪の毛の数本が優しく着地している場所は、彼女のポテっとした丸いっぺだ。そのせいで白地図に落された経線を連想させられる。穏やかな曲線に誰もが新世界を予感するのではないか?


 ピピッと鳥のさえずりのようおとかなでているのは、二つの黄色いリボンだ。彼女の半分目蓋とは相反あいはんする溌剌はつらつとした印象が輝いている。


 つまりはマリーゴールド。コッタの美しき御髪みぐしは、他にも彼女に添えるべき比喩を私に教えてくれていた。


 数多かずおおくの歓声群かんせいぐんさそわれながら、私は贅沢ぜいたくすぎる注意ちゅうい散漫さんまんを実行に移していた。さながら性能がすぐれた天文てんもん観測かんそく装置そうちだ。堪能たんのうする意識が、高くしてたかたかいの状態だ。星間せいかんさえもパタパタと呑気のんきえる天使の羽がコッタの背中から広がっていた。

 

 彼女の体にまとわりついていたボロ布たちは消え去り、表舞台にはめかまれた一枚いちまいのワンピースが主役として躍り出ている。巨大なボリュームをいで、ほんわかとした裾野すそのの広がりを持つスカートの体積には、確かに街娘まちむすめといったおもむきある。だが髪の毛から統一とういつはかった明るいオレンジの生地きじが、悪戯いたずらごころかくし持ったかのような幼女ならではの〝らしさ〟を演出している。コッタとともに始めた魅力の掛け算はエクセレントだ。結果として最高の数値を叩き出している。


 いたんだサンダルは、かわひもしばる薄茶色のブーツに交換こうかんされてる。本来はごってりとした鈍重どんじゅうな装備であるがゆえに、不採用ふさいようとすべきところなのだが、不思議なことに彼女がいまいているブーツは、日常生活を足元から堅実けんじつに守っている安心感ほうが強く前面に押し出されている。


 守るがわの気持ちを理解しているかのような健気けなげさが、一層いっそうこちらの守りたくなる気持ちをき立てる。バレバレなのだよ……。その深靴ブーツの中にはまだ可愛らしいサイズの足があることは。ここにおいて、観測者は一刻も早く成長せいちょうを促すべであるという危機感を抱くことになり、そこには同時に幼女時代の終わりにともなう哀愁がある。


 なにからなにまで際どい。


 コッタにゆずった白色のエルフィンローブは、他に身に付けるべきアイテムとの調和という難題をなんとか乗り越えたようだ。そこはかとなく彼女にみわたった雰囲気をプラスしている。影の立役者だ。


 そういった恩恵をコッタの次に受けている者は、最初から彼女と共にあったくまさんポシェットだ。彼の役目は『準備完了』と陽気に声を上げることだ。どこにでも連れ出したくなるキュートなリズムを生み出している。今の彼なら私とも友達になってくれそうだ。


 究極……そう……究極なのだろう。最高の中心にコッタがいた。無論コッタは最初から最高に可愛かったのだが、今の彼女ならば世界中の瞳を『とうとい』として奪い去ることができるだろう。


 街娘にしてはヤリすぎだ。ここまで仕上しあがっていると良からぬ輩から目をつけられるかもしれない。だがやり直すのは論外だ。完成という言葉の意味が初めて辞書にしるされたのだから。


 コッタはいまだにブドウのかわ懸命けんめいいていて、その剥ぎ取った皮の一枚いちまい一枚いちまいをちょんちょんと――――黒髪のメイドがもっている小皿にけていた。


 その一粒ひとつぶはだかになったときに、黒髪のメイドがコッタに小さくささやいた。


「ルーク様がお帰りになりましたよ」

「あっ」


 顔をあげたコッタがトンッと――。大きすぎるソファから、小さく飛び降りた。


 コッタがびない冷静な表情であるから、私も無難ぶなんな表情をつくることはできている。けれども威厳いげんのある大人としての私の存在は、小走りを駆使するコッタによってくずれかかっている。


 いったいなんだというのだ、今動かれた私は……動かれるだけで……。いや……。もはや崩れているのかもしれない。私は……もう……。


 元気そうに見えるコッタだ。それがなによりだ。表情から読めることはいまだに増えやしないのだが、アクティブな彼女が私のひざもとに向かって来ていて、私の脳みそはキックの利いたアルコールがずっと留まっているかのようだった。クラクラする……。


 彼女は私の直前で止まった。


「食べる?」


 コッタの小さな指先がブドウの果肉かにくつまんでいる。果汁かじゅうを受けてテラテラと……。輝き……。


「あ、ああ……」

「?」


 半分はんぶんつぶらな半分目蓋。不思議な色が今の色でいいのかな?


「あ、ああ」

「あーん?」

「い、いや……。そうではないのだが……」


 もちろん私は〝あーん〟など要求していない。けれども断腸の思いと共に送り出した拒否の言葉はコントロールを失っている。


 そもそも私には最初からその意志がなかった……。私のセリフは最初の一音目いちおんめからにして、すでにゴニョゴニョと濁っていた。正しい伝達の機能が停止している。


 そのうえ私の体は、〝あーん〟を獲得するために、小首こくびかしげているコッタのもとへ、いざ、不可逆的ふかぎゃくてきひざまずかんとする……。


 私はあらゆる行動の内側に、この罪深き屈折くっせつを阻止するための、なんらかの成果を含ませようとしていた。ただその努力はあまりにもろかった。あらがおうとする私の命令は、全部ぜんぶが幼女世界からの支配によってことごとつぶされていた。


 ハニー・ビー・フロート? 花の蜜に誘われて、やることなすこと制御ができない。


 不可能……不可能なのだよ……。


 コッタの指と、コッタの果肉にむけてちていく自分というものを、私は止められなかった。目前にはコッタの指先だ。あわよくばコッタの指先だ。


 止めることなどできなかった。止まれるはずもなかった。


 もし星のめぐり合わせを自由に操作できるなら、誰しもが任意の2点間の距離を縮めてしまうのではないだろうか?


 その小さな指先に近づく許可が、他ならぬコッタからおりているのだよ……。


 時はきたのだよ……。


 さらば開かれん……。


 私の口は未知なる幼女との共有体験に近づいて……。


 今、ファンファーレが高らかに……。


「あっ……」


 ピッ、と――。コッタの小さな声ともに、彼女の指先からブドウが弾き出された。


 甘かった。甘かったのだと思う。


 ブドウをつまんで保持しておくための力の調節が、コッタには難しかったのだろう。幼さゆえの不器用さが、私と指先との接触まで持ちこたえなかった。


 終わった。……。


 いいではないか……。それもまた……。心の中でわずかな涙が落ちたとき、支配地域に隔離されていた私の心は、正気という範疇に戻ってきていた。


 上空1メートル30センチ付近。私は標的を正確に捕捉ほそくした。かつて、いかなる困難な状況においても先制攻撃を獲得せんがために働きだす体感時間の延長は、ここにおいても緊急時における機能を発揮していた。


 まだ……終わっていない……。終わってなどいない!!


 確かにブドウとコッタの指先という切り離すべきではないワン・ペアは失われたが、まだブドウを獲得する権利までは失われてはいない。地面に到着するまでの時間が残されているし、そう簡単に到着しない。


 これは救済か? 私はコッタが用意した果肉を、彼女の指ごと口の中に含もうとしていた。


 危ないところだった……。


 自然落下を始めたブドウを見ると、私はなおも後ろ髪を引かれる思いを感じるわけであるのだが、それでも犯罪者まがいの理論形成と、それに伴う行動規則からは逃れることができていた。


 フラットな境地に帰ってこれている。そのはず……。


 コッタの指から分離してしまったブドウと言えど、コッタの指によって表皮ひょうひのぞかれたブドウに違いない。このままほっといてゆかに与えることなど、あってはならないことだろう。扁平へんぺいかたぶつは好き嫌いが多すぎる。何も飲み込まないし何も食わない。


 そのブドウは甘かろうが酸っぱかろうが私が入手したほうが自然だ。


 今ゆっくりと落ちていくブドウを見ながら、私はいったいどうやってブドウを拾い上げるべきなのかと思案しあんした。素早すばやい動作でコッタの近くに顔を持って行き、パクリとくちを動かすのは下品だし、彼女を驚かせてしまいそうだ。手を伸ばして掴みとったとしても同じだろう。私の手は幼女から見ると大きすぎるわけで……。


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