第14話 ルーシー

 私はコッタのかさとなっていたニレの巨木きょぼくを見上げた。


 物質ぶっしつ所在地しょざいち記録きろくするために、魔法の準備じゅんびにはいる。視界しかいという範囲はんいの中に、ふとみき鬱葱うっそうしげ枝先えださきなどを入れて、目視もくしした対象として強く意識する。


 方陣ほうじん展開てんかいした私は、今度は夜空を見上げて星々のほうに意識を飛ばした。魔法によって私の脳内のうない地形図ちけいずが広がる。かみという実態じったいはない。天体の位置を利用した意識の中だけ作成されるフィールド・マップだ。


 そのマップの中に、事前にしっかりと目視したニレの位置がまるの形で示された。


 コッタがてらた位置の記録など、本当は消し去るべきものなのかもしれないが、今後なにが必要になるか判然としない状況だ。私まで一緒になって忘れてしまうわけにはいかないだろう。


 私は引き続き魔法を使用した。今度はつち属性ぞくせいの魔法だ。ひらたく整地せいちされた板状いたじょうつちを空中に次々と顕現けんげんさせて、巨木きょぼく頂上ちょうじょう付近ふきんまでつづ階段かいだんを作った。


 私はコッタをかかえたままその階段をのぼって、鬱蒼うっそうとした周囲の木々の頂上よりも高い位置に出た。


――ルーシー。聞こえるか?――


 私は心の中の〝特別とくべつ方位ほうい〟にけてこえをかけた。


〝ルーシー〟は私がつけたニック・ネームだ。正式せいしき個体名こたいめいはグリーン・アイズ・モス。私の呼び声が〝特別な方位〟で反響したときに、現世げんせへと顕現けんげんしてくれる幻獣――――契約けいやくげんじゅうだ。

 

 ステンドグラスのように美しいはねを4枚はやし、クルッとした丸くて緑色の複眼ふくがんを持つ。アゲハとの中間のような存在であるのだが、全体がいちじるしく大きい。体躯たいくの部分はダブルのベッドを縦にちょっと延ばしたくらいのサイズがある。


 古くからの私の友であり、大空を飛ぶことで大地をえる乗り物となってくれる。


 余程よほどのことがない限り、彼は私の心の声に反応して姿すがたあらわしてくれるのだが――。


 冒険者を引退してから、はや5年の月日が流れている。幻獣は気まぐれなところもありそうで、私は5年の間に一度もルーシーを呼び出していない。もう来てくれないのだろうかとあきらめそうになったころで、せんが動き始めた。


 せんは圧倒的な速度で空中を走り回り、まずはルーシーのりょうはねを完成させた。


 空間転移――幻獣などにだけ許された瞬間移動の技法であり、我々われわれには真似まねすることができない技法だ。


 せんがルーシーのすべてを立体的に再現すると、確固かっこたる本体ほんたいが色づいた。


 こちらにななめうしろがわを見せていたルーシーは、若干じゃっかんの旋回運動をして私と目を合わせた。


『久しぶり。ユリス。見慣みなれない顔があるね?』


 ルーシーの口腔こうこう器官きかん発話はつわ言語げんごに向いていない。液体えきたいうためのクルクルとかれたストローがついているだけだ。わりに彼は触角しょっかくをピピッと動かしてしゃべる。そこから目に見ない特殊とくしゅ精神波せいしんはを飛ばして脳内のうない直接ちょくせつかたりかけている――――らしい。くわしい原理はわからない。不思議な特殊能力だ。


 コッタが眠っているので、私は静かなままでルーシーに答えた。

 

「ああ。ちょっとわけありだ。久しぶりにちからしてくれないか?」


 ルーシーは顕現けんげんした瞬間しゅんかんから空中に浮遊ふゆうしていた。はね一切いっさいうごいていない。それでも落下しないのは、ルーシーが幻獣たる所以ゆえんである。普通ふつう生物せいぶつとは様々さまざま側面そくめんから原理げんりことなる。


『いいよ。乗って』


 軽く一回だけはねを動かしたルーシーは、まわみぎ旋回せんかいをした。彼のとが気味きみしりが私のほうに近づく。


 私はコッタをきかかえたまま飛び上がった。ルーシーのしりまたぐようにこしえて一気いっききょう着地ちゃくちした。


 そこで私は彼女をルーシーの背中にあたる足元あしもとにゆっくりとかせた。


 私はその近くで胡坐あぐらをかいた。


 ルーシーのきょうのほとんどは、アイボリーの色をした体毛たいもうおおわれているため、ふっくらとしてやわらかい。すわ心地ごこち心地ごこち抜群ばつぐんだ。そうは言ってもやはり普通のとは異なり、強靭きょうじんにして中々傷つかない体毛だ。粉っぽい感じもしない。いたれりくせりの性能といえる。


 私にかかえられた状態で移動するよりも、コッタはよっぽど楽な姿勢で眠れるだろう。寝違ねちがえることもないはずだ。


 ブーツくらいまで伸びているルーシーの毛先が、コッタの鼻先をかすめると、彼女は少しむずがった。眠ったまま鼻だけをヒクヒクとさせる。その鼻は彼女の小さなにぎこぶしでガシガシとこすられた。最後に、こすることを止めたその手が、そのまま一連性を帯びた乱暴らんぼううらけんへと変化して、寝床ねどこになっているルーシーの胸躯きょうくたたいた。


 結果コッタは仰向あおむけのだいになった。くまでねむったままだ。コッタの貴重きちょう睡眠すいみん時間じかんはキープされている。


 元気そうな姿すがたに見える。幼女ようじょこぶしであるから圧倒的あっとうてきなレベルをゆうするルーシーがいたがるわけもなく、ともは『フフ』と笑ったあと、コッタの顔の周囲しゅういにある体毛たいもうだけぺったりとたおした。コッタの鼻先はムズムズから開放されているように見える。


 ルーシーはサバサバした性格であるのだが、けっこうく幻獣だ。彼はさらに体毛たいもう器用きように動かしてエルフィンローブがコッタの掛布かけぬのになるように調節してくれた。


「しばらく低空飛行で。あとこの子を起こさないようにゆっくり頼む」

『わかった。どこに行けばいい?』

「とりあえず、自宅に向かってくれないか。耐風たいふう防壁ぼうへきは私がはろう」


 ルーシーがゆっくりと高度こうどかせぎ始めた。孔雀の羽で作られたおうぎのような、優雅な〝しなり〟が1回ばかり。それだけで周囲の木々の頂点から、5メートル程度の離れた高さにまで上昇じょうしょうしていった。


 その間に私は魔法で耐風たいふう防壁ぼうへきを作った。薄緑色うすみどりいろかつ半透明はんとうめい球体きゅうたいのシールドだ。ルーシーをふくむ私たち全体をつつむ。


 ルーシーのはねがバサリと大きくひるがえって、にじいろにきらめくりんぷんが舞い上がった。


『おかえり。ユリス。またんでくれてぼくうれしいよ』

勘違かんちがいしないでくれよ。冒険者の私はもういない。そいつはとっくに終わっているよ」

『そうなの? 〝未踏みとう領域りょういき〟の攻略はユリスの悲願ひがんじゃなかったっけ?』

「そんなことはもうどうでもいいんだ。これから私は思考の泉をつくらなければならない」

『なにそれ?』

 

 ルーシーの好奇心こうきしんは私を深追ふかおいしない。彼は自宅に向かって滑空かっくうを始めた。


 移動のために使われるルーシーの飛翔ひしょうは、幻獣らしく現世げんせばなれした光景をともなう。パタパタと懸命けんめいはねをばたつかせなくても、思い出したころに少々あおげば大空のたかのような姿で、あらゆる方向へと向かうことができる。なめらかにして自由自在じゆうじざいだ。


 私は心地よい風が通るくらいにシールドを調節ちょうせつした。数分間の空の散歩さんぽをひっそりと楽しみ、自宅じたく上空じょうくうに到達する。次は出立しゅったつの準備だ。旅先で必要となるものをそろえよう。

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