第12話 レベルなど役に立たないから

「でもコッタ、本当を熟知じゅくち

 

 とつとつと幼女は語った。


「お父さんの再来さいらい皆無かいむ。お母さん、落涙らくるい過剰かじょう。コッタは消滅しょうめつ。それが自然。コッタ。おかゆはもう食べない……」


 それですべてなのだろうか? 


 コッタが喋り終わったと確信かくしんをえるのに足りる時間がすぎるまでのあいだに、私の推察はコッタが抱えている悲劇のほうに流れた。考えたところでおそらく意味はない。だが考えずにはいられなかった。


 着ているものを見るに、コッタの出自しゅつじはいそんかげがチラつく集落しゅうらくで間違いない。交通こうつう交易こうえきとは無縁むえんの場所で、農事のうじしか取柄とりえの無い――いや、その取柄とりえ農事のうじさえるわない、なかば世界から取り残されたような土地だ。


 世界をわたり歩いた経験を持つ私には、コッタの背景にあるものが手に取るようにわかった。


 私はあえて今まで幼女を救済してこなかった。世界には数多くの幼女が当然ながら存在する。私はその一人としてまともに救っていない。いくら私財しざいを使ってほどこしを行ったとしても、それが本当に幼女のためになるかという疑問には、正解となる答えがなかったのだ。


 ……。……。


 いや、これはわけだ。所詮しょせん、私は真剣に考えてこなかった。無気力な私の幼女ようじょあいは、ただ内面ないめん世界せかいで渦を巻いているだけだった。


 そしてコッタの間抜まぬけな両親は、自分たちの住んでいる家がどんだけ小さな敷地面積であるのかも分かっていなかったのだろう。コッタに声が届いてしまう範囲で、彼女をてるための段取だんどりをつけていた……。

 

 いくつものゆがんだ真実がコッタのそばにあったのだ。


 ただし、ここでの結論はそれだけで充分じゅうぶんだ。


 世界とはてしてそういう風にできている。世界はもっともけずり取られた窪地くぼちと、その窪地くぼち隣接りんせつする大地だいちがやがて自壊じかいする関係しか持っていない。


 おかしな話じゃないか。はらっただけで、なぜコッタはおびえたんだ? 水を飲んでかゆも食べた。なのになぜまた死ぬほうに思考が傾く……。


 おそらく大きすぎる問題が彼女の過去にあったのだろう。その小さな体が背負うには大きすぎる問題だ。


 答えなど知らん。そこの答えを突き詰めることに意味は無い。だがその過去だけは今から即刻打ち落とす。


 コッタの瞳がほかの誰かのためのものではなく、自分のための色彩を見つけるためにあるのだということを、今から私がなんとしてでも気付かせる。


 過去は変えられない。過去にはどんな魔法もスキルも通用しない。だから過去にぶつけることが出来る唯一ゆいつの兵器に今からすべてを込めるのだ。


 言葉を回せ。言葉を届けろ。


――クロノスフィール――


 古代の神は私に教えてくれた。言葉だけが時間を越えて過去に打ち込むことができる唯一の兵器だ。コッタが下した決断を、私が必ず打ち砕く。

 

「ニークエアイム嬢よ。滅びの美学もあるだろう。だが生きてなお目に映る美しさも世界には等しく存在する。自分の存在があらゆる否定によって囲まれたとき、ときどき世界がそっとそいつを教えてくれるときがある……」


 私にとっては幼女であった。コッタにとっての〝なにか〟もきっとどこかにあるはずだ。いつか必ず見つかるときがくる。


 私は膝を折って可能な限りコッタの近くにまで視線を落とした。コッタはうつむいたままであったのだが、私は語りつづけた。


「そいつは例えば、命の危機に瀕したときに働くお節介せっかいな防衛本能かもしれない。あるいはもっと厄介やっかいな幻聴をささやく夜の悪夢かもしれない。最悪なのは何度も自分を臆病者とののしる自分自身や、他人を殴りつけてでも奪い去るしかない因果のなすりつけあいだ……」


 幼女はときどきゆっくりとまばたきをするのだが、その視線が私に届くことは無く、地面ほうに定点を置いていた。


 私はただ静かに言葉を押し出した。


「だがいかなる過酷かこくも、いつかはすべてくだかれて、ミルクの化石かせきのようなこなになる。砂漠さばくのクリスタルは南から届いた砂嵐すなあらしびたあと褐色かっしょくに光り、白きわたりどりを休めるオアシスを広げた。雪にもれた集落しゅうらくのパイプオルガンは、赤色あかいろのレンガのかべ反響はんきょうしたあと、戸外こがいに空中へと昇る氷の階段をつくったが、どうやらそいつは遠くにある太陽を見るためだけのものだったようで、鍵盤けんばんはじいたオルガニストに絶景ぜっけいによるかたかしをらわせた。訪問者ほうもんしゃうしなった巨大な図書館の歩廊アリュールくずれおちて、熱心に集めた表意ひょうい文字もじ石版せきばん破壊はかいするが、残された断片だんぺんの接続に成功したとき、歴史の狭間はざまに隠れたカタコンベの位置を考古こうこ学者がくしゃつたえ――、大樽おおだるせんいてあふれ出すブドウ酒をさかひめたちがはいに注げば、いどれどもはにじしずくを飲み込んだと、今はまち再興さいこうを歌いだし――、地母じぼしんうしなったえらそうな妖精ようせいどもは、そのときになってようやく羽をばたつかせて花粉を運び、みずから大地と語り合う喜びを知った」

「……」

脈絡みゃくらくのない世界せかい秩序ちつじょ大口おおぐちをあけて飲み込みにきたときに、両手りょうてにぎめてしずかにえるしかなかったとしても、そこに込めたちからは確かに存在して、そのちから裏切うらぎりがたとえゆるせないものだとしても。だとしても私は……」


 幼女に


「生きていて欲しいと思うんだ……」

「……」


 私だけが惨めに泣いていた。


「傷ついてしまった両手はッ!!!!」


 思わず叫んでしまっていた私の声が、幼女を驚かせていた。私は息を飲み込んでから、優しげに語れるように息を整えた。


「傷ついてしまった両手はいつしか開かれて、握り締めに来る誰かを待つ季節をすごし始めたのだと見なしても、罪はないのではなかろうか」

「……」

「ニークエアイム嬢よ。私と一緒にもう一度生きてみようとは思わないか?」


 無価値な自分の涙だけが流れて、コッタの目蓋まぶたは閉じられた。自分の鼓動だけが煩わしく騒ぎ、地面を再び地面を見るはじめたコッタは静寂の中にいた。けれども虫の音が強く響く夜の時間はわずかに動いた


「コッタはコッタ。ニークエアイムじょう冗長じょうちょう


 コッタの上目うえまぶたは、おおよそ半分程度が閉じられたままであり、それゆえ芒洋ぼうようとした印象いんしょうを彼女のもとからすべてぬぐることは困難であるのだが、その奥にある青い瞳は、月の光を強く反射していた。


心得こころえた。コッタはコッタだな」

「コッタはどうするの?」


 私は立ち上がるあいだになみだいた。


「私はもともと冒険者だったんだ。どうとでも出来るさ」

「冒険者?」

「ああ」

「コッタもそれがいい」


 コッタの上目蓋うわまぶたは、どうしようもない上限値があるようで、半分から先の位置に上がろうとはしなかった。眠たいのかもしれない。あるいは半分はんぶん目蓋まぶたの一族であるのかもしれない。今の時点では半然としないのだが、かがやきをたずさえて、どこか決意とともに居座いすわっているように見える。


 激情に流されてみずからを冒険者と口走ったことを、私はずべきなのだろうか。冒険者としての私はもういない。幼女を勇気付けるために引き合いに出せるものが、私には冒険者という肩書かたがきしかなかった。冷静に考えれば、冒険者であることがコッタへの助力に関与するとは思えない。宿やどの太さを幼女にあんしめすためとはいえ、私はさびれた過去の栄光えいこうを選んでしまっていた。


 なにかと好奇心こうきしんきがちなのがコッタくらいの年齢だとは思う。おかしなところで幼女ようじょ興味きょうみを引いてしまったのは悪手あくしゅだった。 

 

「すぐに決めることはないだろう。まずはその瞳に世界をうつしてみてはどうだろうか?」

「うん」


 そううなずくとコッタの目蓋が閉じられて、体全体が私のほうに倒れこんできた。私は彼女を受け止めると即座そくざ解析用かいせきよう魔法陣まほうじんを展開して、そこから発動される魔法を強く支持した。


――アナライズ――


 私の視界しかい領域りょういき片隅かたすみで、魔法によって作られた特殊なペンが素早すばや筆記ひっきをはじめた。レベルを先頭にして、コッタについての様々な数値ステータス空域くういきに表示さていく。私はその中にある〝とある項目〟を注視した。


《LP1》


 私は安堵あんどした。LPとは〝たましい〟と解釈されるものだ。生命ライフ根源コアポイント。付随ふずいする数字が0になるとのがれられぬ死が間近にせまっていることを意味する。1と表示されているならば生きている。人体の複雑な構造から考えると、あっけないほど単純なこの仕組しくみは、年齢などとは無関係な数値だ。こうレベルもていレベルも関係ない。ひとりにつき、ひとつだけ。


 コッタのLPと共にある1という数字が、彼女が現世げんせで活動している状態を意味している。当然HPも点検した。問題ない数値を示している。


 疲れて眠りに落ちたのが今のコッタであると考えていいだろう。彼女の腹部ふくぶは呼吸とともになだらかな山をつくっては消えていた。偉大いだいなる生命せいめい息吹いぶきをささえる不思議な律動りつどうだ。

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