第16話 リバース・デイ

 ルーシーの飛行が順調に目的地までの距離をちぢめていくなか、私は魔法で耐風障壁シールド維持いじしつつ、彼とたわいもない昔話をして夜の時間をごした。


 やがて日の出の時刻じこくが近づき、空が明るんでくるとコッタが不意ふいました。

 

 お手手ててでお目目めめこするのはめられた習慣ではないのだが、私は何も言わずにコッタの意識がはっきりとするのを待った。パチリ、パチリ、と。ゆっくりとまばたきをしたコッタは、すぐにL字型じがたに上半身を起こしてゆっくりと左右に首をふり、広範囲こうはんいにわたる景色をながめはじめた。私はすぐにシールドの色を透明に近づける。


 特に感想もなく、いくらか時間が流れたのちに、コッタは物静かなままつんばいの姿勢しせいになって向きを変えた。ちょうど彼女の背面にあって今まで見えなかったルーシーの複眼ふくがんに気が付つくと、ピクッと体を跳ねさせた。


 ルーシーは少しだけクスクスと笑ってから静まった。私もまずは穏やかな笑みで見守ることにした。


 彼女はまじまじとルーシーの瞳を見つめていたのだが、やがてそれにも飽きてしまったのか。今度はルーシーの胸躯きょうくの端に移動して、ちょっとだけ顔をのぞかせて大地のほうをのぞた。このときも小さな体はピクッとねた。


 コッタはそこにに留まり、今度は地上を含んで視線を広く周遊しゅうゆうさせた。その中で何度か私とも目を合わせていたのだが、最後に私の近くに場所を変えた。ずっとこちらを見上げている。私も黙ったまま彼女の瞳を見つめ返してみた。ねむたそうな目蓋まぶたの形がそのままだなと思っていると、彼女から口を開いた。


「ここは?」

「空のなかだよ」

「コッタは……逝去せいきょ?」

「……。いや。生きてるよ」

「……」


 コッタは私の横にすわんで、私の服のはしっこをにぎった。


「大丈夫、落ちたりはしないよ」

「……」


 いきなり信用することなど不可能だろう。コッタの手は離れなかった。


 正確に言えばルーシーの背中からは落ちることができる。けれども現在は途中に展開しているシールドのところで止まる。ただしそれ以前に私が素早く動いてコッタをひろい上げることは可能だ。ルーシーもそのために滑空かっくうするだろう。


 コッタはまたゆっくりと周囲を見渡みわたし始めた。


 地平ちへいてには、山際からかさをつけた太陽が半分ほど姿を表し、地表にはびこるきりばしている。太陽を背に隠す位置にあるとがった山は、綺麗きれいにそのふちに光りを宿やどし、陽光を全面にびる位置にある連峰れんぽうは、緑色の葉っぱでチラチラとした光を照り返している。大河たいがは音もなく流れ、小さな集落からは朝餉あさげらしきけむりがひょろひょろと昇っている。


 私はコッタが何かしゃべり出すまで待ってみた。


 帰宅についての意志とか、現在地についての情報とか。何か聞きたいことがコッタにあるのかを知りたかった。あるいはそういったものが今の瞬間に生まれるのか。私はそうした言葉から彼女の心を読み取りたかった。だがいくら待てども、コッタから次なる言葉は出てこなかった。


 物静ものしずかなタイプなのかもしれない。ただひょう面上めんじょうは静かであっても心の中まで静かな者はほとんどいない。コッタはコッタで何か言いたい事があるならば、私はいくらでも聞く用意がある。


 けれどもコッタはなにも喋らなかった。奇妙なことだが、ずいぶんと落ち着いた雰囲気に見える。気のせいなのだろうか? 動揺というものがまるで感じられない。もともとのタフなメンタルの持ち主なのだろうか。


 これからどうするのか。そういったことは最初に方針ほうしんを決定したときに考慮こうりょしたつくしたことだ。いちいち相談を持ちかけるようなことではない。私はこのまま都会を目指すことにした。


 私は魔法陣まほうじん展開てんかいして、姿を変えるための魔法を発動した。


 長くて赤い頭髪とうはつは黒に変える。赤いひとみも黒に変えた。ついでにきつい印象を与えがちな両目は、丸みを作っておいた。これにて私を特定できる者はほとんどいなくなったと言っていいだろう。


 冒険者だったころに私が発見した魔法だ。公表したら世界中が混乱こんらんするだろうから、かつてのパーティーのメンバーだけしかこの秘密を知らない。街に出向いて幼女の観察していたときに大いに役立てた禁断の技でもある。


 この魔法は少しコッタの興味を引いたらしい。


変身へんしん?」

「ああ。残念なことにコッタには知られていなかったようだが、私はこれでもそのすじでは有名人なのだよ。普段の姿で街におりると、ときどきおかしな徒輩やからが寄ってくるんだ」


 コッタは「ふーん」とつぶやいた。瞳も表情もほとんど動かない。ちいさなくちが最小限の動きで興味のなさそうな声を作っていた。つまりは本当に少しだけしか興味を引けなかったのだろう。


「このちょうは?」


 チョウチョではなく親族しんぞくかなにかだと思うのだが、げんじゅう相手あいてにまで普通の生物の分類が通用つうようするのか私でもわからない。教えても仕方しかたいことだろう。


 ルーシーも些細ささい差異さい訂正ていせいするような気質きしつではない。


「ルーシー。正式名称はグリーン・アイズ・モス。私の友人にして唯一ゆいいつ召喚しょうかんげんじゅうだ」

召喚しょうかんげんじゅう?」

「それは……。そうだな、どこから話そうか……」


 幼女に向けたやさしい説明を、どのように作ろうかとあたまひねっていると、ルーシーがんできた。


『よろしくね。コッタちゃん』

「うん。よしなに」


 精神波せいしんはによる会話は、コッタにとって聞きなれない声であるはずなのだが、彼女は最初から順応じゅんのうしているかのようであり、手近てぢかなところにあるルーシーの体毛をさわさわとでた。


 握手あくしゅなのだろうか? 役得やくとくである。


『ユリスと仲良くしてあげてね。昔はそうでもなかったんだけど、今はひとりぼっちだから』

「うん。了承りょーしょー


 には変身できない私である。ルーシーが先にコッタの信頼を勝ち取っているかのようだった。


 いくらパーティを解散したからと言っても、私には知り合いなどくさるほどいる。いる。いるのだが、まあ、知り合いというものは、所詮しょせんはその程度のものである。戦線せんせんともにしたパーティーのメンバーとはしつことなる。そのメンバーに愛想あいそを尽かされたのが私であるわけで、いまさら見栄みえの張りようがない。


 コッタはルーシーと仲良くしてくれるらしく、まずはそこを喜ぶことにしよう。その上で私は慎重しんちょうであるべきだ。コッタの目蓋まぶたはまだ重そうに見える。半分はんぶん目蓋まぶたといったところだろうか。


「どうかした?」


 コッタが首をかしげた。寝ているときにも何度か確認したが、私は再び解析魔法で彼女の能力値のうりょくちを確認した。LPが1であることを筆頭に、数値の上では健康であると言える。


 だとしたらその半分くらいの位置についてる目蓋まぶたは心の問題の表出ひょうしゅつなのだろうか。私は話題を変えることにした。 


「いや……。ユリスという名前も、今日きょうかぎりでふういんしようと思う」

「次の名前は?」


「そうだな」と思考をめぐらせた私は「ルーク。うむ。私は今日からルーク・ディートリィッヒと名乗ろう」と言って、みずからふかうなずいた。


 キングでもナイトでもビショップでもなければポーンでもない。盤上遊戯チェスにおいてルークは、盤面ばんめん片隅かたすみから静かにクィーンを守っている。実際じっさいまもっているのはキングであるし、コッタはクィーンというよりはプリンセスの年齢ねんれいであるのだが、細かいことはいいだろう。私は今日からルークだ。


片隅かたすみから〟という距離感きょりかんが私にとってのいましめである。ラストネームは適当てきとうだ。だがわれながら素晴すばらしい名前を発案はつあんしたと思い、そんな説明をくどくどと始めようかという手前で、コッタが「ふーん」とつぶやいたから、私は再び説明の機会を失ったことになる。


 まだ幼いせいで、慣れない他人に対する対処に困っているのか。コッタのリアクションは薄いもので統一されている。


 そうしていると目的のまちが見えてきた。一晩ひとばんかけて飛んできた甲斐かいがあるというものだ。


――城塞じょうさい都市としリーゲンハイム――


 環状かんじょう構造こうぞう市壁しへき三重さんじゅうにめぐらされた世界有数の巨大きょだい都市としだ。はしからはしまで約10キロ。50万という圧倒的あっとうてき人口じんこうほこるにもかかわらず、この街は世界一せかいいち治安ちあんすぐれていると評判ひょうばんが高い。


 粒のような大きさの人々が朝一の活気を生み出しつつあるのが見えた。壁門へきもんはすでに開いている。着陸にむけてルーシーが高度を下げはじめた。

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