悲しい場所からはさよならして、まずは活気のある街へと向かうのが最善策かもしれない

第13話 引退者宣誓

 ただしいくらコッタの姿すがた天使てんしだからといって、いつまでも見続けるわけにはいかない。状況じょうきょう開始かいしの合図を鳴らす気のいた打手うちてなどいやしないのだが、私は変化をしっかりと受け止めて、今後の方針ほうしん検討けんとうするべきだ。


 増加した状況は、人に多くの難問なんもんあたえる。


《人を本当に悩ますものは、節約する小麦ではなく、増えた小麦だ》


 これはそんなことわざめいた話だ。どれだけ備蓄して、どれだけを売りに出すのか。売るにしても誰に売るか、それともタダでゆずるのか。それらはじっとしのぐよりも、多くの難しい決断に迫られる。


 厳密げんみつに言えばコッタは小麦ではないし、タダで譲ったりもしない。ゆえに私の格言の引用はわずかに失敗しっぱいしているのだが、これもまた〝増えた〟という変化がかかえる困難こんなん一種いっしゅだ。


 私のそばには麦よりもはるかに難しい幼女が一人ひとりえたのだ……。落ち着いて考えるためにも、私は深呼吸しんこきゅうしてすずしい空気くうきはいの中に取り込んだ。


 まず、可能性の段階から検討けんとうして最初に思い浮かぶことは、コッタの両親が心をえて、ここに彼女をむかえにくる場合についてだ。


『ごめん、ごめん。お父さん、ちょっとみちまよったんだ。待たせたな』


 この空想の中には、正常と言えるようなものは何一なにひとつ残されていない。


 なぜ捨てたのか? なぜ改心かいしんしたのか? コッタの両親はそのいずれの答えも持っていない。しんじるにあたいしない。そんなやつらの元にコッタを返しても、彼女の周辺の環境かんきょう旧態きゅうたい依然いぜんのままであり、結果、今回のような悲劇ひげきが繰り返されることになる。なるだろうではない。なる。私はそう断言だんげんする。凡人ぼんじんが数日の間に起こした改善かいぜんなど信じるものではない。


 コッタがてられた原因は貧困ひんこんと見て間違いない。ふく粗末そまつであることから農村のうそん出自しゅつじであることも想像できる。食料に見せた否定的な反応は、おそらくものの取り合いかなにかを幾度いくどか経験した後遺症こういしょうだろう。


 この場所でコッタの両親を待ってみるという方針ほうしんを私は棄却ききゃくした。時間をかける価値はない。それに加えて、ここはコッタにとって悲しい記憶が残された場所になっている。


 つまり……。


 こんな場所でいつまでも立往生たちおうじょうしているわけにもいかないようだ。むしろ次に目覚めざめたコッタが見る風景は、まったく異なる場所であったほうがいい。それが彼女にどのような影響を与えるかまでは判断できないが、ここにいるよりかは、いくらか気分もマシになるだろう。そう推測する。


 コッタにたずねてコッタに決めさせる。一見正しそうに見えるその理想りそうけいは、おそらくもっとも選択してはならない方法だ。おそらく今のコッタにとっては、そういった理想りそう重荷おもにでしかない。


『両親に会いたいか?』

故郷こきょうかえりたいか?』


 こういった質問は、彼女のこころきずえぐることにしかならないだろう。誰もがみな、自分を傷つけるものについて考えたくはないのだ。


 コッタを強制的に帰すことはいつでもできる。コッタが帰郷ききょうを望むのならば、それこそすぐにでも出来できる。


 だが物事には時機じきというものがあるはずだ。


 それにてた両親のほうも、まだ気持ちの整理がついてないはずだ。なんなら罪の意識たる悔恨かいこん十二分じゅうにぶん摂取せっしゅするめの時間をもうけるべきだ……という考えは良くないのかもしれないが……。


 おうちに帰りたい。あるいは帰りたくない。えら権利けんりは当然コッタにある。それにしたがう私も等しく存在する。


 だがその決断を下す心の準備ができていないコッタが、今のコッタではなかろうか。


 自分でも分からない事などいくらでもある。彼女の今の心はくらくして曖昧あいまいであるはずだ。物事ものごと決定けっていができなくなるくらいの現実を見たあとのコッタが、今のコッタなのだと私は断定だんていする。


 究極的きゅうきょくてきなジレンマは、トラップとビンゴの二者択一にしゃたくいつではない。トラップをむかまないかだ。そして当然、判断力が欠如した者をトラップの前になど連れて行ってはならない。


 大丈夫だ。私は間違っていない。


 コッタにまず必要となるものは、相談をするために私の背中をつつきにくる小さな指先のちからだ。それは0から1を生み出す思考の泉と言ってもいい。なにも大それた発明でなくてもいいのだ。ごく小さく単純に、自分のために働かせるありふれた知力だ。


 幼女でもきっとその力を身に付けることができる。私はそう信じることにした。


 私の今後の行動は、その指針に基づいて決定しよう。


 そのために――自分のための思考の泉を持つために必要となるもの……。


 おそらくそれは日常だ。この世界の平均値へいきんち都会とかいでの人並ひとなみ生活せいかつ――人が人としてあつかわれる状況じょうきょうだ。


 ちまたでよく見かけるような服を着て、あたたかいめしって、柔らかい毛布もうふで眠る。そいつらを使って彼女の常識を育てさせる。彼女の思考の泉が、いつだって彼女のためにあることを自然と知ってもらう。


 説教などくらいたくはないだろう。あくまで自然に。二度と消滅しょうめつ希望きぼうなどという馬鹿げた言葉を使わないように。


 コッタは冒険者がよいと口走くちばしっていたが、彼女にりかかっている問題は、それ以前の問題だ。彼女が立っているのはスタート地点ちてんではなく、その後方にある穴倉あなぐらの中だ。


 私の決断は間違っていないはずだ。


 いや。こればかりは間違まちがっているかもしれない。けれどもこれでいいはずだ。間違まちがってもいい。良くも悪くも利用できる私財しざいくさるほど持っている。かねだけはらってかげむという単純な決着などいつでもできる。


 私はコッタのちからになりたい。


 うでの中のコッタは温かく軽すぎる。それにやわらかすぎる。どこまでもまぶしい存在であるものの、かぎりなく最弱に近い生命だ。どのような種類のちからものが、いったいどこまで必要となるか。コッタが眠っている今のうちにすべてを決めることはかなわないだろう。けれども私はみずからの指針ししんを信じて、いつの日にか、そいつらをすべてコッタのもとあつくす。


 最初の行動は決定した。そして最終目標も決定した。中間ちゅうかん部分ぶぶん方向性ほうこうせい曖昧あいまいな部分が残っているが、そろそろ動き出すべきだろう。理念に基づく行動として、まずは常識的な街を目指す。

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