第11話 エルフィン・ローブ

 また夜が近づいて来ていた。この地方の昼間は穏やかな気温になるのだが、夜の空気は少しばかり冷たいものになる。


 私は距離きょりというかべ極限きょくげんまで粉砕ふんさいする圧倒的あっとうてき瞬発力しゅんぱつりょく発揮はっきして、自宅からS級エスきゅうそう備品びひんであるエルフィン・ローブをとってきた。


「着ておくといい」

「……」


 幼女は返事をしなかったのだが、小さな両手が素直にローブを掴んでくれた。毛布もうふのように胸元むなもとにたぐり寄せられる。


 それでもSという最高さいこう品質ひんしつ発揮はっきする恩恵おんけいを少しは受けることはできようが、今の幼女には推奨すいしょうできない。


「このローブはちゃんと身につけなければ意味がない」

「……」


 静かな顔で見上げられる。はてな顔とでも言うべきか。ささやかな疑問を抱いたときの小さな硬直が幼女にあった。


 私の説明が悪かった。


「貸してもらうよ?」


 エルフィン・ローブはマントの形状をした装備である。私はコッタからそっと引き取ったエルフィン・ローブを空中でなびかせて広げ、首元にあたる生地を彼女の頭上からすっぽりとかぶせた。ついでに肩口の生地をつまみ、少し回転させて正面をきれいに合わせてやった。


 再びくまさんポシェットと目があった。もしかしたらうつむいていた幼女はずっとそのポシェットを見つめていたのかもしれない。わかれにさいして両親が持たせた物だろう。そいつは無いよりマシなだけのはかない善意を引き受けて、儀式ぎしき的な贖罪しょくざいの使命をまっとうしていたのかもしれない。


「ぬくぬく」


 幼女の声は小さく響いた。私も合わせて小さめの声を使った。


「それが装備するということだよ」


 エルフィン・ローブはもともと私のサイズに合わせて作られたものだ。その生地きじは今や彼女の手足てあしふくんで、赤子の御包おくるみのようになっている。幼女は顔だけを動かして首元から自分の体全体を不思議そうにながめていた。


 そのペラい生地ではありえない状態を、感じ取ることができているのだろうか?


 エルフィン・ローブは耐火たいか耐水たいすい、その他もろもろ。全属性ぜんぞくせい耐性たいせい筆頭ひっとうに、身につけるだけで様々な利点りてん享受きょうじゅできるS級のアイテムだ。温度おんど調節ちょうせつもその機能のうちのひとつで、身につけたものは恒常的こうじょうてきに春の日差しの中にいるような感覚を味わうことができる。ふわりとした肌触はだざわりまで実現したその装備は、南方のエルフの国の希少品きしょうひんだ。


「私はユーリス。親しいものはユリスと呼ぶ」

「ユリス。……ユリス何?」

「ユリス・クヴァンツスだ」


 幼女の目蓋まぶたは少し眠そうに見える半眼はんがんの位置にあった。表情はしゃべるための口元くちもとのぞいて必要以上に動かなかった。


 かつてギルドランキング1位に君臨くんりんしていた私は、冒険者筋ぼうけんしゃすじにおいては有名人ゆうめいじんであり、一般いっぱん大衆たいしゅうの間でもそこそこ認知にんちされている存在である。けれども流石に幼女ようじょ界隈かいわいにまでその浸透しんとうしていなかったようだ。


 幼女に対して見栄みえり、いきおいで名乗なのった私であるが、逆にずしさをらうハメになっていて、それがまた一段いちだん心地ここちよくもあったりしたのだが、そこで幼女のおなかがぐぅとなった。

 

 幼女は私から視線をそらした。


「コッタじゃない」

「ああ」


 コッタ……。すばらしい名前だ。ずっと聞きそびれていた幼女の名前を偶然ぐうぜんることができた瞬間だった。


 おなかの音をかくしたくなる羞恥しゅうちしんがコッタにはすでにそなわっているのだと、おまけで拝受はいじゅするにはデカすぎる知識ちしきに、私の心はおどりだしていた。


 私は誰よりも幼女について詳しくありたい。


 だがその心はすぐにつまずいた。


 コッタに異変が起きている。


 地面のほうにうつろに流れているコッタの瞳に宿やどっていたものは、実は羞恥しゅうちしんではなく恐怖きょうふだった。


 私はみずからの脆弱ぜいじゃく観察眼かんさつがんを心のなかで叱責しっせきしつつ、すぐにコッタの前にかたひざをついた。


 マントの下にかくれていても分かる。彼女の両腕は、ふるえだした自身の体を抱きしめるための位置にあった。


「コッタじゃない」


 コッタの声は最初から今までのあいだずっと低調ていちょうで、変化にとぼしい音階おんかいしかなかったのだが、今は異常におびえているように聞こえる。まるで死神しにがみに不利な交渉こうしょうでも持ちかけられているかのようで……。


「コッタじゃない……」


 コッタの両手が寒さから身を守るように強くマントを引きこんだ。そしてコッタは地面に座り込んだ。ただでさえ小さな体であるにもかかわず、それをいっそう世界からかくそうとしている。


 救援きゅうえんする者が同調どうちょうしてあせってはならない。私は冷静であるべき時を心得こころえている。


 私はコッタの近くに両膝りょうひざをついて、それでもまだ小さい彼女の高さに合わせて猫背を作った。そして小さな体をいためつけないように、あわい力で両肩りょうかたをつかんで、彼女の視線をうばうために語りかけた。


「わかった。コッタじゃない。私だ。私のはらが鳴った。そうだろう?」


 彼女の反応はすぐには返ってこなかった。「大丈夫だ」とか「私以外に存在するわけがない」「私は腹が減るとよく腹が鳴るのだよ」だとか……。いくつも言葉をかさねた。そうしたのちにコッタはようやく「……うん」と小さく返事をした。


「ちょうど私は腹が減っていたんだ。またかゆを作ろうと思う。食べるだろう?」

「……」


 明るく尋ねてみたのだが、コッタから返事はなかった。

 私は話題を変えることにした。


「コッタ、なんというのだろうか」

「コッタ・ニークエアイム」

「ではニークエアイムじょうよ。私はまた食材をとってくる。一人で待つのがいやならいて来てもいい。どうする? ここで待つか?」

「ここで待機たいき。お父さんの命令」

「そうか……」


 

〝ここ〟とは〝どこ〟のことを言ってるんだ……。この広大なトスト森林地帯のことを言っているのか。それとも、そこかしこにある菩提樹ぼだいじゅやニレの木や、ケヤキのことを言っているのか――。


 チクショウが……。


 ここには目印になるような物など何一つ存在しない。探索たんさく魔法まほう名手めいしゅが百日かけても特定することが不可能であるあろう森の中の平凡へいぼん位置いちが〝ここ〟だというのか? だとしたら〝ここ〟なんて粗末そまつ拠点きょてんを築いたのはどこのどいつだ……。


 暗鬱あんうつとした感情と共に、腹の中でいかりがえていた。


〝お父さんは向こうでちょっと用事がある。コッタはここで待ってなさい〟


 くそみたいな想像力を働かせたら、コッタが最後に父から聞いた言葉は容易ようい想像そうぞうできた。奴隷どれい商人しょうにんに売り飛ばされず静かな終末しゅうまつむかえられるだけマシな人生であったという、品性ひんせいをかなぐりすてた救済論きゅうさいろんが聞こえてくる。


 根本的な解決に結びつく非難すべき相手が不在である私は、どんなにたりしてもいつもゆるしてくれる天空をにらみつけるしかなかった。

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