第21話 無知なリンゴ ①

 室内のゆとりのあるスペースは、3世帯せたいを住まわせたうえで番犬ばんけんとニャンコのおうちを置いても不自由なく暮らせるくらいの広さだ。

  

 絵画かいが花瓶かびん、カーペット、ソファなど、どれも一流の芸術品げいじゅつひん調度品ちょうどひんのたぐいであろう。曲線を使うか直線を使うか入念にゅうねんに計算したかのようなラインが多く見られる。高級品についての私の詳細な知識は、戦闘関連の装具そうぐ道具アイテムに限られるのだが、この場所にあるモノたちが総合演出として作りあげたアーティスティックなインテリアはそこはかとなく理解できた。


 テーブルの上には、ガラス製の高杯フルーツ・トレイ。その上には色とりどりの青果たちがあやういバランスの山をつくっていた。


 視線を遊覧ゆうらんさせていたコッタは、やがてその途中にいる私にピントを合わせてつぶやいた。


到着とうちゃく?」

「ああ。とりあえずしばらくのあいだここが私たちの根城だ」

根城ねじろ……」


 冒険者という言葉が私の心にすすをかけるのだが、それはわずかなほこりである。もしかしたら探求心に満ちているかもしれないコッタの口ぶりが、それ以上におかしかった。


「ずっと、ってわけじゃないんだけどな」

移転いてん予定よてい?」

「ああ。もう少し落ち着いたら、かたひじらずにごせる宿に変えよう」


 自分のかたひじを軽く点検てんけんしたコッタは、そのあとで「うん」とうなずいた。


 出入口でいりぐちへと続く短い通路の手前にはキッチンがある。私がそこに向けてゆっくりと歩を進めると、コッタも旋回型せんかいがた首振くびふ運動うんどうで周囲を確認しつつ、うしろからいててくれた。


 うむ。付いて来てくれるようだ。ちょこちょことした可愛い歩幅は、私の心を踊らせる。


 高額な料金を支払った甲斐はある。このクラスの宿屋になると当然のように個室にまで水道が配備されている。真鍮しんちゅうせいと思われる金色の蛇口カランがキラリと光っていた。


 一般いっぱんの宿屋ならば地上階の共同設備でしか使えないものだ。


 私は自分の手を洗ってからコッタを見おろした。あまりに小さい……。私のこしたけだ。


 抱き上げていいものだろうか。いいわきゃないのだろう……。不用意な接触は許されざる行為だ。


 すぐにフラリとさまよう自分の心を叱責しっせきしてから、私は魔法の使用に移った。ちゃちゃっと茶色の線形による魔法陣を展開する。


 使用するのはつち属性ぞくせいの魔法だ。影響を与える先は蛇口カランの手前にあるゆかいしだ。私はクリーム色のじっと見つめつつ、コッタでも昇りやすいだいをイメージした。


 準備を終わらせて、魔法による変化を現実に引き寄せる。私がしくじるはずもなく、シンク手間の床石の一部は四角しかく隆起りゅうきした。


「魔法?」


 コッタは足元と私を見比べて言った。


「ああ。ちょっと大きいキッチンにはこいつが良く効く」


 コッタの目には不思議に映ったのだろうか。表情が動かないから良く分らない。けれども雰囲気ふんいきさっしてくれのか。コッタは私が用意した踏み台をしげしげつ見つめながらも、その上に乗ってくれた。


 まだ低い。


 彼女が上に登ってから、私はもう一段階、魔法で床石を持ち上げた。


 ここでもコッタに大きな反応はなかった。彼女は高くなった身長を利用して、依然として蛇口から流れ続けている水を見つめた。じっくりと眺めて、それから指差した。


「この水も魔法?」

「いや。その水は正真しょうしん正銘しょうめいの水だ。水が出てきているところを蛇口じゃぐちとかカランなんていう。コッタは給水ポンプは知っているだろうか? 井戸とかについている設備なのだが」

「うん知ってる。知恵ちえ知恵ちえ


 チエチエ? 口癖くちぐせのようなものだろうか? 独特な口調と相まって魅惑のリズムをきざんでいる――――という褒め言葉は、場合によって難癖なんくせとなり個性をうばってしまうかもしれないから、私は彼女の疑問に答えるだけにした。


「それが進歩したようなメカニズムで動いているんだ」

「メカニズム?」


 改めて聞かれると困る。


「いくつかの部品や道具で動くカラクリだ。この水道は〝どう鉱石こうせき〟を動力源として、一度いちど水を屋上の貯水槽ちょすいそうまでみ上げている。今〝ここ〟から流れ落ちている水は、そからパイプという長いつつの中を落ちるようにこの蛇口に繋がっている。厳密に言えば人力でもないし、魔法でもないものだよ」

「ふーん」


 むしろ所々は魔法のままにしたほうが伝わりやすかったのかもしれない。コッタからもらった返事は理解が遠のいたかのような単調なものだった。


 床を持ち上げても、幅の広いシンクがコッタを蛇口から遠ざけていた。これ以上の接近は空を飛ばすくらいしか方法がないのだが……、と思っていると、コッタが前のめりな姿勢になって水をつつきはじめた。


「お部屋に帰ったときは、こう、コスコスって感じで、ごしごしって手を洗うんだ」

「?」


 ジェスチャーなど使う必要はなかく、私はコッタと一緒に手を洗らった。田舎者でも手ぐらい洗ったことがあるだろうが、私が伝えたかったのは日々の習慣としての手洗いだ。普通に考えれば、これくらいのことは一緒にいれば自然と身に付けていくだろう。


 これくらいのことは教えられるが、ほかはメイドの到着が待つしかない。


 私は蛇口を閉じて、近くの棚を適当に開いてみた。すぐに綿布タオルは見つかり、それをコッタにわたそうとすると、彼女の手に残っているはずの水滴すいてきがぜんぶ消えていることに気がついた。


「……」なぜだ、と思っている私がいた。


「……」当然、とでも言いたげに悠然ゆうぜんとした半分はんぶん目蓋まぶたで私を見つめ返してくるコッタがいた。どこか確信的にも見えるコッタに対して失礼な解釈ともなろうが、コッタにいても〝当然〟分かるものではないと思われる。


 私はみずからの頭を推理のために働かせることで、その原因をすぐに特定した。答えは彼女の身体を包んでいるエルフィン・ローブだ。そいつの高すぎる耐水たいすい性能せいのう自浄じじょう作用さようが、彼女の手についた余計な水分を吹き飛ばしていた。


 手洗いは最初から不要だったということになる。ふむ……。体を清潔に保つ十全な機能があるわけだから、今のコッタは風呂も不要ということになるのだが、それでは常識が損なわれてしまう。エルフィン・ローブを身に付けているからといって、手洗いや風呂が禁止になるわけでもない。風呂に入る習慣もまた、獲得すべき成長要素だ。ふしだらな生活は品性を下げるほうにしか働かないだろう。


 ふしだらな生活を続けてきた私がそんなことを言ってもなんの説得力もないのだが、コッタはそれについてなにも知らないわけで、この点について少し引け目を感じるのだが、つっかかりなしで事を運べる優位な状況を、私はみずから壊す必要性を感じない。

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