第27話 ラウンジへ ②

「それではわたくしは一端ここで失礼いたします。ご用がございましたらお近くのものに声をおかけください」


 地上階にて金髪のメイドと別れると、私は観葉植物で点々と区切られたラウンジとなっているスペースに場所を移した。


 そこの雰囲気はカフェに似ている。だが茶会の売上げを求める場所というよりかは、宿泊客とその訪問客との面会場所として利用されることを想定しているのだろう。


 たったひとつの丸いローテブルが、一人がけのソファ四脚によって取り囲まれている。その見事な方円の陣はこのスペースにいくつか形成されていた。


 雨水を跳ねていくアメンボのような面白味おもしろみのある配置が、高級家具の重い色合いで大人の雰囲気を取り戻している。合意でも不合意でも自由に契約を操作できそうな感じだ。

 

 今の利用者はまばらであった。私はぽつねんとソファに腰掛けた。


 石造いしづくりの窓枠まどわくに囲まれた細長いガラスから陽射しが差し込んでいる。外を見れば街路樹や向かいの宿屋の正面外観ファサードが見える。平凡なものだ。けれどもツラツラと窓から窓へ視線を移せば、回転かいてん絵巻えまきで街中を見ているような不思議な高揚感こうようかんがおとずれた。


 近づいてくる人の気配があった。


 オープンキッチンでひまそうにグラスを磨いていた年老いた男だ。白いネッカチーフが一枚の大きな花弁かべんのように、ふっくらとした形で首から下におりていた。


「お気づきになりましたか?」

「ああ。壁が少しだけ内側に曲がっているのか。いや。壁というより内側の壁面だけか……。構造までゆがめていないのだろう?」

「ええ。おっしゃる通りです」


 無意味にも思える沈黙の共同鑑賞に時間がついえてから、老爺ろうやは私に尋ねた。


「なにかお飲み物でもいかがですかな?」


 老爺ろうやは本来そういう役割なのだろう。ふっさりとしたちょびひげがもさもさと動く。


「コーヒーで」

「当ホテルは産地もそろえております」

「そこまでこだわりはない。ミルクに負けない深入ふかいりで頼む」


 老爺は頭を下げると静かに離れていき、それから私はずっとサイドパックで放置していた時計を思い出した。


 このホテルは二階の天井まで続く広い吹き抜けがある。その両端には女神の両腕のような優雅な階段が二箇所ある。


 今の私から見るとやや上方。まさに〝女神の腕〟に対して顔にあたるような位置には、巨大な時計が嵌め込まれていた。高級感のある12個の数字を並べた文字盤もじばんに、サーベルのように長い針が2本組み込まれている。


 シャンデリアの照明は魔導鉱石のエネルギーを利用しているのだろうが、こちらの時計はおそらく重力を動力源にしている機械式きかいしきだろう。耳をすませば、カギ車とアンクルが奏でるコツコツという均等きんとうな運動の声が聞こえる。


 私は懐中時計クロノグラフを取り出すと〝リューズ〟を引き出して地道にゼンマイを巻き取った。さらにその〝つまみ〟を操作して、ホテルの時計の1分後に時刻を調節すした。


 静かに時を待つ。


 あえて先を行かせていた私の時刻にホテルの時刻が追いつくと、私はリューズを初期位置に戻した。私の時計の秒針が息を吹き返す。私はしばらく同時進行する二つの時計を見比べた。分針も正しく一致している。


 トレーの上にコーヒーセットを整えた老爺ろうやが私の近くに戻ってきていた。


「時間が動き出したのですかな?」


 時間……。あれから5年か……。私は深き森の中で閉ざされていた時の中から出てきている。今は幼女を連れて市井しせいの中に生きている。その名状めいじょうしがたい圧力のせいなのか。私の口は老爺の相手をするために動きだしだ。


「幼女を拾ったんだ」

「それはそれは。良いことをなさりましたな」


 老爺は深く目をつむって頬をゆったりと上げる笑みを浮かべた。


 世界はロリコンであふれているのかもしれない。私は内心でそんなことを危惧きぐせざるを得なかった。


「そんなものかな」

「ここにお泊まりになられる方に拾われたのなら、幸運でございましょう」


 老爺ろうやは「ええ」とみずから相槌あいづちを打った。


「マスター、カネは根本的になにも解決しないよ」

「ではこう考えてはいかがでしょうか。拾ったのではなく、仲間に迎えたのだと」


 仲間……。パーティーか……。


「マスターも昔は冒険者だったのだろうか?」

「はい。まだどう列車れっしゃも走っていなかったころですが」


 冒険者を引退したあとに異なる奉公先ほうこうさきを探す冒険者は多い。各国の政府機関や、豪族の武力団体。そのさい、ここのような民間の営利施設なども視野に入る。私のパーティーの者たちもそうだった。冒険者はいつまでも続けるようなものではない……。冒険者にはそうした風潮も一部ある。


 今でこそお茶役になっている老爺であろうが、もしかしたら彼の若い頃の職務には、ここの番人ガードであることも含まれていたのかもしれない。ただし今の気配はレベル20さえ下回っているように感じられる。彼のその低い能力では、私の正体に気付くことはできないだろう。


「列車の運行は増えたのだろうか?」

「そのようなうわさは聞きませんねえ」

「では減ってもいないだろうか?」

「はい。〝前期ぜんき〟も無事に到着しました」


 かつてランキング1位だった冒険者わたしが不在でも、世界は順調に回り続けているらしい。私はミルクポットを手にしてコーヒーカップの中にたらし、液体を一口ひとくちすすった。パンチの効いたげ付く香りが鼻孔びこうに広がってくるのだが、口の中では苦味が中和され、まろやかなミルクの味が広がっていく。


「オウレを心得ている。この技も簡単ではないのだろうな」

「どうでしょう。わたくしもブラックは苦手でございまして」


 男子たるものどんなに年齢を重ねたとしてもミルクからは離れられないものなのだろうか。ロリコンに対するアンチテーゼともなりかねないことを考えさせられるから、私は老爺ろうやには下がってもらうことにした。


「すまない……。ちょっと考えごとをしたいんだ」


 私はサイドパックからチップを取り出したのだけれども、老爺ろうやにはそれとなくことわられた。彼は静かにカウンターのむこうに帰っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る