第29話 ハジュ。幻獣の妖女 ②

 体力的にはまだ余裕よゆうはある。過度な疲労にたかられているといった感じはしない。だが今は幼女を相手にしている。自分にいっそう厳しく、そして冷静な思考能力を取りもどすためにも、少しは眠ったほうがいいのかもしれない。私はぎっちりと胸に紳士たる精神をんで、コッタと道を歩む必要がある。


 このままどこかの町で二人で静かに――。もっと静かな村で――。もっと二人きりになれる場所で――。


 エスカレートしていく悪魔の声を追い出してから目を閉じると、私はすぐに夢の世界に入った。――。――。かのような感覚に襲われた。


 みょうだ。


 お花畑でコッタとけっこしていた妄想が突然とぎれた。さきまで私は眠ろうとしていてたのだが、まだ完全に落ちていない。いわば安らかな眠りのための精神的儀式の最中であったのだが、それが唐突とうとつに暗転した。


 ゆえに私はすぐにこの奇妙な感覚を把握した。


 これは睡眠時の夢ではない。


 幻覚げんかく作用さようか……。それとも私という存在自体がどこか遠くに飛ばされたのか……。


 このときの私はカフェから離れて、白いもやがうっすらと立ち込める暗闇の世界に立っていた。


 どこを見ても闇と白のもやばかり。迷い込んだかのような実感が強かった。


 早急な原因の特定は困難のように思われたのだが、もやを体で分けるようにして〝あの人形〟が歩み出てきた。

 

『いいんですか、わたしを置き去りするようなことをして』


 ハジュ――――あくまで私の邪魔をするのか?


「ご大層な能力をもっているようだな」

『あなたほどではありません。ユリス』

「お前は何者だ? おおかた幻獣であろうが、私になんの用だ。なぜ私につきまとう?」

『幼女を手にした途端とたん下手したてにでるんですね。わたしが怖いんですか?』


 小奇麗に笑ってもイラつく表情にしか見えない。


「私を愚弄ぐろうしにきたか」


 私はハジュを吹き飛ばすつもりで巨大な火球を魔法で生成し、問答無用で打ち放った。けれども私の火球は威力を発揮する前にハジュの眼前で破裂した。直撃には至らず、氷のシールドで防御されている。


『あなたがあなたである限り、私に対するあらゆるダメージ・ソースは無効化されます』

「お前の能力はドッペルゲンガーのたぐいか?」


 私の能力値ステータスをもって形成した攻撃魔法だった。ステータスを上昇させる魔法なしで防ぐには、最初から私と同等なスターテスが必要になる……。


 幻獣を目視した経験は少ないのだが、そのなかにおいて、最強である私と同じステータスを保持している個体は見たことがない。


 私がにらむとハジュはまつ毛を伏せた。


『わたしにはあなたが必要なんです。多分、あなたにも……』


 小ざかしい悲哀ひあい演技えんぎ虫唾むしずはしった。先はあきらかに見下していたはずだ。


「私には用がない。今すぐ消えろ」

『分かりました。再会を待ちます。人の命の時間など、わたしにはロウソクより短いかすかな炎。〝あの子〟の場合だともっと短い』

「何が言いたい?」

『私はあなたの絵を見ています。モチーフとして採用していた少女たちは9歳以下くらいでしょうか?』


「……」少女ではない。幼女だ。やはり殺しておくべきか。


『あの子にはあと何年残されているんでしょう?』

「キサマは私が一人ソロでも最強であることを知らんようだな」

『ソロ? コッタがいるのに?』

「ッ!!」

『守るべき物のあやうさに気が付いたんですか?』

「消えろォッ!!!」


 私の怒りに呼応こおうして突発的に爆裂ばくれつ魔法まほうはなたれていた。赤色あかいろぜる中心点にはハジュが立っている。爆発直前まで私の目視もくしはそう捕えていたのだが――。

 

 うつろな手ごたえしか感じられなかった。攻撃こうげき魔法まほうが通用しないのはこの世界せいなのか……。轟音ごうおんと爆風が消えさった箇所かしょにハジュの姿はなく、声だけが私に向けてひびいた。


『先に見つけてもらったのは、わたしのほうなのに、わたしの声は聞き入れてくれないんですね』

「私の知ったことではない……」


 ハジュからの返答は失われて、私は眠っていたかのような感覚から抜け出した。その覚醒かくせいはあまりに不自然で、強烈な反動のような力で私の目蓋まぶたは弾き上げられていた。どうも頭の中に異変があるようだ。ハジュが意図的に私の意識かなにかに干渉かんしょうしたせいだろう。


 私はコメカミをんでからホテルの壁に張り付いている時計のほうを見やった。三時間くっきり過ぎている。すぐに帰らねばと、カップに残されたオウレをした。


 カウンターにいる老爺ろうやにアイ・コンタクトを取ってから、私は自室となっている四階に帰った。

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