第6話 できそこない

 森の夜はさわがしい。虫たちの大合唱だいがっしょうがはじまるからだ。そして森の朝はけたたましい。鳥たち朝の挨拶がはじまるからだ。総じて比喩ひゆを排除すれば繁殖はんしょく縄張なわばりあらそいにほとんど分類されるのだろうが、そんな音には無頓着むとんちゃくで眠り続けられるのが人間というものであったりする。


 ところで鼻息はないきというものは、人を眠りにさそうものなのだろうか。それとも覚醒かくせいうながすものなのか。はっきりと結論をさだめることができる者はいるのだろうか。


 私の場合は目が覚めるほうだった。そんな意味もない答えを知ったのがその日の朝だった。


 自宅のソファでずぼらに眠っていた私は、例の再生途上にあったかのうような人形が眼前がんぜんで響かせる鼻息でました。


 漠然ばくぜんと推測するしかないのだが、前日まで玄関わきにつっっていただけの人形は、とにもかくにも生命活動を復帰させたようで、この日この時において、私の眼前にある大気をゆるがしていた。


 近い……。吐く息のがしつこく私にぶつかっていた。至近距離で交差した視線の先には丸くて白い瞳があった。その瞳と同じ白色の前髪たちが、デコの前で横一列に並んでいた。


 私は寝転んだまま人形の両肩りょうかたをそっと押した。そうして中間ちゅうかん距離きょりをかせぎだして、ソファに座りなおした。


「おはよう、でいいのか?」

「はい。おはようございます」

「名前は?」

「私はハジュクラ・ハジュリ。親称しんしょうでハジュと呼ばれています。私もあなたの名前が知りたいです」

「私はユーリスだ。ユーリス・クヴァンツス。良く知る者はユリスと呼ぶ」

「覚えておきます。ユリス」


 石から人形を経由して動き出したようなやつである。私の名前くらいは知っていてもおかしくはないのでは? と思うものの、そういった考察はすぐにどうでもよくなった。


「ではハジュよ。お前に帰る場所はあるのか?」

「帰る場所はユリスのいるところです」

「ハジュよ。ひろってきておいてなんだが、ここは人生にまくをおろした者が住まうろくでもない家だ。お前は今日から自由だ。しかるべき場所に帰るも、未知なる大地を踏みしめるも、どこにでも行くといい。好きに生きてくれ」

「じゃあ、ここにいます」


 それがハジュとの最初の会話だったと記憶している。私はそれ以上なるべくハジュとは関わろうとしなかった。 


 もう少しまともな人間ならば、ハジュを欲望のくちとして利用することで正気を保つという、悲劇を振りかざした古典的な防衛本能にしたがえたのかもしれない。だが、すでにイカレている私にとって、ハジュは取るに足らない現実の破片はへんでしかなかった。


 ハジュは確かに幼女ようじょ形態けいたいだ。だがハジュには幼女が必然的にうちへとかかんでいる太陽がない。ロリコン歴3年と、まだまだ経験のあさい私にでもすぐにわかった。ハジュは見た目は8歳であっても、ロリとは異なる波動ばかりだ。非常に異質な存在だということがいていた。もとが石像のせいだろう。


 私はハジュのプロファイルを探ろうとは思わなかった。少しも興味がかなかった。私が話しかけないせいか。ハジュのほうから物を言うこともほとんどなかった。


「ユリス、冒険に行きませんか?」

「ふざけているのか?」


 たまに口にする言葉がなによりも気に入らなかった。そのせいで会話が継続性けいぞくせいびることはなかった。冒険者の私などもうどこにも存在していなかった。私は幼女ようじょ中心ちゅうしん主義者しゅぎしゃになっていたし、私はそれにいたく満足していた。


 もし冒険があるとしたら幼女の観察を除いてほかはない。


 この時分じぶんの私のあしは、幼女への渇望かつぼうを駆動力として、朝起きるとすぐに幼女を探しに街や村に行くためだけの二本となっていた。一定数の幼女は朝は早いのだ。出遅れるわけにはいかない。


 そしてこの頃の私は、デッサンに足るほど幼女の姿を、記憶に焼き付ける義務があったと記憶している。


 ロリコンに転じたあとの私は絵を描き始めたのだ。私は失われゆく幼女の姿をキャンバスにとどめることで、幼女世界の崩落ほうらくを防ぐために、たった一人で努力していたのだ。


 もし心の優しい同好どうこうが私のそばにいたならば『つまりは、そのときのあなたの腕も、幼女のためにあったのですね? 』とんでくれたかもしれない。だが私には戦うための才能はあっても、芸術のための才能はなかった。私の絵は下手糞で、私の腕が幼女のためにあったなどとは、おこがましくてうなずくことができなかった。その事実がいつも必要以上に私をみじめな気持ちにさせた。


 ハジュのことなど心底しんそこどうでもよかったのだ。

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