第15話 人形は放置

 ルーシーが自宅の正面にある芝生しばふで整地された庭先にわさきに着陸すると、私は「しばらくコッタを頼むよ」と言って、さっさと家の中に入った。眠っているとはいえ、長いことコッタを待たせたくない。


 私は急いで準備にとりかかった。


 リビングのいつものたなに置いてあるかわのサイドパックをつかんで、中に紙幣しへいたば懐中時計クロノグラフがあることを確認する。


 コイツにはもう一つアイテムを入れたほうが良いだろう。


 私は台所のほうに向かい、しお胡椒こしょうを中心にミックスしてある万能ばんのう調味料ちょうみりょう小瓶こびんつかんで、すみに残されているスペースに立てた。充実させたサイド・パックは、こしいている革のベルトに装着そうちゃくして背面はいめんのほうに回した。マントをひるがえして、ともなった小さなりを目立たないようにおおかくす。


 次にカラクリ仕掛じかけ本棚ほんだなを90度回転させて、隠し部屋へと向かえる通路を開いた。


 その先はすぐに地下へと続く階段に接続している。さらにその先は小さな一室に繋がっている。私が金庫として利用している特殊な合金製の堅固な小部屋だ。


 私は入口の横の壁に埋め込まれている青い宝珠に向けて、最弱の攻撃魔法を小さなつぶてを飛ばすような出力で〝決められた順番〟に放った。みずかぜつち……と、20回ぶつける。


 開場のキーを受けた入口は、久しぶりのことだが問題なく横にスイライドして開いた。同時に天井に埋め込まれているラインに緑色の光が灯る。


 室内には大切なS級装備や、まんべんなく積み上げたきん延棒インゴットが置いてある。現物げんぶつかく財産ざいさんだ。


 金は世界中のどこにおいても手軽に現金と交換こうかんできる物質だ。都会での生活を始めるにあたり、簡単に活用できるだろう。見た目は素朴だが上位の装備になる丈夫な肩掛かたかけのふくろにぎゅうぎゅうになるまでんだ。金庫の外に出ると、入口は勝手に閉じた。


 部屋全体は未踏領域にある古代に滅びた超技術の文明都市から持ちかえったものだ。〝部屋を持ち帰る〟のは苦労したが、その成果として、簡単には開閉できない〝最後の砦〟となっている。現代の技術では再現不可能な建造物だ。まともな方法で突破することもできない。あけ方を覚えているのは私くらいなものだろう。


 私は階段を昇りカラクリじかけの本棚を元にもどした。そこで背中のほうから風に押し出されたような光りが届いた。ボッという音が聞こえる。


 私ではない。ハジュの魔法だ。


「ユリス。行くのですか」

「ああ。行く」


 私とハジュのあいだ上方じょうほうに、魔法で作られた光の玉がいていた。


 室内がめいあんに色濃く分かれていた。木製の家具たちは、光球に近い側面において、明るい照り返しを見せいた。けれども用意された小さな光球は、全能ぜんのうひかりを生み出す性能はもっていない。おおよそ必然的に生まれる多くの影が、室内のいたる所に残っていた。


 光球こうきゅうの真正面に立つハジュだけが、影から最も遠ざかっていた。


「だったらわたしも……」

「お前は来るな。用がない。最初に言ったはずだ。お前は自由で、どこにでも行けばいい」

「……」


 ハジュの言葉はそこで止まった。


 私はハジュに対してマイナスの感情しか持っていない。こいつからは嫌な〝予感〟ばかりが流れ込んでくる。直感的なしゅうとでも言おうか。なんの実害も発生していないから存在を許しているが、消し去っておいたほうがいい部類ぶるい存在そんざいであることは疑いようがない。かつて1位の冒険者だった私のかんだ。私とハジュは相容あいいれない。ハジュは意味もなく不愉快ふゆかい人形にんぎょうだ。見ているとはだ嫌悪感けんおかんが付きまとってくる。


 ハジュは見た目こそ幼女であるが幻獣である。私が思いを寄せる要素はどこにもない。


 私はペンをにぎって、インクびん先端せんたんを、魔法で呼び出したかぜのカッターで小さくいた。もうふたは使い物にならないだろうが、かまいはしない。〝最後の黒〟をペン先で薄くすくってから、家の内壁にけてある周辺地図に近づいた。それは現実の巨大な地図だ。


 私は脳内展開中のマップを参考にして、現実の地図のほうにコッタがてられていた位置に丸いしるしをつけた。この印が役に立つときが来るのか分からないが、ここに帰ってくれば、コッタの足跡そくせきを正確に知ることができる。私は脳内展開していたマップの魔法を解除した。


「……」ハジュが下から私をにらみ上げている。


 こいつが数年すうねんときをかけて私に働きかけたことはシンプルに胸糞むなくそが悪かった。


〝冒険に行かないのですか〟

〝幼女の観察はやめたほうが良いのではないですか?〟


 この二つの発言を使って私を細かく苛立いらだたせていたのがハジュだった。面倒めんどうであったから放置し続けていたが、うらまれるような筋合すじあいはない。むしろうらめる立場は私のほうにある。


 ただ今はもうすべてを水に流そう。私はコッタと旅立つ。苦しく困難な道のりになるかもしれないが、私は前向きにコッタを勇気付けたい。


かねがいるような金庫からもっていけばいい。人間を利用したいなら有効に活用できるだろう。お前とはここでサヨナラだ。今後は関わらないでくれよ」


 お前らは空間転移が使えるのだろう? 私はハジュに対して微笑ほほえんでおいた。

 

へんに明るいですね。なにかあったんですか?」

「なにもない。お前には関係ないことだ」

「……」


 窓のほうに視線を飛ばしても、家の中からだとコッタの姿は見えない。ルーシーのはねや体毛の中にかくれている。ただハジュの戦闘能力ならば〝幼女がいる〟というところまで察知さっちしているかもしれない。


 私は〝最大さいだい慈悲じひ〟をもって、さっさとこの場から立ち去ることにした。まだハジュによる実害は発生していない。ここ数年の生活においてもハジュは幼女に手を出さなかった。命のやりとりをしてまでふうめる必要はないだろう。ハジュがとおざかり、関係が自然と消滅しょうめつすればそれでいい。


「サラバだと言っておこう。お前も冒険など忘れて気楽に生きていけ。世界はあらゆる光で満ちている」

「……」


 私は低空ジャンプと、風魔法による制動ブレーキ駆使くしして、家の玄関げんかんまで瞬時しゅんじに移動した。もうハジュのほうは見ない。いかけてくる気配もないようだ。視界しかいに入れなくてもうつむいている光景が気配で認識できた。


 私はとびらを開いて外に出た。以前よりも世界が広がっている気がする。


 私は再び動き出すことになったのだ。血液けつえきが強くみゃくを打っている。興奮こうふんしているのだろうか。冷静さを失いつつある良くない兆候ちょうこうであるのだが、まだ許容きょようできる範囲はんいおさまっている。


 私はドア・ステップを一気に飛び下りて、足音を殺しつつ庭のすみに立っている石柱せきちゅうに近づいた。一抱ひとかかえはあるその石柱を力技で回転させる。これは視認性を格段に下げる魔導具のようなものだ。石柱の先端から出る特殊な霧が、家全体を包み込む規模で散布されことで、森の緑や夜の闇など、周辺環境の状況に応じた〝なじむ色彩しきさい〟を展開する。結果、自宅を人の目から消せる。遠くからはもちろん、おおよそ1メートル手前からでも簡単には見えない。〝最初の暗幕あんまく〟だ。


 私は次のジャンプで高く飛び上がって、ルーシーの背中にそっと着地した。コッタは眠っている。私は引き続き静かにルーシーと会話することにした。


「待たせたな」

『それで、どこに行くの?』

「リーゲンハイムに連れて行ってくれ。森を抜けてから高度をあげてほしい」

『オッケー。あそこって〝結界けっかい〟とかあったかなぁ?』

「王城にはついてるな。〝3枚目の壁〟が目印だ。だけど町全体にはおよんでない。衝突しょうとつしないようにな」

『今は上手じょうずに飛べるよぉッ。でも衝突ぶつかっちゃたらごめんね』


 私はルーシーの冗談じょうだんを軽く笑い流してからコッタのほうを見た。彼女は私がいないあいだに寝返りを打っいた。今は横向きの丸い姿すがたになっている。私はなんとなく彼女が向いている方向の横に胡坐あぐらをかいた。コッタのオレンジ色の髪の毛が、夜に拮抗きっこうする太陽のように見える。


『ねえ? ところでユリス……』

「なんだ?」

『楽しそうだね』


 ルーシーはサバサバとしている性格だ。私を非難ひなんするような傾向けいこうはない。うれしいもかなしいも普通の人より数段すうだんかるい。けれども私はルーシーに咎められた気分になった。コッタの姿ばかりが気になっていた。本来はもっと心痛しんつうせているべきなのかもしれない。


「やはり私はクズなのかもしれない」

『なにそれ?』


 だが今の私はもうグズグズと項垂うなだれていられる立場ではない。私はコッタの守護者である。冷静にして力強く、穏やかにして陽気でなければならないだろう。ささえるがわの資質というものが、私に求められている。


「いや。気にしないでくれ。日が上ったら隠密鱗粉ステルス・パウダーいてくれるか?」

『うん。それじゃあ今から全開でいくよぉぉ!!』

「おい。無茶むちゃはしないでくれよ」


 南の方角を目指してルーシーは静かに飛び立った。展開てんかいしているシールドも、私たちのそばにある静寂せいじゃくを守っている。おおよそ100キロ四方におよぶ森林地帯を飛行して抜けると、ルーシーは夜空に向かって一気いっき高度こうどを上げた。月の黄色い光が頭上から強く降ってくる。おくれて上昇時にともなうふわりとした感覚がこしを抜けていった。

 

 その拍子ひょうしのせいなのか。コッタは寝返りを打って反対側はんたいがわに向いてしまった。


「ルーシー、もうちょっと体毛たいもうかたくしたりやわらかくしたりできないのか?」

『なんで?』

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