第20話 ホテル・コストリントン ②

 先ほど焦って引っ込んだんだフロントの男は、ぞろえの服を着た白髪はくはつ老人ろうじんを連れて帰ってきた。スーツとも呼ばれるその服は、技術先進国である西方の国からの輸入したモノだろう。この町ではありえないネクタイを締めていて、一人だけ時代が先行している。


 その支配人らしきぞろえの男は、深く頭を下げて「失礼」と言うと、うすくて白い手袋てぶくろをはめて延棒インゴット一本いっぽんを取り上げた。さらにポケットから小さな鑑定ルーペを取り出して、金の表面に刻印こくいんされている製造元せいぞうもとを示す文字にあてがった。


 目の前で白髪のオールバックの頭頂部が見えた。必然的に相手のこうべを下げるきんの魔力を久しぶりに感じながら、私は再び待つことになるのかと思ったが、支配人らしき男は1本目の鑑定を終えると、こちらに顔を上げた。 


「大変失礼いたしました。ご宿泊の案内をさしあげますので、まずはこちらにサインを頂いてもよろしいですかな?」

「ああ。わかった」


 鵞ペンとって宿帳やどちょうへ記入する私の前で、オールバックの支配人らしき男は茶色の従業員に別の案内係を呼ぶように命令した。


 そして私に「換金の代行には若干の手数料も頂いております」と言った。


 インクが染みてから発言するあたりに抜け目の無さを感じる。あまりに好き放題されては困るので、交渉における威圧感を残すためにも「ほどほどの金額にしておいてくれよ」と返しておいた。


 記帳が終わったときには、呼びつけられた新たな男がかたわらにすでに待機していた。それは最初の従業員と同じ茶色を基調とした服に身を包んでいるのだが、ネッカチーフの色が赤だった。


 フロアにいる〝赤〟は一人だけであることから、その色が存在上そんざいじょうを意味するものであるのだと分かる。フロントをつるとするならば、こちらは薔薇ばらと言ったところなのだろうか?


 物腰ものごしも上品で顔も小奇麗だ。そのわりに気取ってない。気の優しい弟のような笑顔を作っている。宿屋が体のみならず心にまで安らぎを与える空間であることを徹底的に教育さているかのようだ。自己紹介もそんな調子で終わらせた赤色の従業員は、私が希望したメイドは準備中であるから、まずは自分が部屋に案内すると言った。


 一時的なめ合わせということだろう。この宿は客への応対をつつがなく進行させようとしている。そんな差配さはいを感じだ。


 その新種しんしゅの係りの男は私の荷物を持とうとしたのだが、私はそのもうを断わった。他の男に荷物を運ばせているナヨった男だとコッタに思われたくなかったからだ。コッタはまだこのあたりの事情にうといと思う。




 それでもまずはこの宿屋で助力を得るのが正しいと目星をつけたのだから、私の行動のいくつは矛盾しているのかもしれない。


 だが裸のつきまとう設備の使用方法とそこでの所作をコッタに教えてくれる女性のメイドが、私にはどうしても必要だった。それも的確てきかくに、正確せいかくに、二度と私がどうのこうのと言ってしゃしゃり出る必要がないくらいの、エレガンスなレクチャーを求めている。


 他にも細かい要望はいくつかある。私が今だ検知けんちできていない未知なる要望もきっとどこかに残っている。私には子育ての経験がない。それに姉や妹もいなかった。男の私だけで立ち向かえば思わぬ障害に苦しめられるだろう。


 コッタが。


 私はいい。私ならばコッタのための苦難、苦役、無理難題……そんなものいくらでも受け入れる気概きがいはある。だが傷つくのがコッタであるとき、それで許せるはずもない。


 私が見落としうるキメ細やかなサービスを提供しうるのは、〝高級宿のメイド〟以外に存在しない。ここではコッタのみならず、実は私もアドバイスを受けるべき対象に含まれているのだ。


 コッタに上流階級の生活を教えるためにここに来たのではない。むしろ常識という点において、本来はここにくることは避けるべきであったのかもしれない。


 だが私のそばには捨てきれない可能性の渦が回っていた。


 私の弱点を補うためには、高級宿に向かう以外に正しい選択肢せんたくしはなかったはずだ。


 私は冷静だ。初手でつまづくと今後に響く。風呂やトイレでつまづかれると私に響く。


 この宿ならば浴室から裸のままコッタを連れ出して、私が同時に存在する室内で身体からだいたりする下賎げせんなメイドはいないはずだ。


 私は不埒ふらち情景じょうけいを事前段階から排除したつもりだ。そんな幸運が生まれないことに私はいつも注意を払って生きていく所存である。




 いまだにこの国には昇降機しょうこうき導入どうにゅうされていないらしく、我々はまず地上階のふち沿って曲線的な上昇を見せている階段をのぼって2階にいたり、そこから先はおくまった感じのする九十九つづらおりの階段を進んだ。絨毯がしかれているから大人の足音はパタパタと静まり、コッタにおいては無音だった。段差に集中しているようでもある。高く腿もあげて、のしのしといった感じで付いて来ている。抱き上げたくもなるのだが、影ながら応援しておくほうがよいのだろう。彼女は乗り越えている。


 先導するかかりの男はさりげなく宿の自慢じまんのディナーコースや、この街の名所など、たりさわりのない話を軽やかに続けながら、最上階まで私たちを連れて行った。そして大掛おおがかりな扉の前にて目礼とスマイル。


「当ホテルのスイートルームでございます。どうぞ室内をご覧ください」


 ニスでテカッた焦茶こげちゃいろの〝ふう〟が開らかれた。


 そこは私たちが先に通る客室と廊下の境目だ。私はコッタの背中をそっと押すかのようにして――つまりは触れたりせずに、ささやくことで室内に進むようにうながした。


「入ろう」

「うん」


 コッタはちょっと不思議そうな表情をコチラにむけたあと、短い通路を進みだした。

 広々としたリビングの端っこで、いい加減かげんやかましい男が甘ったるい声で話しかけてきた。


「お部屋のほうのご説明はいかがなさいましょうか?」

「いや。結構だ」


 男のお前に教えてもらうことなど最初から何も無い。ここは今から幼女ための修練の場となる。すみやかに立ち去り従業員一堂に向けて男子禁制のれを広め、お前は専用の雌豚の元へと帰るがいい……、という心境しんきょうは内側だけにとどめておこう。


 お前ももうわかってるだろう?


 呼ばなければもう来ないはずだ。メイドもやとっている。それくらいの空気は読むだろう。


「すぐにご希望の客室メイドを挨拶あいさつうかがわせます。お急ぎのご用件はございますか?」

「大丈夫だ。下がっていい。メイドが来るまでここで待っていると伝えておいてくれ」


 スマイリーな優男やさおとこを演じる従業員は「はい。それでは失礼致します。ごゆっくりとおくつろぎ下さいませ」と言うと、扉を閉める音に細心の注意をはらって出て行った。

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